見えない顔
まるで川の流れのようだった。止めどなく流れる水のようだ。
天海の背中に流れる髪を見て、福地はそう思った。仕事の報告をしつつ、天海が何か書き物をしているのを見ている。
彼は時々返事をするが、近くに座った福地に目をやることはなかった。
いつものことだ。
おかげでこうして、天海の背後から背中を見ていても咎められることはない。
絡むことも、縺れることもないそれは、絹糸よりも滑らかだ。
白衣の宰相と呼ばれるに相応しい、純白の衣に長い髪が波打つ。
穢れを許さない白い衣と、何者にも染まることのない漆黒の髪。彼によく似合っている。
何かに心を動かされることは、この世には少ないと思っていたが、最近福地は天海を見て思うことが多い。
まるで天上の美のようで、本当に自分と同じ地上に生きるものなのか。
福地は意識しないままに手を伸ばしていた。
天海は書きものに集中していて、福地の手が近付いていることに気付かなかった。
「――!」
天海が慌てて身を翻す。見たことのない慌てぶり、真っ青な顔だった。
「何を、していたのですか…」
福地はそんな天海の表情に驚き、また手の感触にも驚いていた。
確かに、彼に届いたはずなのに、絹糸には触れなかったのだ。
何もなかった。空を掴んだだけだった。
「無感動なそなただから、傍に置いていたのに」
怒りを見せる天海をぽかんとしたまま見ていた。
本当に、この世のものではなかったのだ。
ここにいるのに、ただのまぼろしだった。
20110328
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