とある日の五条悟の記憶



 見渡す限りに激しい戦闘の名残があった。補助監督も含めたいくつかの屍と、噎せ返るような血の匂い。どの死体も指先から順に、手首、肘、肩と順に落とされ、それが終われば足、脹脛、膝、腿と削がれて行った形跡がありありと残っている……天井の高いこの場によく響き渡ったであろう絶叫と戦慄が五条には容易く想像できた。
 手足はバラバラにされているにも関わらず、至って綺麗に残される胴体から上。ここに辿り着いた次の生贄が絶望するこの状況。こんなタチの悪い殺し方を好んでやるのは呪詛師に他ならない。一体、事切れた彼らに何の恨みがあったのだろうか。
 いや、ただの趣味だな。
 浅く溢れたため息と共に唯一五体満足でうつ伏せに転がる死体を足でひっくり返す。おそらくトドメを刺した相手の逆鱗に触れたのだろう……散々殴られて腫れ上がった顔からは、もうその呪詛師がどんな面をしていたのか判断するのは難しかった。
 ハイ、ごしゅーしょーさん。

 被害者、加害者。立場は違えど、どうしたって彼らの命も時間も戻らない。同情しても致し方がないと徐に見渡しただだっ広いその駐車場の一角。右側頭部から頬の辺りまでがえぐれて頭から血を流した上に左肩の先を失った男が一人、死ぬギリギリのところで呼吸をしていた。息遣いは至って静かだが、呪力はすでに全く感じられない。誰が見ても分かる。手遅れだった。

「アンタ、閏間誠一だろ」
「かの有名な、五条悟クンが……私のことを知ってくれていたのか……光栄やなぁ」

 時折息を整えながらではあるが、この状態で尚、思っていたよりハッキリと言葉を紡ぐその姿に五条は少しだけ関心が湧いた。閏間誠一。実際会うのは初めてだが、なるほど……噂通りタフな男らしい。
 標準語と西の訛りが混ざる独特の話し方をする、閏間家の現当主にして、同じく特級術師。なるほど、また一人、呪術界は惜しい人材を失うことになるらしい。

「いやいや、謙遜かよ。呪術師界隈でアンタのこと知らないやつとかモグリだっつの」

 閏間と言えば御三家に次ぐ名家、呪術師家系の中でも珍しく女性が強い一派で、それ故禪院家との関係は言うまでもない。歴代の当主は勿論全て女性。圧倒的な術式範囲と呪力操作、そして類稀なる対人センスで男として当主に収まったのはこの閏間誠一が初めてと聞く。その上、弱冠十五歳。歴代最年少で、だ。

「で、そろそろ死にそう?呪力も空っぽ、反転術式も使えないでしょ」
「あまり長い人生ではなかったけど……ここまで、ってことやね」

 流血から免れた左顔がゆったりと微笑んだ。頭半分が潰れかけているにも関わらず、その均整の取れた顔立ちには目を見張るものがあった。闇より深い漆塗りの髪とは裏腹に、色素の落ちた藍墨色の瞳。確か北欧の血が混ざっていたと聞くが、緩やかに弧を描いて流れる眉がどこか女形のように、日本人ならではの優美さを持たせている。
 血塗れでなければ、その辺の女優やモデルよりもよっぽど美しいな顔をしているのだろう。薄い唇だけが男のそれだった。

「五条クン、少しいいかい?」
「死にかけのわりによく喋んじゃん」
「その死にかけに……もうちょっと優しくしてみぃひん?」

 ふふ、とか細い笑い声。今まさに命の灯火が消えんとしているこの状況で、閏間誠一はとても穏やかに笑った。だが、その瞳からは少しずつ、光が失われていく。形の良い唇の端から新たに一筋、血が滴った。

「妹がいるんだ」

 コチラの意思などお構いなしに話し始めた彼に「へぇ」と相槌を打ちながら携帯を手に取る。手こずっているからと応援に寄越されたわけだが、全て目の前の男が始末をつけてしまったのだから、長居は無用だ。ワンコールで繋がった先「バーカ、もう片付いてんじゃん」という言葉に息を飲む伊地知の気配がスピーカー越しに伝わってくる。
 そのまま片手間に通話を続ける五条に、最早見えているのかすら怪しい閏間誠一の瞳は未だ向けられたままだった。

「見守ってくれへんかな……きみほどの男が……あの子のそばに居てくれたら、わたしもあんしんして死ねる」

 死に際の人間が託す言葉にしては、どうにも響き方が美し過ぎる。その言葉は、よもや懇願というより、祈りに近かった。

「それ、僕じゃなきゃダメなわけ?」

 耳に当てたままの携帯からは、伊地知が不安げに呼ぶ声がした。こっちの話、と適当に呟けばすぐに車を回す旨が伝えられる。

「……あえば、わかる……わ。きみ、やないと……あかん」

 緩やかに落ちた瞼に、彼に残された僅かばかりの時間を感じ取る。口元は緩く弧を描いたままだ。死を目前にすら揺るがないその精神力が彼を呪いにすることはないのだろう。

「は?意味が分からん。僕こう見えて結構忙しいん、だけ、ど」

 当初報告されて駆けつけた場所よりもかなり南にズレていたこの位置情報を伊地知に送りつけたところで、閏間誠一は静かに息を引き取った。
 浅くため息。そもそも、妹って確か……非術師だったろ。
 呪術界の教養として、ある程度の名家の情報は頭に入ってはいる。興味もなければ関係もないのが実際のところだが、そんなわけにもいかない……というのが閏間家相伝の術式の特異性にあった。
 六眼なしには使いこなすことが圧倒的に不利な五条家の無下限呪術のように、並のメンタルでは術式効果から得る情報量に押しつぶされてしまい、自殺者が後を立たないのが閏間家相伝の術式"深心聲聴"。閏間誠一のように巧みに扱えた上で、呪術界を上手く立ち回れるような頭の良い人間は滅多として現れない。そんな彼がいなくなったとあっては、今後の閏間の位置関係で上が揉め、派閥間で波風が立ち、厄介ごとが増えるのは目に見えていた。術式を持たない閏間誠一の妹は、さぞ風当たりの悪い思いをするだろう。
 あーほんと、厄介な人間が死んだよなぁ。
 閏間誠一という男がいることで、バランスの取れていた界隈が一気に崩れるのだ。五条悟の名を持ってして、どこまでのことができるのか。そんなことをしている場合じゃないんだけど、と五条はそっと閏間誠一の前にしゃがみ込む。

「……勝手に託して死ぬとか
 勘弁してよ、オニーチャン」

 五条は、満ち足りた表情で静かに眠るその顔に、思わずデコピンでもしてやろうかと考えて、さすがにやめた。

とある日の五条悟の記憶 完


あとがき

厄介なオニーチャンが多い世界線、それが呪術廻戦!!!ってわけではないですが、閏間さんの兄登場。多分五条さんがいない世界線だったら大いに活躍していたであろう実力者。相伝の術式をベースに呪具で戦うタイプです。細かい呪力操作が得意で、人間関係を作るのも長けている、けれど長いものに巻かれるわけでもない、そんなお方。え、有能すぎない?
いや、初回登場で死亡させられるがゆえの贅沢設定です。

20240408



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