ロマンスはめない



ーー思う存分、呪い合おうじゃないか

 久しぶりに顔を見たかと思えば、その口から放たれたのはまるでお粗末な舞台セリフのようで……本当に、勘弁して頂きたい。



▽▽▽



 旧友との予期せぬ再会で感傷に浸れるほど、繊細には出来ていないと自負していた。けれども、実際はそうでもなかったらしい。誘発されるように頭の中を駆け巡る記憶、記憶、記憶。こんなもんじゃ人の腹は満たされないと分かっているのに、あの日から気を抜けば脳内スクリーンにはそれらが投影され続け……流石に多少なり精神が参ってきたところで気付けば見慣れたアパートの前に立っていた。
 何してんの、僕。これも全部、アイツの狙いなんだろうか。してやったり、とほくそ笑む傑の姿が容易に想像できたが……余計なお節介ならよしてほしい。

 学生時代から密やかに思いを寄せていた彼女は当時と変わらずここに住んでいる。築年数なんて今やゆうに40年は超えているであろう、年季の入った3階建てのアパート。一級呪術師としてそれなりに活躍をしているのだから、もう少しセキュリティも設備も整った部屋に引っ越すなりあるだろうとは思うが、彼女がそうできない理由もなんとなく分かっていた。
 まだまだ空が煌めくほどに青く見えていた頃、学友達と幾度となくこの部屋に集まってはバカをしたり、喧嘩したり、涙が出て出るほど笑ったり。胸を満たす温かい記憶がここには沢山詰まっている。
 そしてそんな場所で、彼女は今もひとりで暮らしている。

 胸ポケットからスマートフォンを取り出して、十一桁の数字をタップした。電話帳を開いて探すよりよほど早いが、十年変わらないのも、それを覚えているのもどちらにせよ大概だな、と思う。
 そして、それが夜中の一時を回っていると気付いたのは、二コール目の最後の音がなくなる直前だった。
 僕自身最近は何かと忙しかったし、彼女の方も任務が詰まっているのは知っていた。身体が資本のこの仕事、無理をさせるのは良くないとしおらしいことを考えながらももう少しだけ待たせてくれ、と耳に当てたスマートフォンを強く握る。

「はぁい、もしもし」

 少し掠れた柔らかな声。なんてことはない第一声にすら、自分の口角が上がっていくのが分かった。落ち着けよ。

「あぁ、僕。悪いね……起きてた?」
「ん。どうかした?バックアップ?」

 わずか数秒。瞬く間に胸の中が満たされていくのを感じる。彼女から与えられる全てが、擦り切れた今の僕には何よりも特効薬になるわけだ。どうしたってこんなことになってしまったのだろうか。拗らせたよなぁ、と冷静に考えながらスピーカー越しのその声を噛み締めるようにそっと瞼を閉じる。
 彼女の声の余韻に浸りながら、電話をかけた理由を適当にでっち上げるつもりがうまい言い訳が見つからない。情けないほどの声量でえっと、と呟けば、微かに笑う彼女の息遣いと「今どこ?」という言葉で鼓膜が揺さぶられた。まさかすぐ近くいるだなんて、思ってもいないのだろう。

「んとね、」

 どう頑張ったって格好のつかないセリフだったが、ここまで来ておいて怖気付くだなんて僕らしくない。できるだけ動揺を気取られないよういつもの戯けた五条悟を装って、家の前にいることを伝えてみた。

「君の……家の前だったりしてー」

 するとなんとあろうことか、鍵は開いているから入ってこい、だなんて警戒心のカケラもない台詞が帰って来た訳で。近頃の世の中は思っているよりもずっと物騒になった。何考えてんだ、と彼女の部屋の前まで一気に距離を詰めたあと、大した防御力もないくせに、重さだけは一人前の扉を開けて玄関に入り、くるりと身を翻して施錠した。ホントに開けっぱなしだったのか。そのあまりの無防備さに少し苛立つ。
 しかし玄関の薄暗い中でも、見覚えのあるシューズボックスの上で存在感を放つ写真立てに目が止まる。学生服で揉みくちゃになりながら笑い合う、懐かしい僕らの写真。わずか一ミリにも満たない紙に印刷されたそれは、目を瞑れば昨日のことみたいに色鮮やかに心に残っている。

 あの頃、世界は輝きに満ちていた。


 思わぬ伏兵に毒牙を抜かれそうになったが、違う。目的はそうじゃない。扉一枚向こう側、どんな顔で待っているのかも分からない彼女のセキュリティの甘さを一刻も早く指摘しなければ。さして長くもない廊下に踏み出してわずか二歩。薄っすらと漂う石鹸の香りが鼻腔を抜ける。下心があった訳では決してないが、ちょっとこれは反則だよなぁ、と頭を抱えた。相変わらず人を振り回すのが上手いらしい。もちろん僕とは違う意味で、だけど。
 顔に熱が集中するのを感じて、気休め程度に上着を脱いだ。そして深く深呼吸。あのさ、と玄関扉とは裏腹に恐ろしく軽い扉を押し開けてリビングに足を踏み入れる。スマートフォンを片手にソファー寛ぐ彼女の姿を直接拝みたくてアイマスクはあっさりと首元に引き下げた。ついでに乱れた髪も整えたりして。
 イラついていた数秒前の自分の意思など、今となってはなんの説得力もない。これからこの空間で主導権を握るのは間違いなく彼女の方だ。

「不用心。仮にも女の子でしょ」
「世間一般に通用する強盗だの強姦のの小悪党ごときに、私があっさりやられるとでも?そもそも呪霊に施錠って意味ないじゃん」
「まぁ、それもそうか」

 ほら、やっぱり敵わない。

 手にしていた上着をダイニングチェアにそれとなくかける。通り抜けた廊下にキッチンが備わっている2Kタイプの彼女の部屋。盗み見たキッチンにも、今し方たどり着いたリビングにも飯を済ませた様子はない。
 きちんと食事は摂っているのだろうか。彼女は昔からこちらが油断すれば何日もまともなモノを摂らず、口にするのは缶コーヒーだのチョコレートだの、栄養なんて言葉は生きてきて一度も聞いたことがありませんと言わんばかりに不摂生な生活をするタイプだ。
 それが理由で硝子や傑に叱られる度、僕のところに逃げ込んできたものだった。まぁ、結局のところ彼女が望むようなフォローをしてやれた試しはついぞなかったわけで。

「とりあえず、お疲れ。座れば?」

 緩いスウェットから溢れる手首や足首。心なしか痩せたんじゃないかと思う。ほら見ろ、お前がいないと彼女はこんなにも……それ以上考えるのはやめた。
 華奢な手がソファーを二度叩く。部屋のグレートは上がらずとも、調度品はそれなりにバージョンアップされているようで、なかなか座り心地の良いソファーに深く腰掛ける。あとは食生活にもそれを取り入れてくれていることを願うだけ。
 新調されたソファーとは裏腹に、馴染みのローテーブルにポツリと置かれた缶飲料が目に留まり、何の気なしに中身を問う。十中八九、アルコールの類だろうとは察しがついていながらそれを手に取る。こうなりゃヤケクソだ。向いていないのは分かっていたが"酒の力"というものにかけてみるのも悪くないだろう。そう思って傾けた缶の中身を体内に流し込んだ。

「え、ちょ……五条」
「……クソ、にっが。うぇ゛ー」

 ビールなんだから当たり前だ、と呆れたように彼女はこちらを見る。どうせ飲むなら、もっと甘いカクテルとか、そういう可愛いものにしてくれよ。とは口が裂けても言えない。なにせ彼女は学生の頃から一貫してビール党だったから。一応心配してくれたようで、大丈夫かと彼女が聞いてくれたが、鼻から抜ける独特の香りと苦味にたまらず顔を顰める。

「まぁ呪術高専あん時と違ってココ以外もオートで半転回してるからね。害のあるモノは内外問わず弾くか無かったことにしてるってわけ」
「なるほど。便利なこって」

 実際あまり思っていない声色で彼女は言う。まぁ、今はその術式すら解いてるわけで、口内に残る苦味と喉を通り抜けた熱がなかなか消えない。やっぱ体質的に無理かーと、丁度いい塩梅にアルコールが作用しない身体を呪った。
 ちょっと疲れた。いや、ちょっと気持ち悪い、が正解な訳だが、正すことも億劫で緩やかな目眩のように眩んだ視界に情けなく身体を横へ倒す。そこに待っているのが彼女の太ももだったということに気づいた時にはもう遅かった。顔から首がやけに熱いくせに、頬に伝わる柔らかい感触と、風呂上がりで清涼感のある香りに思考が多少鮮明になる。反転術式で手早く体内を流れるアセトアルデヒトを無かったことにして、瞼を閉じた。
 しまった。ここからどうすればいい。

 それなりに昔から仲は良かったしーーまぁそれ故くだらないことで喧嘩をすることもあったが、こんな風に彼女に甘ったれるようなことは正直一度たりともない。そもそもあの頃の僕の自尊心がそういう術を悉く握り潰していたのだ。今となっては、なぜもっと上手くできなかったのかと後悔したところでやむなし。ほんの直ぐ側に、そういうことに長けるおとこがいたせいで、張り合うように僕はカッコつけることで頭が一杯だった。
 だからこそ、僕が今どれだけ悩んだところで結局彼女はなんら気にも止めていないのかもしれないなんて……またくだらないことを思ってしまう。情けない思考を抱きながらそっと彼女を盗み見て、盛大に後悔した。

 その顔は反則だ。ほっとけるわけない。

 頬は笑んでいるのにその瞳だけが今にも泣き出しそうに湿度を上げ、唇は固く結ばれていた。堪らず上体を起こしても驚く様子などなく、強引に引き寄せるように右手で彼女の小さな頭を抱える。何かを我慢するように閉ざした唇に、そっと自身のものを重ね合わせた。
 鼻先が静かにぶつかり、刹那を永遠のように感じてしまう。どうしようもないくらい、彼女が好きだった。あの頃も今も、いつだって泣けない君の代わりに泣いてあげられたなら、何か変えられたんだろうか?

「いい加減、全部ひとりで抱えんなよ」

 その言葉が届いていたのかすら分からないが、言葉を失う彼女に再び、今度は奪うように深く口づけた。戸惑いを孕みながらも、どこか応えるように熱を求める彼女の舌先が優しく触れる。角度を変えて、息をする隙すら与えたくなかった。記憶の中にいるであろう、傑の姿を彼女の中から今すぐに消し去ってしまいたい。
 強引に抱き上げた身体が恐ろしく軽く感じる。マジでふざけんな。いっそ呪ってやろうかと思う反面、彼女がこうなることを分かっていて、きっと誰よりもアイツ自身が傷付き、後悔したのだろうと噛み締めることしかできなかった。



▽▽▽



 人の動く気配で意識だけがぼんやりと覚醒していく。昨夜の出来事を思い出すも、どうして目蓋を開けるのが億劫になる。夜が明けても腕の中に彼女が収まっていることが嬉しいのに、冷静に傷付けたのではないかと、息を吐くのが精一杯だった。
 暗闇の中でも視線を感じる。すぐ側に彼女がいて、一体どんな顔をしているのだろうか。どんな気持ちでいるのだろうか。全てを見透かす六眼も、人の内面までは辿れない。そんなことを気がかりにしていると、ふっと彼女が笑う気配がした。

「あの頃は、楽しかったよね……
 また……笑いあえたらいいのに」

 息が詰まりそうなその声に心が軋んでいく。疚しさと戦いながらゆっくりと瞼を開ければ、はらはらと大粒の涙を頬に伝わせる彼女が視界を満たした。ほら、言わんこっちゃない。ろくな言葉も浮かばずただ今は、その瞳から溢れる雫をこの手で受け取ってやることしか出来ないと思った。
 誰を思っているのか、誰のための涙なのか、そんなもの……もう聞かなくても痛いほどに分かってしまう。

「会ったんだ……傑に」

 意を決してその名を口にする。そっか、と吐息にも似た小さな小さな彼女の声に覚悟を決めるしかない。いつか、その日が来ることを先送りにしてきたのは自分だ。傑との距離をどうにかできればいいのにと、心のどこかで夢見ていたのかもしれない。
 けれど、過ぎた月日の分だけ、心の隔たりが目に見えて現実になり、もう戻れないのだと認めることしかできなくなった。漫画や映画の世界のように、都合よく歩み寄れる機会など神様は少しだって与えてくれない。いつだって呪いは僕らの側でほくそ笑んでいるというのに。

「次に会うとき、僕は……
 今度こそ傑を殺さなくちゃならない」

 目の前で黙って涙し続ける彼女が、どういう選択をするのか、それを聞くのが本当は一番怖かった。彼女はずっと傑を見ていたし、愛していたし、信じていた。僕が彼女に対してそうであったから、よく分かる。

「あのさ……僕のこと恨んだっていい、呪ったっていいッ……けど、君には……生きててほしい」

 親友をこの手で終わらせることよりも、愛する人がいなくなる恐ろしさを考えてどうしようもなく不安になってしまう。こんな僕を見たら、多分あいつは酷いなと思いつつも腹を抱えて笑うのだろう。
 そして「だから素直になりなって言ったじゃないか」と容赦なくそう放って、それでも背中を叩くに決まっている。そう、僕らはどこまでもフェアで対等だったから。
 バカをして笑ったり、死ぬほど小さなことで喧嘩をしたり、共にたくさん怒られもしたし、褒められるようなことの方がずっと少なかった。そんな仕方のないクソ餓鬼だったけど、それでも俺たちは彼女が好きだったし、お互いに負けるつもりなんてなかったし、譲りたくもなかった。それに加えて、絶対的な信頼で繋がってもいた。
 だから傑は、彼女のことには一切触れずに離れていったのだろう。彼女の意思を尊重して、彼女自身に選ばせるだなんて……酷なことをしたと言えばそれまでだが、それが傑なりの精一杯のケジメだったのだと僕は思っている。

「五条……大丈夫だから。それは絶対しない」

 定期的に彼女の涙を拾っていた指先を包むように、その手が添えられた。柔らかくて、温かくて、染み渡るように優しい。
 彼女はもう、泣いてはいない。もとより強くて優しい女性だった。そして、気付けばそんな彼女にどうしようもなく惚れこんでいた。

「ねぇ、私はそんなに弱くない。それは五条だってよく知ってる。私、諦め悪かったし」

 ああ、知ってるさ。今、彼女の隣にいるのが傑ではなくて僕だと言うことがその答えだ。きっと、アイツを追って呪詛師になる選択がなかったわけじゃない。それでもそうしなかったのは、僕と同じように傑を信じていたからだろう。

「だからずっと言えなかった」

 手の平を返して彼女の指に自分のそれを重ね合わせた。ほっそりとした指は強く握りしめれば折れてしまいそうで、砂糖菓子に触れるみたいに優しく此方へと引き寄せる。そして、その薬指にそっと触れるだけのキスをした。

「僕だって、好きだったさ。
 もちろん今でも、ずっと」

 ゆっくりと面白いほどに見開かれる目。驚きのあまり口を開いたまま瞬きを繰り返すことしかできないでいる彼女に思わず笑みが込み上げた。やっぱり、伝わってるわけないよな。
 ほんと、バカだったよ、あの頃の僕は。傑、お前の言う通りだった。

「そうだよねぇ」

 悪いのは全て幼稚だった若かりし日の自分だったが、これからは全力で分からせてやると言わんばかりにその身体を抱きしめる。柔らかい髪に包まれた頭を撫でながらシャンプーだろうか、熟れたアプリコットみたいな香りで鼻腔を満たす。落ち着かないのかモゾモゾと胸元で彼女が動くもんだから、毛先が首元を撫ぜてくすぐったくなる。

「まぁそういうことだから。すぐに返事が欲しいとは言わないけど、頭に入れといてよ」

 おずおずと此方を見上げるようにした彼女の耳元に囁いてやれば、そこそこ満足した。報われてもいないのに、伝えられたことが幸せだなんて単純過ぎてホント笑っちゃうよね。

「待って待って、パニックなんだけど」
「ハハ、そりゃ好都合だよ」

 ズルい!と情けない顔で訴えるように言う彼女だったけれど、次の瞬間には絆されたように大人しくなる。そうして、消え入りそうな声でもう一度「ほんと、ズルいよ」とジッとこちらを見つめていた。
 ビー玉みたいにまん丸の彼女の瞳に、ようやく僕という存在が色付きだしたことが、何より嬉しい。傑に遠慮したつもりなんて一度もなかったけど、僕だってもう片生い子供じゃない。ずっと温めてきたこの気持ちを、今度こそきちんと彼女に告げていこうと思った。

ロマンスは冷めない 完

「それでさぁ。アイツ全然気付いーー」
「いえ、もう結構です。ご馳走様でした」
「七海も彼女とか作った方がいーんじゃない?」
「一応言っておきますが、話を聞いた限り貴方だってお付き合いしたわけではないのでしょう?虚言癖は嫌われますよ」
「ほんとお前は昔っから僕に厳しいよね」
「これが嫌なら家入さんにでも聞いていただくなりすればよろしいかと」
「もう散々話しまくって追い出されたわ」


あとがき+α

これはもう高屋の趣味でしかありませんが、高専五条くんは不器用であって欲しい。自分の感情が揺れ動くのに、自分で振り回されてしまえばいいと思ってます。好きな子をいじめる典型的なタイプでいて欲しい。それが不特定多数に見た目だけでモテるイケメンの運命だと思ってます。違

20240502



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