愛しちゃってるから
蝉が鳴いているのにも慣れてきた。エアコンがないことに最初は不安を感じたものの、3年もいればたいした事ではない。
それよりも将臣は目の前の光景に、腰を抜かしそうなほど驚いていた。
望美となんとはなしにとりとめもなく喋りながら、宿泊している宿の庭を歩いているときだった。
この宿は小さくはないが、大所帯の神子様と八葉ご一行様は、宿を貸しきりにしているも同然のような格好であった。
つまりどこを歩いても大抵は顔見知りに出会う。
聞き覚えのある声が聞こえてきてまたか、と将臣が思った。
「つれないね、そんな風に俺を焦らして、人が悪いね」
将臣が眉をひそめ、望美が目をわずかに見開いたのはその言葉がはっきりと聞き取れる場所に来てからである。
含みのある声音に言葉。声の主は女と見たら口説かずにはいられないと言わんばかりに、望美にもアプローチをするヒノエである。
誰か女性を連れ込んでいるのだろうか。将臣は望美に引き返そうと目で訴えた。
しかし、それは途中で止まる。
「あのなあ、今何時だと思っているんだ」
将臣がこの声を聞き間違えるはずがなかった。実の弟だからだ。ヒノエに答えたのは譲。
「愛を語らうのに時間が関係するとは思わなかったな」
「邪魔するなよ」
譲の声は、言葉どおり拒絶しているようではなかった。ヒノエほどではないが、どことなく甘い声音。
将臣は愕然として、しばらく固まっていたが早足で声のもとへ近づいた。
「将臣君!」
望美が制止しようと声をかけるが、間に合わず、死角になっていた室を覗き込むと、繕い物をする譲と、彼と息が触れ合うのではないかという距離に迫るヒノエの姿があった。
二人は今、並んで座っている。繕い物と、裁縫箱は部屋の隅に寄せられていた。ヒノエはいつもと変わらない風に、譲は赤い顔を俯かせ小さくなって座っている。
向かい合わせにはどっかりと腰を下ろし、しかし目は泳いでいる将臣と、いつもと同じ顔をした望美が座っている。
「だいじょうぶ! 私気づいてたよ」
何がだいじょうぶなのかわからないが、明るく言う望美に、譲は驚いて顔を上げた。
「え?」
「二週間くらい前からかな、なんか雰囲気違うなあって」
言い当てられて譲は更に顔を赤くして俯いた。ヒノエは驚いて望美の顔を見つめる。
「…神子姫様ってすごいんだね」
「なんとなくね」
女のカンってやつかい、とヒノエは尋ねた。表情には見せないが珍しく動揺しているのが声にわずかながら現れている。
望美はにこりと微笑んだあと、少しまじめな表情になって、
「せっかくだし、…前から言おうと思ってたんだけど。二人は付き合ってるんだから、譲君、私のこと今までみたいに色々してくれなくてだいじょうぶだよ。その分ヒノエ君に時間割いてあげて?」
そう言われて譲は望美を見てぽかんと口を開けた。さーっと血の気が引いていくのに気付く。
「先輩…」
甲斐甲斐しく望美の世話をこなすのは、もはや生まれてこの方確立された譲のライフワークのようなもので、拒絶されてすっかり消沈している。ヒノエもその表情に思わず同情した。
「…盛大に振られたね…」
付き合っているのは望美と譲ではないのだから、こういう言葉を使うのは違う気がするが合ってるなとヒノエはしみじみ感じた。
「…ああ」
短く返事をして小さく頷く譲。
「望美、あんたを大切に思っているのはみんな同じなんだ。特にあんたを昔から知ってる譲は何かと構ってやりたいんだろうさ。今までどおり、譲に世話を焼かせてやってくれないか?」
真摯な口調のヒノエの横顔を、譲は不思議そうに見る。
「ヒノエ君がいいならいいけど…」
「そう。よかったな、譲」
「…先輩!」
ぱっと顔を明るくする譲。
「ありがとうございます。…ヒノエも…」
二人は目を合わせて微笑み合った。
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
話が一段落するまで、すっかり硬直していた将臣はようやく口を開いた。
三人は将臣を見る。
「えーと、いまいち話が飲み込めてないんだが、どういうことだ?」
目をうろつかせながら頭に手をやり、がしがしと掻いた。
「ああ、将臣君はあんまりみんなと一緒に行動してないもんね!」
望美は納得とばかりにぱんと手を胸の前で合わせた。
「実はヒノエ君と譲君は付き合ってるんだよー」
「え?」
「だから、二人は恋人同士なんだよ。意外と鈍いね、将臣君」
きっぱりと言われて譲はまた目元を赤くし、さすがのヒノエも少し決まりが悪そうに空中を見つめる。
その仕草は今の言葉を真実だと言っているも同然だ。
「…マジで?」
今までの流れ上そう気付かなかったわけではない。しかし認めたくない心が、将臣の考えを否定していた。とはいえ、こうして言い切られてしまっては自分の考えが間違っていなかったことを認めざるを得ない。
「ラブラブなんだからー!」
「せ、先輩! そんなことは!!」
「らぶらぶって何?」
望美はきゃあきゃあと騒ぎ、譲は慌てて声を上げた。ヒノエは不思議そうにきょとんとしている。
「ゆ、譲っ!!」
将臣が強い調子で言って、場はしんとなり皆が再び将臣を見た。
「そこに座りなさい!」
勢いで立ち上がり二人を指差す将臣。
「もう座ってるよ」
「茶々入れるなよ」
小声でヒノエが呟き、更に小声で譲が叱る。二人がやりとりしていても将臣はそれに触れなかった。
「お前はまじめすぎるから、変な女に引っかからないか心配していたが、まさか変な男にだまされてるとは…」
父親口調で説教を始める将臣にヒノエは口を尖らせた。
「変とはお言葉だね」
また小声で呟くが将臣には聞こえていない。
「だまされてなんかいないよ。兄さんに報告するのが後になったのは謝るけど」
まじめな顔でそう言い放った後、譲は視線を下ろし独り言のように呟く。
「いや、結婚するわけじゃないし…別に恋人ができたくらいじゃ報告しなくてもいいのか…?」
今度は小さな呟きまで将臣に聞こえていたようである。
「じゃあ、本気なんだな…」
「…まあ…いや、本気だよ」
兄と目を合わせしっかりとした声で言う譲を見つめて、ヒノエは感心していた。こんな風に譲の口から聞くのは初めてだ。
「なんてこった! 俺は絶対お前を望美のところに婿にやるつもりだったのに! 大人になっても隣に譲が住んでたら、いつでもうまい飯にありつけてすごくいいなあとか思ったのに!」
取り乱す将臣を譲は顔をしかめて見た。
「なんか兄さんの都合だけのような…」
「いつまでも三人でいられたらいいなとか思ってたのに!!」
「先輩にも選ぶ権利はあるだろ」
大声で訴える将臣に、譲は冷めた口調で返した。
「望美、俺の気持ちわかるだろ?」
「…まあ、譲君は家事もできるし」
じっと黙っていた望美だが、将臣の剣幕に押されてやっと答える。
「優しいし、旦那さんとしてはものすごくいいと思うけど…」
「先輩」
望美の優しい言葉に感動する譲。
「…でもま、ヒノエ君のものだしね!!」
将臣はまたも顔色を変えて固まり、譲も青ざめた。
「なんか遠まわしに恋愛対象じゃないといわれたような…」
「考えすぎだし、考えるなよ」
落ち込む譲にヒノエは冷静に突っ込む。更に望美が追い討ちをかけた。
「譲君は熊野にお嫁に行くから旦那さんにはなれないよ」
「よよよよよよよよ嫁?!」
その言葉の選択に将臣は今日一番という錯乱を見せ、譲が立ち上がりかける。
「お、落ち着いて兄さん!」
「落ち着いていられるか!」
将臣は今にもヒノエに殴りかかりそうな気配。
「先輩も冗談きついですよ」
「間違ってた?」
譲が望美に助けを求めると、望美はきょとんとして混乱を見ているだけだ。
「あんまり過保護なのもよくないと思うぜ、兄さん」
ヒノエが頭に血が上った将臣をからかう。
「お前は黙ってろ、っていうか兄さんって言うな!」
「俺も当事者の一人だと思うんだけど、兄さん」
「ヒノエもやめろよ!」
「なんか平和だねー」
望美が一人だけぼんやりと眺めていた。
20100626
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