落葉
渡殿を数歩先に進むその後ろ姿をぼんやりと見た。
何を言っているのか聞いていなかった経正の耳にその人物の声が届く。
聞いても、聞かなくても同じだ。最近の彼はすっかり変わってしまった。
それが経正には寂しく思えた。
だから、この男は、自分の知っていた人間ではないのだと、思い込もうとしている。
経正は冷静に、自分の感情を客観視していた。
「あの男は間違っています」
彼が怒りながら喋るときは大体がこの話題である。
ああ、やはり。聞いても聞かなくてもいい話だったと、経正は思った。
「お祖父様に意見をするなど」
こんな風に、負の感情をむき出しにする人ではなかった。声を荒げて、人を罵るようなことはしなかった。
異世界から来たという、亡くなった父親そっくりの少年。
驚いた。彼の敬愛する重盛が蘇ってきたのではないかと。
経正は再び庭に目をやった。
「怨霊の兵の方が役に立ちます」
ところどころしか聞いていなかったので、どうして今彼はそう言っているのかわからない。それとも怒りで脈絡のない話をしているのだろうか。
どちらにしても、話の内容に経正は興味を持たない。
重盛は彼の父親だからよかったのだ。たとえ彼がどんなに父を慕っても、彼らには離れがたい親子の血の繋がりがある。
しかし、突然現れた、得体の知れない少年は、ただ顔つきが似ていると言うだけで、重盛のいた場所に立とうとしている。
軍事や、立場だけでなく、惟盛の心の内部まで。
これは嫉妬だ。経正は思った。
惟盛の心の、今まで誰にも見せなかった暗い部分をあの少年が引き出した。惟盛の心をあの少年が占めている。
「人間のように不平を言わず、ただ敵兵を屠ってくれるのですから」
短くしか相槌を打たない経正を気にした様子もなく、惟盛は話している。
「生前は弱かったから負けたのです。怨霊になれば無駄死にすることもありません」
それは自虐ですか。
経正は口を開き、言いかけたが言葉が音になる前にやめた。
生前の、人一倍臆病で、でもとても優しかった自分自身を否定しているような言い方。
経正は足を止め惟盛を見る。振り返って欲しいと念ずるまでもなく、彼は振り返った。
昔から、美しさに憧れてやまなかった顔はそのままだったが、眦をつり上げていて、美しいとは思えなかった。
すっかり変わってしまった。
既に心まで人ではなくなっているのですか。
死ねない体の如く、心の痛みにも鈍麻しているのですか。
立ち止まった惟盛を見据えて笑った。
自分にもこんなに激しい感情があったのかと思うと、嘲るような笑みを隠すことはできなかった。
口を開く。
「清盛公も認めていらしたでしょう。我々には最早いなくてはならない存在です、還内府殿は」
惟盛はきっと眉をつり上げた。
「貴方まであの男を父上などと!」
子供のように癇癪を起こす惟盛を先ほどと変わらず悠然と見やる。
こうして怒ったということは人の心を持っているのですね。まだ、すべてが変わってしまったわけではない。
経正はどこか安堵しつつ、自分に向けられる怒りにじわりと腹の底に沁みる熱を感じる。
あの少年にではなく自分に、怒りを向けられている。
今、この瞬間は彼の怒りを独占している。それだけで充足していく。
「しかし、一門が再び」
「やめなさい!」
更に続けようとした経正を、惟盛は遮った。
「貴方は、貴方だけはわたくしの気持ちをわかってくださると信じていたのに!」
あまりの憤怒に震えて、目元を赤くする惟盛の表情。
こんな風に貴方を試しに傷付けてみようなんて、昔の私なら思いもよらなかっただろうに。
怨霊は心を、姿を失い狂気に駆り立てられ、凶暴になる。
私も、充分に変わっているということだろう。
風もなく落ち葉は静かに降り積もる。ここにいる二人が、激しく心を荒れさせているというのに。
20101103
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