それは秋の深まる丘の上で

目の前で不敵に笑う千景に、私は只管顔を赤らめるしかなかった。




久しぶりのデート。待ち合わせは午後1時。電車移動を嫌う千景とのデートは、いつも車。今日のデートも車だけど、午前中にどうしても外せない用があった為、家までの迎えを断り、外で待ち合わせする事にした。
最初はド派手な外車(色が派手なのではなく、車の持つオーラというか…車に詳しくないから分からないけど、とりあえず、派手。車は黒いのに派手)に気負けしたけど、デートを重ねるうちに慣れて来た。何より、この車、千景に似合うのだ。彼が降りて来た瞬間の納得感は、彼でないと得られないと思う。…まあ、横から降りてくるのは私なのだけど。

待ち合わせの30分前に待ち合わせ場所に着くだなんて、初めてのデートのようで少し笑えてしまう。カフェに入る程の時間でもないし、お昼ももう済ませてある。日は高く、風は冷たくて気持ち良い。…ここで待とうか。大通りに面する静かな公園で、私は待ち合わせの時間までの時間を埋める事にした。
手持ちの本は読み終えてしまっている。ベンチに腰掛け、伸びをしながら空を見上げた。雲がゆったりと形を変えていく。…雲が高い。もう、冬、か。
暫くそうしていると、携帯が震えた。…多分、千景からだ。バッグの中に手を伸ばし、携帯を探る。

「ねえ、」
「…はい?」

バッグの中の携帯が震えるのをやめたと同時、目の前に男性が現れた。道を聞かれるのかと思ったけれど、その表情からすぐにナンパだと気付く。…面倒臭い。それに、もう千景が着いている筈だ。こんな所を見られたら、後で機嫌が悪くなるかも知れない。それだけは避けたい。
「君今…」
「暇じゃありません。彼氏待ってます」
「でもさっきからここにいたでしょ?」
「待ち合わせまで時間があったのでここで時間をつぶしていただけです」
こいつ、食い下がるな…。これ以上の会話は無駄と、無視を決め込む事にした。そうだ、先ほど千景から着信があった筈。再びバッグの中を漁ると、冷たい無機質なものが手に触れた。電話すればいくら面倒臭がりな千景でも降りてきてくれる筈。携帯のロックを解除したところで、目の前の男が私の肩に触れた。

「何をしている」
辞めて、と、言おうとした所で、低く響く声が、私と男に届いた。
「千景…」
「貴様、何の用だ」
「っんだよ、本当に彼氏待ちかよ」
目の前のナンパ男はそれだけ言うと去って行った。なんだよ。だから男待ちだって言ったじゃないか。…まあ、大方千景のオーラに気圧されたんだろうけれど。
「ごめん、電話出られなくて」
男の背中から千景に視線を戻すと、明らかに不機嫌そうに眉を寄せている。これはまずい。下手したら夜まで機嫌が悪いかもしれない。そうなると、私は今日帰れなくなってしまう。
「…」
「っ千景!」
ぐい、と右手を引かれて、立ち上がる。そのまま千景は一言も発さずに私の腕を引いて公園を出て行く。力強く握られているせいで右腕がぎりぎりと痛い。
公園を出た所に、例の千景の車が停められていた。おいおい、こんなところに停めて、傷でもつけられたらどうするんだ。
千景は、一度車道に出て車のドアを開けると、私を助手席に押し込み、自分は反対側のドアから運転席へ入った。

「…ごめんね」
「何故名前が謝る」
「電話、出られなかったし…」
明らかに棘のあるオーラを身に纏う千景は、正直怖い。その原因が自分にあると判っている分、余計に。
「お前は、俺がそのような事でいちいち腹を立てるとでも?」
「…違うの?」
私の返答に、千景は小さく息を吐く。先ほどまでの棘は幾分柔らかくなり、車のエンジンがかかった。

車中無言のまま、車は走り続ける。国道を南下し、突き当たった道を左へ。それまで都会だった景色はぐんぐん緑を増し、そして住宅街へ入る。松の木が並ぶ道をひた走っていると、その先が海である事が分かった。何処に向かっているかは分からないけれど、とぎれとぎれに見える海は、綺麗だ。
そのまま暫く進んだ所で、千景は車を停めた。白い石灰壁。エーゲ海に浮かぶ島のそれのようで、胸がときめいた。
整えられた石の階段を、千景に倣って登っていく。潮風が私の髪を攫っていくのを左手で抑えていると、先を歩いている千景が私へ手を差し伸べてくれた。吸い込まれるように右手を置くと、歩くのを助けてくれるよう、やわらかく引かれる。

「わ、あ…」
石段の先は、小高い丘の公園のようになっていた。先程レストランかと思った建物は結婚式場の教会だったらしい。この丘にはガゼボがある。白い鳥籠のようなそれは、女子なら誰もが憧れるものだ。
千景は何の気なしに、私の手を引いたまま、ガゼボへ足を進める。中に入ると、そこから先ほど途切れ途切れにしか見られなかった海が、一面に広がっていた。
「綺麗…」
空と海との境界に船が一隻ある以外、海には何も浮かんでいない。風が織りなす波だけが、青い海に広がっている。運ばれてくる潮の香りをいっぱいに肺に吸い込んでは、どんどん表情を変える海に、私は夢中になった。

「名前、」
「うん?」
海に視線を向けたまま、千景に応えると、そっと手を引かれた。繋がれたままの手に一度目を向けた後、千景を見る。ガーネットのように綺麗な紅が、輝く。

「目を瞑れ」
「うん、」
言われるがまま、目を瞑る。何をするのだろう。千景が僅かに動く気配だけがして、すぐに目を開けて良いと言われた。大人しくそれに従い、目を開けると、千景の手に何かが包まれている。
「遅くなったが、漸く納得できるものを見つけられた。これなら、お前の指に映えるだろう」
深い青の天鵞絨で出来た箱は、千景の手の中で、太陽の光を小さく反射している。
「…これ、」
驚いて千景を見上げると、紅がすう、と、細められた。それを合図に、千景が小箱を開ける。
…中には、中心のダイヤから左右に3つずつメレダイヤが配された、ティアラのようなデザインの指輪。
「どうした。嬉しくないのか」
私が指輪を見て固まっていると、焦れたのか、千景が問いかけてきた。それでも私はこの指輪の存在感とそれが意味する事とに頭が占領されて答えられずに只管千景を見上げる事しか出来ない。
千景はそんな私を見て目を細めると、箱の中の輝きを手に取り、私の左薬指にはめる。冷たい金属がだんだんと私の体温で温められ、馴染んで行く。

「遅くなったが、正式にお前を迎える準備が出来た」
「それって、つまり…」
「お前は全て言葉にしないと分からないのか?」
「…」
期待を込めて、千景を見上げると少し見開かれた目が、私を捉えた。
「いや、言わせたい、か。」



「名前、結婚しよう」



答えなど聞く必要無いとでも言うように、私の顎を掴むとそのままそっと口付られた。いつも以上に柔らかく、甘いそれは、私の心に染みわたる。幸せだ。本当に、幸せ。


「千景、好き」
「愛してる、だろう」
言い直させるように、再び口付られると、千景は誰もが惚けるような鋭く、甘い顔で微笑んだ。

「それにしても、先程の男。なかなか見る目がある」
「え?」
指輪にうっとりとしながら海を眺めていると、思い出したように千景が呟いた。先ほどまで隣にいた彼は、今私を包むように私を後ろから抱き締めている。普段なら恥ずかしいけれど、ここには私たち以外いないし、何より今はそうしていたかったから、千景の手は解かない。
「俺が選んだ女だ。そこら辺を歩く女たちよりずっと魅力がある」
「やめてよ、恥ずかしい」
「だが、」
ぐ、と、千景の腕の力が強まった。肌触りの良いジャケットから、千景の匂いがする。
「名前は既に俺と交際し、婚約している。…運の無い奴だな」
それだけ言うと、千景は私の耳元に口づけた。太陽をあびてきらきらと輝く髪が、擽ったい。
「くすぐったいよ、」
「愛してる」
甘い声が耳元で囁けば、蕩けるような感覚に足が震えた。
「名前、」
「千景、」
たまらず、千景の腕の中で向きを変え、千景と向き合うようにした。見つめ合いながら、心の中で何度も愛してると、伝えて。そっと、口付る。何度も何度も、リップノイズを立てながら口づけていると、不意に唇を割って、千景の舌が私の中に入って来た。もう何も考えられない程に、気持ちが良い。

「、はあ」
長い長いキスを終えると、僅かに酸欠になり、よろめいたが、それも千景に支えられた。
「俺をこんなにも夢中にさせる女など、世界にお前だけだ。名前。愛している」



千景の長い指が、再び私の頬を撫でた。導かれるように、そっと瞼を降ろすと、大好きな香りがもう一度私を包み込んだ。


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