なまえのはなし



「あ、五条先生。五条先生」

 明るい髪とその手を揺らしながら、駆け寄ってきた悠仁。ずっと先からでもよく通るその声に視線を投げる。
 んー?どーしたのー?
 そう尋ねながらも伸ばした手の先、伊地知に買って来させた日本初出店のショコラトリーのチョコレートを一体どれから食べるべきか。そんなことを考えていた。

「ちょっと1個質問、いい?」

 もちろん。吐き出すのと同時に親指ほどの大きさの小さな茶色い塊を口内に放り込む。あ。キャラメル入ってるんだ、これ。いいねぇ。

「え、せんせー聞いてる?」
「聞いてる聞いてる」

 鼻から抜ける甘い余韻に浸りつつ悠仁にアイマスク越しに視線を移せばちょっと困ったような、疑っているような、でもさして気にもしていないような……そんな顔をしていた。
 すっかり高専にも慣れて日々目まぐるしく成長していく悠仁には、僕はとても期待をしている。積極的に稽古をするし、呪力への理解も早い。呪霊を前に適度に思考もぶっ飛んでるし、今の呪術界にとっては本当に大切な逸材だ。しかも、恵と違ってデフォルトで素直なのもポイント高いよね。
 そんな悠仁の質問。呪力操作かなにかで躓いたか?正直僕はあんまり言葉で教えるの向かないんだけど。悠仁の場合はわりと感覚派なので、まぁ大丈夫そうかな。

「五条先生と閏ちゃんさんがさ、結婚してるってことは、閏ちゃんさんは本当は五条みちるさんなわけだよね」

 あぁ、そういう感じの質問ね。久しぶりに彼女と五条の苗字がセットにされて、少しだけこそばゆい気持ちになった。いや、悪くはないんだけどさ。
 彼女自身も基本的に旧姓を名乗ることの方が多いからーーまぁ多分それは意図的だからーー正直とても新鮮だ。僕の方は未だに気分は新婚夫婦のつもりなんだけど、いかんせん彼女からの扱いは熟年夫婦以上のそれである。たまに空気みたいにもされるし、この僕が、だ。

「うん、そうだね」
「でもみんな閏間さんって呼ぶよね。それに五条先生も、閏ちゃんって、さ。それが、なんでだろー?って唐突に」
「んーやっぱ気になる?気になっちゃう?」
「うん、なるなる!!」

 至極素直な悠仁のリアクションにそうは言ったものの、実際今まであんまり気にしたこともなかったんだよね。五条、って言うと僕の存在が大きすぎるから、多分何となくみんな閏間で呼んでるんだろうし。悠仁が言うように、僕が閏ちゃんって呼ぶから引っ張られてるとこもあると思う。

「他の男にみちるさんの名前、呼ばれたくないんだよ、この超ド級の束縛男は。だから二人のときは名前で呼んでるよ?キモいだろ」

 するっと現れた数少ない同級生。

「キモいって……言い過ぎでしょー硝子」
「……あー、いや。先生らしくて……まぁ」
「うわ!悠仁もちょっとヒいてんじゃん!」

 硝子が余計なこと言うから、可愛い生徒からの視線が心底ぎこちないものになってしまった。まぁ確かに一理あるかもしれないけど、僕はそこまで器の小さい男じゃない。別に七海や伊地知が閏ちゃんのことを"みちるさん"って呼んだって……
 いや、なんか腹立つな。特に伊地知。

「まぁでもどっちも五条さんだと呼び分けしにくいからね。それに閏ちゃんの方がなんか可愛げあるし、みんなも親しみやすいでしょ?」

 この際追撃されたら閏ちゃんが照れるから、とかテキトーに言っと……くのはやめた方が良さそうだね。わりと冷めた目で此方へと歩いてくる彼女を見つけて邪念はさっさと追い払う。間に合え。

「それは何か?あたしに日頃愛想がなくて取っ付きにくいのが問題やと?」
「言ってない言ってない」
「どうせコイツ、みちるさんが照れるからとか適当に言うつもりでしたよ」
「それも言ってない言ってない」

 なんだよ、硝子まで閏ちゃんみたく読心術の習得しちゃったわけ?あー怖。

「ちなみにあたしはコイツとおんなじ名前を名乗るんが嫌やねん。夫婦別姓、今時そんなに珍しくないやろ?」
「いや、閏ちゃん。待って待って、それ法的に認められてないから」
「え?そうなん?じゃあ離婚か」

 さらりとそう吐き捨てるように言ったと思ったら、テーブルの上に広げっぱなしになっていたチョコレートを見つけてすかさず閏ちゃんは目を輝かせた。これどこのん?ケースの上蓋を手に取ってロゴを読むその姿に、思わず笑ってしまう。

「離婚しないでくれるなら、分けてあげる」
「まぁ……いつでも出来るしな、離婚」
「安定で辛辣っすね。流石にちょっと先生可哀想かもって思えてきた」
「甘いね悠仁、これまだ優しい方だから」

 これがいい。と今度は説明書きをあっという間に速読していたらしい閏ちゃんは明るいブロンズ色のチョコレートを指差していた。

「ーー悟、いい?」

 え。隣にいた悠仁が面白いぐらいにたじろいだ。そりゃそうだよね。閏ちゃんは基本的に僕のこと『おい』とか『ボンクラ』とか『粗大ゴミ』とか散々な言い方で呼んでるわけだから。

「ま、呼ぶの名前なの?
 それはちょっと意外過ぎない……!?」

 口に入れたチョコレートがよっぽど好みの味だったのか、ほんのり口角を上げて2個目を吟味している閏ちゃんには、悠仁の声は残念ながら届かなかった。

なまえのはなし 完


あとがき

私が虎杖の立場でも驚くと思う。
おい、こら、なぁ、ちょっと。がデフォルトの人がまさか旦那(ともあんまり思っていなさそうな人)のこと、名前で呼ぶとは思わないよね。っていうお話でした。
 まぁチョコレートで閏間さんの機嫌が良かったからそうなっただけです。たまたまです。人前ではほぼ名前で呼びません。硝子ちゃんは付き合いが長いから、たまに女子2人で話すときとかにも呼んでるの知ってるからノーダメージ。

20231001



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