結婚適齢期

ざわめく居酒屋の一角で、ひとり静かに笑いながら周りの様子を眺めつつ、手元の酒を飲む彼に目が吸い寄せられた。
「名前!久しぶりー!」
「あ、久しぶり!なんか雰囲気変わったね!」
「ふふ、まあ社会人になったしちょっと落ち着こうかなーって」
その、賑やかな筈なのに静かな一角に足を伸ばそうとしたところで、旧友に捕まった。学生時代は明るい髪色にファストファッション系のビビッドカラーの服を好んで身に纏っていた彼女が、今は前下がりの焦げ茶ボブにOL系の私服姿となっていた。社会人になってまだ3年、と思ってはいたけれど、どうやら“もう”3年らしい。変わる人は変わったのだ。
「そういう名前も、雰囲気変わったよね」
「そうかな」
言われてみると、確かに少し変わったかもしれない。学生時代は手の届かなかった百貨店ブランドの服が着られるようになったし、髪も伸びた。毛先を指に絡ませていると、ふと友人の左手に輝く指輪が目に入る。
「彼氏?」
「あ、うん。婚約したの」
外見の雰囲気は変わっても、笑い方は変わらない。はにかんだ彼女の頬は僅かに紅潮し、内側から滲み出る幸福な雰囲気が私にまで届いた。
「おめでとう…!」
「ありがとう」
いつもは勢いのある彼女は、自分の色恋沙汰になると急に勢いがなくなるのがなんとも可愛らしい。婚約相手は私も知っている学生時代の先輩で、式などについてはまだぼんやりとしか決まっていないらしい。「決まったらすぐ連絡するね」と言い残して、彼女は別の友人の元へ去っていった。
再び一人になった所で、再度彼を探す。先程まで一人だったのが、今はどうやら同級生と話しているらしい。切れ長な釣り目が細められ、決して派手ではないけれど整ったその顔がより魅力的に見える。ああ、相変わらず恰好良いなと思ったと同時に、顔に熱が集まった。何だ“相変らず恰好良い”って。

「あ、苗字じゃん!一人ならこっち来て飲もうぜー!」
自分の思考に内心慌てていると、先程見つめていた先から声がかかった。藤堂君だ。つんつんの髪と元気な声は相変らずだが、矢張り彼もどこか大人びた印象を与えた。
「ありがとう」
誘われたまま、藤堂君達のいる座敷に行くと、山崎君と目があった。先程の事があって急に顔に熱が集まるのを感じる。山崎君は僅かに目を見開いた後、また目を細め、手に持っていた酒にまた口を付けた。
「久しぶりだね、二人とも」
「卒業して以来会ってねえもんなー。学生の頃はあんなによく話してたのに」
懐かしむように目を細めた藤堂君は手を頭の後ろで組み背を仰け反らせた。
「藤堂君は確か商社だっけ?」
「一応なー。苗字はIT系だっけ?」
「うん、あ、山崎君は?」
二人で話を進めている間も、山崎君は酒を飲みながら此方を見ているだけだった。急に話題を振られたのが意外だったのか、山崎君は一旦グラスをテーブルに置くと、一息ついてから口を開く。
「俺は医療機器メーカーに」
「わー…大変そう」
「そういう苗字君も大変だろう?…その、ITはブラックが多いって聞いた事がある」
言い辛そうに、けれど殆ど濁す事なく身に覚えのある事を彼が突く。苦笑してそれを受け止めると、山崎君も苦笑を零した。
「まあ、世の中ブラックじゃない会社の方が珍しいんじゃない?藤堂君も山崎君もサビ残とか結構多いでしょ?」
私の問いに思い当る所があるらしく、二人とも反論はしなかった。自分でまいた種でありながらも微妙な雰囲気が流れてしまった事に慌てて、すぐに別の話題を口にする。
「あ、そういえば、千、婚約したんだって」
「相手はあの高慢な先輩か?」
もしかして、と顔を引き攣らせた藤堂君は、どうやら千の彼氏が苦手らしい。対して山崎君は「めでたいな」と笑ってそれきりだ。
「藤堂君、確か1つ下に彼女いたよね?そういう話は無いの?」
「お、俺はその…!ま、だ、だな。あいつの仕事、結構大変だし、俺も俺で一般から1つは上がってからそういう話したいと思ってるし…」
「じゃあ、頑張って昇進しないとね」
面白いくらいに顔が赤くなる彼が有名商社の営業マンだなんて、何も知らない人が聞いたら驚くに違いない。彼の実直な性格は駆け引きには不向きだが、人の心を掴むには十分すぎるほど魅力的だ。
「山崎君は、そういう話無いの?」
私がこの席に来てから、視線は感じるものの殆ど物言わぬ彼に話題を振れば、苦笑を零し首を緩く横に振った。
「俺は学生時代から独り身だから、そういう話は無いんだ」
「意外…モテそうなのに」
訊いてから後悔したものの、すぐに返ってきた答えで心が落ち着く。そうか、山崎君は今恋人がいないのか。モテそうだ、というのは私の感想だが、恐らく外れていないと思う。顔の好き好きは人それぞれだとして、彼の生真面目で、不器用ながら優しく、それでいて偶に思い切った事を言うあの性格は、気付いてしまえばどんどん素敵に感じていく。…少なくとも、私はそうだ。私はそうやって山崎君に惹かれていった。

「あ、藤堂!久しぶりじゃん!」
そんな話をしているところに後ろから声がかかる。藤堂君は振り返ると「おー!」と言って席を立った。藤堂君がいなくなったテーブルに、私と山崎君二人だけ。
「そういえば、苗字君は、そういう話は無いのか」
藤堂君が行った方向を目で追っていたところに、山崎君の声が響く。
「え?」
「結婚とか、婚約とか」
感情の読めない表情で尋ねられると、別に付き合ってる訳でもないのに浮気を質されているようで、どくりと心臓が鳴った。
「ないよ、私も山崎君と一緒で学生時代から恋人いないもん。昔っから煩いし、どうにも男性側からそういう対象として見てもらえないんだよね」
「いや、」
苦笑交じりに答えて、その理由も口にしたところで山崎君の声が私の言葉を止めた。驚いて山崎君を見ると、先程と同じ表情で、真っ直ぐに私を見ている。
「えっと、」
どう反応して良いのかわからず、間を持たせるように口から出た言葉。山崎君は尚も私を真っ直ぐに見つめている。その視線にどぎまぎしてしまうが、どうしても視線が逸らせない。
「変わったよ。苗字君は」
「え…?」
「女らしくなったし、綺麗になった」
どくどくと心臓が鳴って、うるさい。顔があつい。
「や、やだなー!照れるじゃん!」
なんとかして誤魔化そうとしたのに、山崎君は表情を動かさない。どうして良いかわからず、視線を下に落とすと、山崎君が立ち上がったのを感じた。相変らず顔は赤いだろうし、山崎君の言動の意味はわからないしで頭の中はぐるぐるとしてしまって、もうお酒を飲むとかそういう話ではない。どうしよう、どこかへ行った方が良いのか。回らない頭で考えていると、背後から声をかけられた。
「苗字君、」
「山崎君…」
「抜けないか?今幹事に声をかけてきたんだ」
「え、」
山崎君が、やわらかく笑う。状況が飲み込めず立ち上がれないでいる私に近寄ると、視線を合わせるように身を屈めてくれた。



「たぶん、俺の気のせいじゃなければ…あと数年もすれば苗字君も結婚できると思うんだが」


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