容赦なく、きみは


 鈍く、重たい色をした雲の厚みから察するに、そろそろ泣き出すのだろうなと、とりとめもなく思う。この空が眩しい太陽の光を受けて青く輝き、慎ましやかな雲を浮かべている光景を最後に見たのは……はて、いつだったか。
 思い出せない自分が、少し寂しくもあった。

「目ぇ、覚めましたか」

 耳に馴染む声が背中側から聞こえた。彼、山崎くんの位置から私の顔は見えない。私からもそうであるように。
 それでも山崎くんに私の目が覚めたと分かったのは、彼がそういうことに敏感な性質を持っているからである。監察方という役割を担う彼は、人の気配にめっぽう鋭いのだ。

「いったい私はどのくらい」
「四日……まぁ、もっと長う感じましたけどね」

 鼻先を掠める消毒液の匂いと、山崎くんが薬を煎じていたのだろう、乾いた薬草の独特な香りが風に乗って目に沁みた。
 頭はまだ少し靄がかかったようにぼぅっとしているが、視界は良好だ。泣き出した空の涙、その一粒一粒を捉えることも容易かった。

「犬っころなんかはじっと待っとれへんから、ずうっと竹刀振っとる。まぁここに居ったかて何の役にも立てへんしなぁ。せやから、あいつ……伊織もそれに付きおうてます」

 尋ねたわけではない。けれど尋ねようと心に浮かべて止めたのを、やはり彼には気付かれた。まるで独り言のように淡々とそう紡ぐ山崎くんを振り返る勇気はない。
 寝台の上で、少しずつ荒々しさを増す雨の様子を眺めながら、なんでもお見通しなんですねえと笑えばいいのだろうか。分からない。

「すみません……」

 口をついて出たのは、中身のない謝罪。日頃から挨拶のようにその言葉を使っているせいで、意識するよりも早く言葉になっていた。

「それはなんに対してや」

 ほら、そんな言葉で彼が満足するわけがないことは自分が一番よく分かっていたはずなのに。

「今やったらちょっとはあいつの気持ち、分からんこともないなぁ――ほんま、腹立つわ」

 作業をする手の動きが止まったのは音で分かった。使い古された木の椅子が小さく悲鳴を上げて、人の気配がこの背に少しずつ迫るの感じながら息を詰めた。怒気を含んだ山崎くんの声がこの名を呼んだとき、僅かに痛んだのが新しい傷なのか、それとも別の何かなのか判別することも難しい。

「由紀代さん。あんた、ほんま腹立つで」
「ですから、」
「ッるさいわ。ちょぉ黙り」

 肩に掛かった彼の手が、強引に身体を振り向かせた。まだ回復途中の傷が痛み、息を呑む。けれどもそんなこちらの負傷にすら彼は、一切の遠慮すらなかった。それだけ、山崎くんは怒っている。視線の先、噛み締めた唇の淵が震えている。静かに燃える炎が、瞳の中で揺らいでいた。

「あいつが何のために、ぼろぼろになってまであんたを連れて帰って来たんか考えたことあるか?あんたの言うことに今まで一度だって逆らったことなかったあいつが、置いていけと言ったあんたにそうできんかった気持ちを。あんたは自分自身の中で色んなことに踏ん切りついてて、どうなったとしても受け止められる心構えがあるか知らんけど、あいつはまだ何にも準備出来とらんのや」

 幼い頃から、我が子のように育ててきた愛しい弟子の悲痛な表情は未だ脳裏に焼き付いている。よく笑い、よく怒るくせに、涙だけは滅多に見せないその子が、私の放ったたった一言で、その頬に落涙させたのだ。それは私にとっても初めてのことで、正直戸惑った。分かっていると思っていた。理解されていると、自惚れていた。
 私がいつだって"死にたいと思っていること"を、あの子はもうとっくの昔に飲み込んでいると思っていた。

「あいつの親代わりやって言うんやったらなぁ、もうちょっと待ったれや。あいつに心の準備が出来るまでは、何が何でも生きる努力をしたってくれへんか。せやなかったら、あいつは……二度と笑えんようになってしまうで」

 鋭く、強く、向けられた眼差しの中に僅かな彼の心の痛みを見た。こんなにも、あの子を想ってくれていたとは……少しも気付かなかった。伊織が彼を慕うようになった理由がようやく分かった。直接的な言葉はなくとも、彼から伝わる何かを感じ取ったのだろう。昔から、そういうことに長けている子だったから。だからこそ……私の気持ちすらも理解されていると読み誤ったのだけれども。

「死にたがりは此処にいらんけどなぁ。局長も、副長も、沖田さんも鉄も俺も、それ以外もあんたと伊織のことはもう家族みたいなもんやと思っとる。それがあんたをもうしばらく此処に引き止める理由には、ならんか?」

サイトの開設当時から考えてたのに始められなかったピスメの連載用設定から。
新撰組に監査という目的で派遣という名の厄介払いをされた人とその弟子が絡むお話。男所帯に異質な女二人、理解されずに苦労をするも次第に実力を認められて受け入れられていくっていう感じ。
とは言っても、由紀代さんはお家都合で男として育てられてきたちょっと変わった方。穏やかだけれど、色んなことに執着がないのでちょっと気味悪がられることが多い。あとはあんまり人の気持ちとか分からないので空気の読めない人になることも多い。ものすごくリアリスト。近藤さんが度々泣かされます。その度土方さんにもうちょっと言葉を選んでやってくれと諭されるような関係に発展。
伊織は天涯孤独で幼い頃から由紀代さんに育てられてます。歳上に対して鬼のツンデレで鉄にはすぐ馴染んだものの、他の隊士にはなかな難しい。でもなんやかんやで山崎くんに恋しちゃう。
20240106



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