ロマンティック理論


 触れた人差し指はその一瞬を逃すことなく捕らえていく。鼓膜に響くシャッター音が胸に心地よくて思わず、異性と身体を重ねるよりもよっぽど官能的だと思わないかと目の前の美人に問えば、そんな変態はお前くらいだと罵られた。失礼なやつだ。この仕事で飯を食っていける人間なんてほんの一握りだというのに、幼馴染の彼は昔からの付き合いが故か未だにあたしの趣味且つ立派なこの職業をどこか馬鹿にする。

「顎引いて、目線はもう少し上……そう、そのまま」
「いい加減辛くなってきたんだが」
「あたし約束破る男ってキライ」
「……分かった分かった」

 ファインダー越しの立ち姿は、かつて舞台役者だっただけあってその辺の一般人とは比べ物にならないくらいに綺麗だ。ピンと伸びた背筋と風に揺れる髪が無駄に艶やかで少しだけ嫉妬しそうになる。湿気を含んではくるくると好き勝手な方向にお出かけし放題のあたしの髪とは違うさらっさらの真っ直ぐな髪。一体どこのシャンプーを使えばそうなるのか今日こそ聞いてやる。そんなくだらないことを考えながらでもシャッターを切る指は止まらなかった。
 濃く研いだ墨に夜空の紫を足したような色をした髪からは片時も視線が離せない。それは、まるで生き物みたいに風になびいてはあたしを誘惑する。心拍数は自然と上がり、春先のひんやりとした風が妙に心地良く感じた。
あぁもう、憎いほど空の青が良く似合う。

「羽が生えたら完璧なんだけどなあ」
「おいおい、いきなり何だよ」

 昔からそうだった。
 中等部の写生の課題でバレないように彼を中心にデッサンしたときも、初めてのアルバイト代を全て使って一眼レフのカメラを買ったから試し撮りさせろと強引に被写体にした時も、現役高校生の出品を対象にした写真コンテストに出す一枚を一生のお願いだからとモデルにして撮らせてもらった時も――まぁ結果として、その後ことあるごとに理由をつけては彼を撮影してきた訳だが。
 あたしは彼を前にすると、いつもよりもずっと集中力が上がってファインダーから目が離せなくなり、最終的にはその背に大きくて精巧な翼が浮かび上がる様を想像してシャッターを夢中で切っている。
 うっかり零せば後輩であるミハエル・ブランには「そりゃあ姫だからね。天使に見えたって別段おかしくはないけどさ」だなんて笑われたわけだが、そうではなくて、なんていうかもっとこう――風雅で緻密に細工を施された石膏像のような、とにかく風に踊る柔らかな天羽のそれと、あたしの目に映るその画は少し違うのだと意図せず語ってしまった記憶もそう遠くはない。
 思い出してふと笑えば、ファインダー越しに濃いコルク色の瞳とぶつかった。自分の中の体温が少し上がるのを生々しく感じてしまい、それを悟られまいと無駄にシャッターを切る。まったく被写体としては本当に申し分ないのだが、洗練されすぎた美しさは心臓にとても悪い。
 ああ、それに関しては彼だけではないか。

「羽、か……それもありだな」

 哀愁漂うその姿に時が止まる。いつからだろう、彼がそんな風に笑うようになったのは。
 お母様が亡くなってから?
 役者の道を離れてから?
 優しいくせに、どこか寂しげなその笑顔にたまらなく胸が締め付けられる。

「もしそうなったら……アルトはどこまで飛んでいきたいの?」
「そうだな……」



 続く声は今日一番の風に、彼が愛してやまない見せかけだけの大空へと攫われていった。
いつぞ、軽い設定と冒頭だけ作ってたマクFの劇場版。タイトルは誓言碧空ヤクソクノソラ。カメラマンのヒロイン(婚約者あり)と幼馴染のアルトと、それを取り巻く人たちの話。最終決戦後、ヒロインの結婚式にアルトが帰ってくる、っていう所までのお話でした。



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