最強の恐妻、現る



 多分。これからの長いか長くないか分からない人生の中でも、おそらくトップレベルの美女が目の前にいた。いつのまにか。
 テレビでよく見る日本の女優の輝きとは違う、しいていうならハリウッドでさまざまな賞を当たり前のように涼しい顔をして独走している、そんなレベルの美女。
 北欧人の血が入っているのか、陶器のようにキメの細かな白い肌に馴染む色素の薄いグレーみがかった瞳は切長で、一見キツそうな印象を与えるが緩く下がりながら弧を描く眉が少しの優しさを演出していた。すっと通った鼻筋の下にバランスよく配置された形の良い唇。熟れた無花果のような深い赤のルージュがよく似合う。艶のある黒髪を頭頂部に近い位置で一結えにしており、ほんの少し開けられた窓から滑らかに毛先が揺れる。マンダリンオレンジの爽やかな香りが鼻先を掠めていった。

 オフホワイトのタートルネックに浅い色味のスキニーパンツという、一切の無駄がないシンプルな服装が引くほど映えるスタイルの良さ。足元のショートブーツのヒールは然程高さはないが加えてみてもぱっと見、180センチ手前くらいはありそうだ。


 というか、この女性ひといつの間に……現れた?


「自分、五条悟は?」
「へ?」
「五条悟の居場所……知らんのやったらええわ」

 知らなかったのはたしかに事実だが、返事を返す間も与えられないのだろうか。勿論、そんなことを聞く暇もなくするりと自身の脇をすり抜けた美女は「ごめんやで。トイレ行くとこ引き止めて」と後ろ手にヒラヒラと手を振って去ってゆく。
 いや、むしろなんでそれ知ってんの。
 つか見た目と関西弁の違和感ハンパなくない?
 虎杖悠二は彼女ーー閏間うるまみちるに会って僅か一分足らずで驚くほど混乱していた。


 昔から東京ここは嫌いだと「いやもう耳にタコだよ、ほんとゴメンってば」とあの男の頭を下げさせながら言わせる程度には、東京という街が嫌いなのだと口煩くしてきたつもりだった。必要最低限の用でしか赴くのは嫌だったし、仕事だと言われても……誰かに代わりが務まる程度のものであれば地位と権力をフル活用して避けてきたのだ。それを今回ばかりは君以外に適任がいないから、と珍しく真面目な顔で諭すように言うものだから……

「あのアホ、マジで覚えとけよ……」

 場所は東京駅。時刻は十四時を少し回った頃。待ち合わせからは一時間が過ぎていた……流石にもう待てはしない。

「ねぇねぇ。オネーサン、今ひとり?」

 もう何度目かも分からない見知らぬ人間のその言葉に、殺意の籠った視線を向ければ「えー、そんなに睨んだら折角の美人が台無しじゃーん」と呑気な声が返ってきた。

挨拶程度に声かけたくらいで・・・・・・・・・・・・・
 いちいち睨んでんじゃねーよ・・・・・・・・・・・・・
 って思ってんならさっさと他当たりーや。
 クソしょーもないなぁ」
「……は?」
何この女。気持ち悪・・・・・・・・・、か。
 筒抜けやで、はよ失せろや」

 雑音が多過ぎて、ただでさえイライラしていると言うのに。頼んだはずの迎えは来ないわ、頭の軽い若者たちに絡まれるわ、通り過ぎゆく雑踏の中で溺れそうになっている此方の気も知らないで。反らせた視線の先に特徴的なネクタイの精悍な見知った顔を辛うじて拾い上げた。よし、ーー

「七海建人!!!」
「……閏間、さん」
「ちょーどえぇとこに……助かったわ。高専まで車回して。今すぐ。できるだけはやく」

 分かりましたから少しは待って下さい、と嘆息する建人にすら苛立ちを覚えながらーー八つ当たりも良いとこであるが、そろそろこちらも此処にいるのは時間の限界である。一秒でも早く、静かなところに行きたい。緩やかな頭痛に掌で視界を覆えば、素早く状況を察した彼が「まだ立っていられますか?」とそっと肩に手を触れた。

「秒読み。出来るだけ急いで」
「あぁ、もしもし伊地知君、私です。七海です。急で悪いのですがーー」

 確かに呼吸をしているはずなのに、酸素が足りないような錯覚に陥る。肩を支えてくれる手に力が入ったのを感じるのと同時に酷い吐き気に見舞われる。クソ。頭の中で響く言葉の数々に呑まれぬように、目の前の彼に意識を集中させれば、頭の軽い同じ男を思い浮かべて呆れている彼がそこにいた。

「閏間さん。あと五分だけ、耐えて下さい」
「そのままアイツの悪口考えててくれるとありがたいんやけど」
「それならわりと楽勝ですね」

 そら頼もしいわ。吐息のような笑い声を聞いて、建人の瞳に不安の色が過ぎる。大丈夫、まだいける。と半ば自分にも言い聞かせるように紡いだ言葉の弱々しさといったらなかった。

「あーホンマ、腹立つわ」

「あ、いたいた!せんせー!」

 ブンブンと音が鳴りそうなほど腕を振って駆けて来る悠二に首をかしげる。何か用でもあったっけ?と手合わせの最中だった恵の拳をかわしながら、どうしたの。と問えば「五条先生のこと探してる人がいてさ」と悠二は鼻息荒く詰め寄ってきた。

「おい虎杖。今、稽古中。見て分かるだろ」
「いやそれがスッゲー美女で。もうマジ何者?って感じでまじスゲーんだよ伏黒!!」
「お前、語彙力なさすぎ」
「僕を探してる美女?……あ、」

 忘れてた。
 反射的に思わず心に浮かべてしまったその言葉を、わりと真剣に後悔した。



「なるほど。忘れてた、か」



 季節は夏を目前にした爽やかな5月の終わり。青々しい草木の生命で溢れるこの地には全く持って相応しくないであろう冷気がその場を満たす。うわー、やっちゃったー。

「あぁ!さっきの美人なオネーサン!!」
「この人、確か……」

 静かに燃える氷点下の青い炎は、おそらく僕の目にしか見えていない。とは言っても、六眼だからという話ではない。ただただ単純に彼女の性格と、思考性と、今し方僕がしてしまった失態を考慮した結果。死ぬほど怒り狂っているであろう彼女の心情を、これまた僕が勝手に表現したに過ぎない。

うるちゃん、一旦ね。落ち着こう?」
「駅前で七海建人にたまたま会った」
「やー世の中ホント狭いよねぇ。閏ちゃんがコッチに来ることなんてほとんどないのに、そのタイミングで七海と会えるなんて。すげー偶然じゃん。七海、喜んでたでしょー」
「一応、一時間は待った。お前がただの暇人ちゃうってことは、考慮したつもりや」
「さすが閏ちゃん!素晴らしい気遣いだね!」
「ただ、お前今忘れてた・・・・って?」

 もう一切の言い訳も通用しない。というか、今まさに思い浮かべていること全てが彼女には筒抜けだ。彼女が持つのはそういう術式なのだから仕方がない。
 閏間家相伝の術式。読心術、深心聲聴しんしんしょうちょう。人や呪霊の思考を読み取るそれを前には、何人たりとも抗えやしない。
 勿論、最強であるこの僕でさえも、だ。

「……ごめんなさい」
「許すかボケぇ」
「いやでもホラ、可愛い生徒達の前だから」
「そういうことちゃうねん」

 今にも殴りかかりそうな勢いで怒火を放つ彼女と僅かばかりの距離を取る。とは言っても全て読まれている訳で。全く意味がないのは分かっていても、身体がそうしてしまうのだから仕方がない。せめて、せめて生徒を盾にすれば、だなんて大人気ないこの考えすら……あぁ、もうミチルってば、目が全然笑ってないもんねぇ。

「でもさ、生徒達が絶対的に信頼するこのグレートティーチャー五条悟の奥さんをさ、こんな形で紹介したくないじゃん?」
「あ、やっぱり……」
「えッえぇ!……お、ッ奥さん!?」

 はは、恵の可愛くない反応はさておき、悠二のリアクションってホント百点だよね。
 まぁ、彼女には意味ないんだけど。

最強の恐妻、現る 完


あとがき

嫁の設定が雑な上に好きなもののっけ丼状態です。笑
閏間さんはドイツ人を祖父に持つクォーターで、閏間は祖母側の家系で術術師界隈では珍しい女性が強い一派です…そして、生まれも育ちも関西。生粋の関西人。東京が嫌いなのはきっと、術式の関係だけではなく大人気ない理由がありそうな、天下の五条悟を単身赴任扱いしている恐妻、それが閏間さんです。笑
少しずつ色んな盛り込み設定が明らかになるかと思いますが、基本的にお話はギャグ要素強めです。そしてある程度は本誌の世界線を無視した時間軸になっております故、悪しからず。術式の名前とかは、ほんと適当←
20230916



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