過去に成る

もう、この天井も、見飽きてしまった。
どこに継ぎ目があって、どこにどれくらいの染みがあって、どれくらい顔を動かせばその天井が壁と繋がるのか。
繰り返される朝と夜にいったいどんな意味があるのだろうか。穏やかに死を待つ、なんて、生きている意味になるのだろうか。
国清は僕の枕元に置かれている。武士とは名ばかりの今のこの腕でこいつを振るう事なんてきっと出来やしないのに。それでも、それでもこれは、僕の生きた証で、僕の生きる術だ。




近藤さんからの手紙が来なくなって、一体どれくらいになるだろう。
その理由が分からない程、僕も子供ではなくなってしまった。



「沖田君、来客だ。…起き上がるかい?」



松本先生の方へ顔を向けると、戸の向こう側で座った松本先生が見える。
僕に会いに来る人なんて、思い当るのは一人しかいない。僕が新撰組を抜けたのと一緒に新撰組から離れた子。馬鹿な子。
お腹に力を入れ、両腕を布団に突いて上体を起こす。寝転がってばかりだったから、背中が痛い。ふと見えた僕の右手は、こんなに頼りなかっただろうか。



「総司さん、ご無沙汰してます」
「…相変らず、元気そうだね」



嫌味を込めたつもりはないのに、彼女の顔が暗くなった。申し訳ないとは思うけど、謝る気にはなれない。
健康な体を持つ彼女が、羨ましい。


「金平糖、お持ちしました。食欲が無くても、これなら食べられるかなって。…あと、翁飴も。よかったらどうぞ」
和紙に包まれた飴たちを僕の方へ寄越して、名前ちゃんはお茶を一口飲む。熱かったのか、眉が少し寄った。


縁側越しに、もう見飽きた庭を、見る。
さあと吹く風は嫌でも季節の変化を感じさせた。春の、温かな、風。


「いつの日か新撰組の皆で花見をしたね」
「楽しかったですね。桜を囲んで、…土方さんも、斉藤さんも、千鶴ちゃんも、…近藤さんも、みんな…笑ってましたね」
名前ちゃんの声が、上擦った。大丈夫。わかってるよ。わかってる。僕だってわかってるんだ。
「最近、近藤さんから手紙が来ないんだ」
名前ちゃんの目が見開かれ、はらはらと涙が零れていく。


「辛い思いをさせて、ごめんね」
「総司さ…」
「でも僕、やっぱりこのまま死んでいくなんて、できない」
僕は、近藤さんの剣だ。
「最後の最後まで、きっと「君の為に生きる」って言えないなんて、僕って本当甲斐性無しだよね」
名前ちゃんは何も言わず首を左右に振って布団についていた僕の手をぎゅうと握りしめた。この子の手は、いつだってあたたかい。
「それでも、僕は最期まで近藤さんの剣でいたい。役に立つとは言え、土方さんじゃ僕より弱いし、一君は近藤さんじゃなくて土方さんを尊敬してるから。やっぱり、僕の代わりなんていないんだ」
太腿までかかっている掛布団を退けて、ゆっくりと布団に足をつく。不安気に僕を見上げる名前ちゃんに、笑いかけた。それが本当に笑えているのかは定かじゃない。
「総司さん、近藤さんは…」
「わかってるよ。だから行くんだ」



取り戻せるのなら、取り戻したい。
貧しいながらも皆で笑って過ごした試衛館での日々を。
世間からの風当たりは強くても、自分達の力だけを頼りに打ち進んでいった京での日々を。




―それが、できないのなら。僕の手で全部終わらせよう。




初めて腕を通した洋装は見た目通り窮屈だ。釦を止めて上着を羽織る。脇差しを手に取って、後ろ髪を左手で掴みながらひと思いに切った。これだけやせ細って服装も変わってしまえば僕が「沖田総司」だなんてきっと誰にもわからないだろう。



「取戻しに行くよ。近藤さんを。行こう。名前ちゃん」




涙でぐちゃぐちゃな顔をした彼女の頭を一撫でして、僕は部屋を出る。左腰に差した国清はきっとこれでお役御免だ。
近藤さんの為にしか生きられない、頑なで不器用な僕を、名前ちゃんは笑わない。いっそ笑ってくれたら別れを告げられるのに。
それでも君が僕と共に来てくれるのなら、僕の最期を看取るのは君が良いな。




これは、流石に我儘すぎるね。







ねえ、名前ちゃん。
僕がいなくなった先でも、君が幸せに前を向けるように。
僕は僕の手で、普通に流れていたあの日常を終わらせてあげる。




これが、僕にできる、君へのせめてもの愛情表現だから。


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