この気持ち※

本当は判ってる。全部、解ってる。
それでもあきらめの悪い私は、こうして幸せを噛みしめるんだ。
後で、苦しくなるってわかっていても、今のこのささやかな幸せを手放せない。



「苗字さーん」
目の前の事務処理を淡々とこなしていた名前に、同僚の声がかかる。恐らく、またPCが固まっただとか、印刷が出来ないだとか、そういう類の呼び出しだと思う。今やPCが必須の四大卒でも文書作成とIEでのインターネット以外出来ない人は多い。名前は立ち上がると同僚の元へ向かう。モニタを見て声をかけた。
「どうしたの?」
「プリンタが選択できないの」
「ちょっと見せて?」
文書作成ソフトの印刷設定を見るが、確かにプリンタの指定が出来ない。あるはずの項目が無いのだ。プリンタ側の問題か、接続の問題か…。
「ちょっと待ってて」
プリンタのモニタを見るが、特に変わった所は無い。現に、他部署の印刷物がどんどんプリントされている。

「接続の問題っぽいねー」
「そうなの?なんとかなる?」
「苦手なんだよなぁ」
同僚にUSBメモリを渡して一旦データを名前のPCに移すように伝えた。それができたらそこからプリントするようにして、名前はPCの設定を弄る。
「あー…うー…」

「あれ?名前ちゃん?」
同僚のPCの前で唸っていた名前に声がかかった。聞き覚えのある安定感のある声に、名前は胸が高鳴った。
「新八さん」
「どうした?」
「実はプリンタの接続が上手く出来なくて…」
「ちょっと見せて」
私より一回り身体の大きい新八さんが、PCの設定を弄り始める。見た目と性格とは裏腹に、新八さんはハードにもソフトにも強い。
社内での彼の評価は、中堅と言った所。女性社員からの評価はお世辞にも高いとは言えない。多分それは彼の表面的なところに由来していると思う。良くも悪くも、男らしいのだ。彼は。
ジムに通っている訳ではないが、自主的に筋トレをしているらしく、彼の身体は所謂「筋肉隆々」。好きな食べ物は「肉」と「米」。それと、声が大きい。これらの男らしい部分が、現代の女性にはウケないらしい。
本来恋愛って、そういう表面的な部分に隠れている内面を見るものだと思うけれど、周りが彼を恋愛対象としていないのは、私個人としては都合が良い。
私は、彼が好きだから。

こうして目の前で困っている人には迷わず手を差し出す。話してみれば、どれだけ教養が高く、博識で、理知に富んでいるかが判る。彼の専門分野の話は勿論、業界のトレンドや流れ、経営論と堅い話から、芸術面にも精通している。話しているうちに共通の知識があれば、そこから話を膨らませる事も出来る、素敵な人。
何度か会社の飲み会で話したり、通勤で一緒になった際に話したりする度に、私は彼の魅力に気付いた。あがると口下手になるところも、今は可愛くて好きなポイント。そうして話しているうちに、彼の実家の話になった。そこで私は合点がいったのと同時に、自分の想いが叶わない事を知る。
彼は、旧家の次男。実家は会社を経営しているらしい。その会社名もネットで検索すればすぐに従業員200名を抱える大きな企業だと判る。彼は今、この会社で云わば修業しているのだ。

「よし、出来た」
「ありがとうございます」
「これ位どうって事ないから何かあればいつでも声かけてくれよ」

歯を見せて笑った新八さんは、急に私の顔を覗き込む。大きな二重が目の前にきて、私は思わず仰け反った。
「名前ちゃん、元気無いのか?」
「え?」
「いや、違うんならいいだが…」

新八さんと一緒にいて気付いた事。意外と、鋭い。

「そう見えます?」
「何かあったなら…」
「後でメールして良いですか?」
「おう。じゃあまたな」

新八さんは机に置いた書類を手に取り、上司の元へと向かった。その大きな背中を見て、思わず溜息が漏れた。


「苗字さん、どうしたの?」
「ううん、何でもない」
「そういえば、来月で退職だっけ?」
「うん、実家からそろそろ戻って来いって言われちゃってさ」
「良いなぁ、大企業のお嬢様、憧れる」
「そんな良いものじゃないよ。戻ったら色々縛られるから」
「お見合いとか?」
何の気無しに言った同僚の一言が、一発で本心を貫いて、どくり、と、胸が大きく鳴った。
「うん」

永倉さんと同じく、それなりに大きい会社の長女として生まれた私は、もうすぐ実家に帰らなくてはいけない。
多くの従業員の安泰の為に、地元の旧家の次男三男達と見合いをして結婚しなければならないから。兄弟のいない私は、経営の才には恵まれなかったらしい。しかし土地に密着した企業が永続するには、より地元と強く結ばれねばならない。
前時代的運命は私が学生の頃から耳にタコが出来る程言われ続けていたから、諦めが出来ていた。

でも、新八さんに出会ってしまった。
恋に落ちる、とはこういうことだ。あの声も、匂いも、大きな手も、優しさも、全て好き。どこが、何て言えない。彼の全てが好きだ。



定時を少し過ぎてから会社を出ると、外はもう真っ暗だった。冷たい風が頬を撫で、思わず肩が上がる。
「秋ももう終りだなぁ…」
デスクワークで疲れた身体。特に急ぐ事もないので、のんびりと駅に向かう道を歩いていると、後ろから声をかけられた。
「名前ちゃん」
「新八さん…」
振り返るとスーツにバッグを持った新八さんが此方に手を振っている。
「新八さんも帰りですか?」
「おう、平助なんかと飲もうって話にもなったんだが、あいつら仕事終わらねぇみたいで結局流れちまった」
残念そうに笑う新八さん。
「お酒、好きですものね」
笑い返し、二人で並んで歩く。先程まで冷たいと感じていた風が、そこまで気にならなくなったのは、さり気なく新八さんが風上の方を歩いてくれているから。

「名前ちゃん退職して結婚するんだって?」
会話が途切れた少しの間。新八さんが口を開いた。
「え?」
「さっき土方さんと話してたらそう言ってたんだが…」
頬をかく新八さん。確かにそう遠くない未来、結婚するかもしれないけど、まだ決まった訳ではない。
「えーっと…そのうち結婚はするでしょうけど、まだ相手すらいませんよ」
精一杯笑って返すと、新八さんは大げさに笑ってみせた。
「俺はてっきり名前ちゃんにはもう相手がいて、寿退社かと思ったんだが…違うのか」
「新八さんと同じで、実家に帰るんです」
「前に名前ちゃん家も会社やってるって言ってたもんな」
「そのうちお見合いさせられちゃったりして」
「ははは、そしたら良い家のお婿さん貰えるじゃねぇか」
「新八さん、それ本気で言ってます?」
口をすぼめて、わざとらしく問うと一瞬目を見開いた新八さんが、緩く首を振った。
「冗談冗談。そんな無理矢理結婚させられる訳じゃねぇだろ?昭和でもあるまいし」
「…だと、良いですけど」
精一杯その可能性を隠して、いつもの笑み顔を作った。でも、恐らく新八さんは察したのだろう、少し表情が曇る。
「ま、どうしても嫌だったら」
「嫌だったら?」
しまった、という顔をして急に新八さんが口ごもった。みるみる頬が赤くなって、私とは反対側に顔をそむけてしまう。
「嫌だったら、なんですか?」
言葉の続きが気になって、再度質してみると、顔をそむけたまま、新八さんが口を開く。
「嫌だったら、俺んとこ来れば良いじゃねぇか」
「本気で言ってます?」
「じょ、冗談に決まってんだろ」
「なら、そんな赤くならないでくださいよ。てっきり本気でプロポーズされちゃったのかと思ったじゃないですか」
お互い顔が赤くなってしまった私たちは、お互いの照れを隠すように大きく笑った。
一瞬で高鳴った鼓動は、そのまま鳴り続ける。あの一瞬で想像してしまった、新八さんとの未来。でも、非現実的すぎる。
次男なのに実家に帰らなくちゃいけないのは、恐らくそれだけの能力が新八さんにあるから。まだこの会社に入って数年なのに、私が実家に帰らなくちゃいけないのは、それなりの用意が既に実家で整っているから。
そこから想像する未来は、容易に私たちを別の道へと歩かせる。

胸の高鳴りは、いつの間にか針の蓆の上へと投げ出されたようにひどく痛む。
こんなに好きで好きで堪らないのに、タイムリミットは近い。



これから私を待っている未来を想像して、足の止まってしまった私を新八さんが振り返った。
どうした?と首を傾げて私を待ってくれている。その目は、いつものように明るくて優しい。



ねえ、新八さん。
それでも幸せなの。今貴方とこうして笑いあえることが。

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