それでも明日は来る



「どうした、ぼーっとして」

 その声は、春先のまだ少し冷えた風さえ忘れてしまうような優しい暖かさを帯びていた。耳朶に心地よく響いた音につられて僅かに上がった口角を悟られぬよう、顔を上げるのとともに表情を消す。元より面付きのレパァトリィは乏しい部類の人間だったため、特別造作ないことだった。

「これはこれは、真選組局長殿」
「なんだ、えらく他人行儀だなぁ」
「実際他人ですからねえ」
「同じ釜の飯を食った仲じゃねェか。寂しいこと言うなよー」

 柔らかな笑みと共に大きな身体が隣に腰を下ろした。年季の入った木製のベンチが囁くように悲鳴をあげる。まるで、とうに見慣れた黒い制服の下に蓄えられた努力の重さがひしひしと伝わってくるようだった。
 私が諦めてしまったその先にこの人達は未だ、立ち続けている。それも胸を張って、堂々とだ。
 そんな彼らを見ていると、少し、息が苦しい。

「何年前の話ですか。貴方が寝ションベン垂れて母上様に叱られていた頃の話でしょう?」
「お前が毎晩寝る前にエゲツない怪談話ばかりするせいで厠に行けなかったんだ。仕方がないだろ?」

 男のくせに情けない。まるで呼吸をするように嫌味が出るのは、昔から育った環境のせいにしていた。実際はそういうコミュニケィションの取り方しか学べなかった私の方にも十分非があると、大人になった今ならば少し思うところもある。一方、目の前で何の惜しげもなく笑うこの人はそういうことにとても長けた部類の人間だ。

「お前はもっと女らしく……いや、今となっちゃ十分だなぁ」

 此方を見ては懐かしむような視線にむず痒さを感じる。どこに行ってもこの人たちと同じく少年らの一人だと認知されていた頃の私に比べれば、確かにかなり変わったことだろう。いや、そうならざるを得なかったといった方が正しいのかもしれない。
 それもそのはず。元より私とこの人たちでは生まれ持った性別が違うのだから。ある種の怠惰や或いは正反対の努力だけでは越えられない壁の存在に早めに気付けたのは良かったのかもしれない。とてもいい思い出とは言えない記憶には目眩がしたが、過去は過去でしかない。いくら嘆こうが過ぎ行く時だけは誰にも戻せない。

「……かなりよいお人だと聞いた」
「こんな傷物の娘を嫁に貰って下さるぐらいです、相当心の広い方ですよ。稀有、以外の言葉は見つかりませんが」

 本当に、今時珍しいほどにお人好しで心根の優しい人。思えばこの人に少し似ているかもしれないと気付いたところで笑ってしまう。まぁ、頭の良さに天と地の差があるが、バカはある意味この人の専売特許だ。 そのくせ妙なところで鋭いその性質をタチが悪いなぁと思ったことは幾度かあった。現に、なぁ。と呼ばれた視線にコレは来るぞ、と身構える。

「本当にこれでいいのか?」

 情けなく下がった眉尻に、局長ともあろう人間がそんなにも間の抜けた顔を晒していいものかと嘆息した。そして、予想通りの言い種に呆れ返る。

「はぁ……貴方がそれを聞きますか」
「そりゃあお前のことはこんなガキの頃から知ってるんだ」

 私にしてみれば知っているからこそ、だった。全てを知っていて、私にまだその隣に立てと言うのだろうか。

「なら分かるでしょう?彼女と同じように私が死んだってアレは泣きも喚きしませんよ。いつも通りニコチンに肺をくれてやりながら笑うでしょうね」

 所詮は、せいぜい夢に化けて出そうだな、ぐらいの軽さで酒の肴にでもされるのが良いところだろう。思い出しては眠れない日々に隈を作ったり、気付かぬうちに迫った煙草の火口で火傷する程にアレの中を私で満たせるとは到底思えない。けれども、それでいい。アレがいじらしくも想い続ける女になりたいと思ったことは一度もないのだから。私がアレに対して抱いているのは、そういう気持ちとはまた別だ。

「水を差すのは、野暮じゃあありませんか?祝言は明後日ですよ?」
「……悪かった」

 両家の挨拶も済んである。とは言っても私側の両親は顔すら知らないものだから幼い頃、親代わりに世話になったこの人の父上様、母上様に無理を承知でお願いをした。幸い、二人とも快く引き受けてくれた上に、母上様などはまるで実の娘が嫁に行くようだと涙すら流してくれた。幸せになりなさい、と肩に置かれた父上様の厚い掌に、親不孝者でごめんなさい、と心の中で唱えたのは言うまでもない。

「でもな、俺はこれでお前が本当に幸せになれるとは思えねぇんだよ」
「思わなくて結構。わたしが幸せになりたくてこの話を受けたとお思いで?分かっているくせに」

 そう。私は私が幸せになるためにこの結婚を選んだわけではない。珍獣よろしくこの私を好いてくれたその男を幸せにしてやるためにそうしたのである。例えこの手で何も守れなくとも、人ひとりに幸福を与えてやることぐらいは出来るかもしれないと思えたから。信じてみようと思った。
 過去に縛られ、この人たちのように真選組という組織の中で鬼にもなれず、かといって何処にも行けず属せず、宙ぶらりんの状態で彷徨っていた私を拾い上げてくれたその男を幸せにしてやるぐらいなら、この腕一本でもきっと。
 愛しているという表現は決して相応しくないので使わない。ただ、何も無理をする必要はないと、生きることに答えが必要なのかと背中を撫ぜた手に酷く安心したのは事実だった。とうに枯れていたはずの涙が出たのだから。

多分ね、全部・・・・・・知ってるんですよあの人」

 私が受けた全ての傷と、辱めと、一生消えることのない記憶と、二度と戻ることのない右腕。生まれて初めて女であることを後悔したあの日。それを、彼は知っている。知っていて尚、側にいたいと稀有なその男はとても辛そうに笑った。そんな彼の顔を私は見ていられなかった。

「だから、私の分も幸せになってもらおうかな……と」
「それは間違ってるぞ」
「そんなものは解っています」
「いや、全然解っちゃいねぇよ」

 吐き出したため息の大きさと言ったらなかった。全くもって、この人はどうしてこうなのだろう。私に今更どうしろというのか。

「お前が幸せでなくて、どうして彼が幸せになれる?」
「側にいたいと言ったのは、あの人です」
「それはお前を本当に想っているからだろう。少しでもお前の側にいて、どんな些細なことだってお前が幸せだと、生きていて良かったと思える日が来ることを願ってるんだよ。それを一番近くで見ていたいんだ」
「だったら利害は一致しているでしょう?」

 気付けば、握りしめた左拳が怒りに震えていた。
 体よく人が見て見ぬふりをしてきた事を、何故こんなにも真っ直ぐ指摘してくるのか。この先、私と彼の未来に、貴方はいないと言うのに。
 彼は私の側にいたい、私は彼のそんなささやかな望みを叶えてやれれば満足なのだ。私が幸せである必要はない。苦しくても息をして、前を見て、彼の隣にさえ立っていればーー

「近藤さん。もうヤメてやれ。そいつがそれで良いって言ってんだ」

 ふわりと肌に冷たい風が吹いた。先程までは爽やかな陽射しを惜しみなく放っていた太陽が雲に隠れるのに相反して、木陰から姿を現せたその男を睨むように見つめる。せせら笑いながら、一歩、また一歩と男は此方へと歩んでくる。ガチャリと腰の獲物が重く鳴いた。見慣れた鞘に言葉を失う。それは、私のものだった。

「所詮、コイツもただの女だったってだけの話だろ」
「トシ!そんな言い方はねぇだろう」
「……いえ、間違ってませんから」

 どうして彼が私の刀を携えているのか。
 やっとの思いで手放したはずの、私の愛刀。もう二度と握ることはないだろうと、けれど結局折ることはできなかった……それをすれば、本当に、心まで折れてしまいそうだったから。

「刀、折られる前に戻ってこい」
「……は?だから、わたしはーー」

「近藤勲の両翼を、
 そうそう簡単に辞められると思うなよ」

 風を切るように抜かれた刀の鋒が、目と鼻の先にあった。はらりと、前髪が数本命を落とす。手入れもままならなかった、傷んでいたはずの刃が再び顔を出した陽の光に輝いていた。まるで何事もなかったかのように、滑らかな刀身をこれみよがしに、ただとても丁寧にしまう仕草に呆れてしまう。
 男のそこういうところが、わりと好きだった。

「戻って来れねぇってんなら、腹切れ、腹」
「専業主婦は夢のまた夢ですか……」
「主婦ってガラでもねぇくせに。チョーシに乗んな」
「ところで、味噌汁とか作れるのか?料理のさしすせそ、ちゃんと言える?出汁の取り方は?」
「あのねぇ近藤さん……私だって人並みには色々できますよ、失礼な」
「良いとこの方はそりゃあ口が肥えてるぞ?」
「少なくとも貴方の母上様よりは上手です」
「おい!そりゃどー言う意味だよ!!」
「そのまんまの意味だよ。近藤さん」

 静かに肩を揺らせて笑う男に釣られて自然と笑みが溢れる。
 息をするのが少し、楽になった。

明けない夜はない


「刀、折ったらシバきますよ」
「そりゃ難しい約束だ。刀身の長さも俺にゃ合わねえし、その辺に捨てちまうかもなぁ」
「そのわりには丁寧に手入れしていただいてるみたいで」
「修繕費はテメェの旦那にツケとくぜ」
「えぇ、喜んで払うでしょうね」
「……ッんと、可愛くねぇやつだな!」
「その点トシのほうが可愛げがあるってもんだなぁ!」
「うっせー!」

あとがき+α

近藤勲の両翼達。土方くんから絶対的な信頼を得ている人が、心に傷を負って、片腕を失って、途中で挫折しそうになるお話でした。
愛だの恋だのの甘っちょろい関係ではなくて、戦友としてお互いを信頼している関係。文章に表すには難しいですが、バリバリ全盛期のお互いに命を預けてる死闘とか、ちょっとお酒でも飲みながら素直にお互いのこと褒めたりとか、でそのまま寝ちゃって屯所がざわついたりして、土方くんの距離感がバグったりとかなんか色々ネタが出てきた。
「え、土方さん。抱いたンすか?」とか沖田くんにおちょくられて欲しい。全力で否定して、しばらく避けたりしそう。ウブかよ。笑
そして結婚相手は死ぬほどいい人。多分、彼女が望めば戻れるようにって頭下げに行ってる。そんで近藤さんとも仲良くなって、お妙さんのこと相談されて内容でちょっと引かれて、でもなんやかんや協力してもらったり慰めてもらったらいいよ。そのうち沖田くんも愚痴言いに行ったりすんだろーな。平和。


20230911



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