積み上げる 後

 庭石に並んで腰かける。
 雲は少し薄くなったのか、暗闇に目が慣れたのか、間を空けて座るヒノエの表情が見て取れるようになった。
 ヒノエはそんな月を見上げている。

「月なんか見てて楽しいのか」

 話をしようと言ったのに、腰かけてから言葉が途切れてしまっている。
 譲はヒノエの横顔に尋ねる。

「それ、俺の台詞。月に楽しいことなんかあるの? 月に帰るくせに」

 譲はため息をつく。

「かぐや姫か。そういうのは男の俺に言っても仕方ないだろ。別に月に帰るんじゃないし」
「オレの手の届かないところに行くのは同じだろ」

 ヒノエは短く唸ってから勢いをつけて立ち上がった。

「やめよ。あんたに恨み節聞かせたかったわけじゃないんだ」

 ヒノエは明るい笑い方で、譲に向き直る。

「とにかく、あんたがいなくなるとさみしいってこと! 言っときたかったんだ」
「…やけに素直だな」
「男に、言葉選んで言ったって意味ないっていったのあんただろ」

 ぷっと吹き出した譲につられてヒノエも笑った。



 ヒノエが腰をおろしたのはさっきより少し近い距離だった。
 そのことに気付かないくらいに、二人は余所余所しい関係ではない。

 ぽつぽつと思い出話をしていた。
 ときどき訪れる短い沈黙も苦にならない。

「もし」

 その短い沈黙の後に、ヒノエが言う。

「オレが源氏じゃなく平家についてさ、源氏を滅ぼしてたら白龍は力を蓄えられなくて、譲は帰れなくなってたよね」
「自分が勝つこと前提かよ」

 呆れたわけではないが、茶々を入れるとヒノエの視線がこちらに向いた。

「おかしいかい? 熊野が味方に付くんだ、当然だろ」

 譲はヒノエに笑い返してやって、同じく切り出す。

「もし俺が、八葉の仕事を投げ出してたら、白龍の力はいつまでも溜まらなかったのか?」
「どうかね。将臣は休みまくってたけどこの結果だし」
「じゃあ…」

 どうしたら譲が帰らなくなるか。
 ありもしない想像を二人は話した。それももう、変えられない過去の話を。

「じゃあ、白龍を殺したら…」

 譲の言葉にヒノエは片眉を上げて見せる。

「物騒なことを言うね」

 冗談にしても恐ろしい、とヒノエは肩をすくめて続ける。

「でもお前も言おうと思ってただろ」
「まあね。だけど、神様を人間がどうこうできるもんでもないさ」

 そうやって意味のないやり取りをしながら、遠い宴席から聞こえる談笑を聞いている。

 手を握ったのはどちらが先だったか。
 譲が庭石の上に置いていた手に、ヒノエが手を重ねたのか、それとも逆だったのか。
 どちらでも構わない。二人の手のひらは合わされて結ばれている。

 この気持ちは友情ではないと、お互いに気付いていた。
 けれどお互いが、いつか来る別れを恐れて口に出さなかった。

 ヒノエの手から、体温が伝わる。拍動も聞こえてきそうだ。これは自分の心臓の音かな、と譲は思って小さく笑う。

「望美を、ちゃんと元の世界に送り届けろよ。望美のことを好きなあんただから、オレは…」

 暗闇に目をやって、ヒノエは珍しく言い淀んだ。

「もちろん、当然だろ」

 譲は努めて明るく言う。

「そっちこそ、先輩追いかけてくるなよ。俺は熊野を守って、誇っているヒノエだから」

 譲は一息置いて、ためらいで言葉を紡げなくなる前に口を開いた。

「好きだ」

 言わないつもりだったが、これが最後と思うと言わずにはいられなかった。

「…かっこ悪い。オレが先に言おうと思ってたのに」

 拗ねたヒノエの声に譲はそちらを見る。ヒノエも顔を上げて、譲を見た。

「オレ、女々しい別れは嫌いなんだ。でもあんたには未練ばっかり」

 肩に、体温が触れる。いつのまにかお互いに寄り添っていると気付いても体を離す気にはなれない。

「じゃあ、それって真実の恋ってやつじゃないのか」
「言うね」
「俺は、それかもしれない」

 吐息がかかる。前髪同士が触れている。

「離れられなくなるから、言わないつもりだったけど、一度だけ口づけてもいいか?」
「今更聞くなよ」

 確認されると気恥しくなる。譲はほんの少し顔をずらして眼鏡をはずす。
 すぐに、唇に体温がもたらされた。重なる手のひらに力が籠る。
 頬が濡れる。泣いているのは自分か、ヒノエか。

 長いようで短い時間。泣き顔を見られたくないのか、ヒノエは唇を離すと同時にきつく抱きしめてきた。

「好きだよ…譲」

 涙声だった。
 譲もヒノエの背中に手をまわして、抱きしめた。

「初めて、キス…口づけした」
「それは、光栄だね。オレが譲の…初めての男だなんて」
「泣いてたら、様になってない」

 笑い飛ばそうとしたのに、譲も涙のせいでうまく話せなかった。

「明日は、笑って別れようぜ」
「そうだな」

 しばらく、二人はそうして抱き合っていた。
 雲が再び月を覆い、次第に暗くなった。



「まさか、どこかで倒れているのか?」

 急に立ち上がった九朗に、宴席の笑い声が止まる。

「何、急に、九朗さん」
「譲だ。少し遅いと思わないか?」

 既に半刻近く経っていたので、今更それを言いだした九朗に一部の人間から冷ややかな視線が送られた。

「迎えに行っ…」
「ちょっと、九朗さん!」

 足を踏み出そうとする九朗の袖を望美が引っ張った。

「まだ譲くんがいなくなって少しも経ってませんよ。飲み過ぎてません?」

 望美に無理やり元の位置に座らせられ、九朗はそうだったか、などと酔っ払いらしい発言をしている。
 宥めすかされて酒をあおらされている九朗を横目に将臣は冷静だった。

「積もる話もあるだろうよ」

 こちらも空になって久しいヒノエの席に目をやって一人呟く。
 弁慶がくすりと笑うのが聞こえて、そちらを見る。

「さすが兄上殿。よく見ていらっしゃいますね」

 からかわれたような気がして、眉間に皺を寄せる。

「帰ってきたときの譲の言い分によっちゃ、ただじゃ済まないかもしれないがな」
「不出来な甥でよければ、簀巻きにでもしてください」

 弁慶は楽しそうに言うと、濡れ縁に身を乗り出した。

「月の位置がずいぶん変わりましたね。この様子だと、二人は明日の朝まで帰ってこないかもしれませんよ」

 にっこりと将臣に向けて笑う。
 将臣が眉間に皺を増やし、立ち上がった。

「探しに行ってくる」
「将臣くんが覗き見…じゃない、探しに行くなら私も行きたい!」

 九朗を宥めすかす作業をやめて、望美が立ち上がる。

「望美、今譲くんの味方みたいな顔をしていたじゃない」
「俺も行くぞ!」

 驚く朔。九朗も身を乗り出す。
 急に盛り上がり始めた皆を見ながら、弁慶は素面のような顔をして何杯目かわからない杯に口をつけた。

「ヒノエにしては純愛らしいので、手は出してないと思いますけどね」

 皆を見て目を細めた。

「この騒がしさも明日までと思うと寂しくなりますね」

 弁慶の本音は誰にも聞かれず、月だけが見ていた。




20100809


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