たぶん、姑息な攻略結婚



「閏ちゃんさんって
 なんで五条先生と結婚したんだろ」

 悪意もなければ、他意もない。
 始まりはそんな虎杖のとても素朴な疑問からだった。

「はぁ?そんなの決まってんでしょ。虎杖。金よ、金」
「釘崎。一応言うけど、それ冗談でも本人達の前で言うなよ」

 夏も終わりに近づいていた。それでも、日中の空気はまだ茹だるようで、近接の稽古に組み手をすればしっかりと肌に汗をかく。あっつー。パタパタとジャージの首元から服の中の空気を入れ替えようと、釘崎はその襟を摘んで扇いでいる。一方、虎杖は自分たちよりもずっと汗をかいているペットボトルの水を喉を鳴らせて飲んでいる。

 虎杖の言う閏ちゃんさん、こと閏間みちるという女性が五条先生の奥さんらしい、という話を俺が初めて小耳に挟んだのはまだ中学の頃だった。どうせ何かの冗談だと、当時聞いた話は八割も覚えていない。
 あの、性格以外は全て完璧で、ただその拗れた性格が完璧な全てを完膚なきまでに台紙無しにしてしまうような男に、嫁がいるだなんて。
 けれど冷静に考えれば、腐っても御三家の当主。許嫁や婚約者がいたとしても、なんらおかしくはなかった。これは今だから分かることだ。

「でもぶっちゃけさぁ?あの二人・・・・に限って、恋愛結婚ってありうる?」
「まぁ……閏間って言えば御三家に続く名家だ。血統関係とか、政略的なものはなきにしもあらず、だろうな」
「なんつーか、人の結婚に対してなのにすげーネガティブだね。お前ら」

 俺はそうは思わないけどなぁ。と空になったペットボトルを片手で弄びながら、虎杖は稽古場の外を眺めていた。

「あ!噂をすれば、閏ちゃんさん!!」

 換気のために全開にしていた扉の前を、閏間さんが通り過ぎようとしていた。虎杖のよく通る声に、その歩みが止まる。直感的にマズいな、と頭の中では警笛が鳴る。
 そんな俺の焦りをもちろん知らない閏間さんはゆっくりと此方を見て、少しだけ何かを思い出すように視線を細めた後、あぁ、虎杖悠仁。微かに微笑んでその名を口にした。彼女がなぜか人をフルネームで呼ぶ傾向があることに気づいたのは、ここひと月ぐらいの話だ。だが今はそんなことはどうでもいい。

「なんや、ええ噂か?」
「虎杖、お前まさ「ねー!ちょい質問!!」

 伸ばせば手の届く範囲にいたはずの虎杖の身体は、すでにない。チラリと釘崎を見れば、バッチリと視線があった。その目に諦めろ、そう言われている気がしたのは多分気のせいではない。



「何で五条先生と結婚したの?」
「((どストレート!!やっぱそう来るか))」



 数秒間の沈黙。呼吸をするのも忘れていた。誰もが一切の言葉を発しない。おそらく、閏間さん相手に踏んではいけない話題だったのかもしれないと覚悟した。たとえ同じ話題でも五条先生が相手なら、多分この空気にはならないだろう。むしろ、今とは違う意味で聞いたことを後悔する結果になりそうだとすら思った。
 そして沈黙の隙、恐る恐る通路に佇む二人に視線を向ければ、虎杖の質問に目をぱちくりさせている閏間さん。あれ、思ってた表情とは大分違うな。もっとこう、怒りというか、嫌悪が滲み出るような表情を想像していたのに。かなり失礼ではあるが。

「んー。理由かぁ……」

 自然な流れで右手を顎に当てた閏間さんは、声色からも特に不機嫌そうには見えなかった。だからだろう。彼女の纏う空気に安全を感じた釘崎の口角が少し上がったように見えた。まさか、お前までーー

「みちるさん!やっぱりお金っすか!!」
「だから釘崎!!」

 あー頭いてぇ。と思ったのも束の間、予想外に閏間さんは少し声をあげて笑っている。金かー思いがけない学生達からの主張に、未だ喉の奥で笑うその姿はかなり意外だった。五条先生を前にした時によく見せる怒りや呆れ以外の感情は、普段あまり外に出ないタイプの人だと思っていたからだ。

「確かに金は持ってる。でもそれは閏間家うちにもあるからなぁ」
「わぉ、サラッと金持ち発言」
「じゃあ顔がタイプだった?」

 畳み掛けるような虎杖の質問に「顔なぁ。悪いよりはええ方がいいけど」と言いながら、閏間さんはジャケットのポケットに両手を入れて姿勢を崩した。
 薄手の黒のハイネックの首元には黄色と緑が絶妙に混ざり合ったスカーフを巻き、その上からキャメルのジャケット、濃い色のダメージデニムを合わせた秋を感じさせるコーディネート。相変わらずのスタイルの良さに、釘崎が彼女の頭のてっぺんから爪先までを何度も見ていた。そのスカーフ、どこのですか。ジャケットのステッチの色可愛いー。などと、個人的感想も付け加えながら。

「まーでも、閏間さんレベルなら、ゴジョセンじゃなくてもよりどりみどりだもんね。ただ、中身は聞くまでもないっしょ?」
「釘崎野薔薇は手厳しいなぁ。アイツあぁ見えて、結構いいとこもあると思うんやけど」

 本日二度目の予想外。まさか、フォローすることもあるんだな、と思ったが……夫婦という関係性である以上、教鞭を取る旦那の生徒に無闇矢鱈と見通しの暗い話をしない程度の善性と教養が閏間さんにはあった、と言うだけの話だ。思えば、彼女が五条先生に対してキツいあしらいをしているのは、二人が一緒にいる時だけだったように思う。
 いよいよこの夫婦関係が意外にも五条悟という男からのベクトルだけで成立しているわけではないのかもしれない、と言う可能性が見えてきたところで……少し、認識を改めようと思う。

「じゃあ例えば?」
「例えば……?たとえ、ば……たと……え、ば……」

 左上、左下、右下、正面。閏間さんは何かを探すように視線を送りながら、たっぷり十五秒は使っていたと思う。それでもまだ、その唇は真一文字に結ばれていて、んーと喉で音を発しながら、最終的には眉間に皺が寄り始めた。


「……ごめん、九割九部鬱陶しい」
「ちょ閏ちゃん!!それは酷いって!」
「うっわ五条先生ビビったぁ!」
「盛り上がってんのに邪魔しないでよー」


 ぬるりと俺の背後から突然姿を現せた五条先生に思わず振り返った。と同時に大きな舌打ちの音を耳で拾う。誰のものかは見なくても勿論わかる。こんな悪意のこもった舌打ちを出来るのはこの場に一人しかいない。

「おい、どっから湧いてきたこの粗大ゴミ」
「人間の身体は燃えるゴミですー」
「え、先生そういう問題じゃなくない?」

 先程までの和やかな空気はどこへやら。前言撤回、やはりこの夫婦関係は一方通行だ。いや、そうであってほしい、ムカつくから。理由はもう二度と聞かない。
 例え、一握りの何かがこの二人の間にあったとしても、俺たちはきっと、それを知らなくていいだろう。

たぶん、姑息な攻略結婚 完


あとがき

閏間さんが、ただの政略結婚で首を縦に振るような人間には伏黒くんからは見えなかったし、二人の間に信頼があるってのもなんか素直に受け入れたくなかった、というお話。
虎杖はほんと、扱いやすいよね。言い難いこと言わせやすいし。野薔薇ちゃんはなんていうか、正直で好き。

20231001



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -