fate





前世で愛し合った恋人は、現世で近しい人間に生まれ変わるらしい。







「お兄ちゃん、起きてー」
午前6時。ドアのノックも無しに入って来た名前は、声を掛けながらベッドへ寄って来る。ぺたぺたという足音が聞こえて、僅かにベッドが軋んだ。沈むベッドに引き寄せられるように重い瞼を開くと、綺麗な菫色が目に入る。
「起きて」
「うるせぇ…」
「教師が遅刻なんてありえないと思うけどね」
俺の瞳より、少し薄い紫。無表情に俺を見下ろして、艶のある黒髪が一房、肩から落ちた。それ以上近づくでもなく、何か言うでもなく、名前はそのまま動かなかった。無言の威圧は流石妹、と言ったところか。諦めてわざとらしく溜息を吐くと、身体を起こした。
「わーったよ、起きる」
「よろしい」
言った途端、先ほどの人形のような、無機質な表情に柔らかさが入った。笑う時、涙袋が膨らむのは、幼い頃からのこいつの癖だ。
「それにしても、昨日何時まで仕事してたの?トイレに起きた時、まだ電気つけてたでしょ」
「時計なんざ見て無かったからわかんねぇな」
「体、壊さないようにね」
それだけ言うと、まだパジャマ姿の名前はベッドから降りた。するり、と、絹糸のような黒髪が揺れた。フラッシュバック――後ろ姿を俺に向けて歩き始める名前の姿が瞼に浮かび――を現実にしないよう咄嗟に手が伸びた。名前の細い手首を掴む。相当驚いた表情で名前が振り返った。
「え?何?」
「あ、いや…」
咄嗟の事だったから、何も言えない。慌てて手を離してその手で前髪を掻き上げる。
「悪い、寝ぼけてた」
「変なお兄ちゃん」
小さく笑うと、名前は今度こそ俺に背を向けて部屋を出て行った。一人きりになった部屋で先ほど脳裏に浮かんだ映像が、リアルに目に浮かぶ。頭を振ってそれを消すと、怠い身体をベッドから下ろし、冷たい床へ足を着けた。
そうだ、手放せば良い。あいつは俺の妹。一回り近く離れた、妹、だ。




「土方先生ー」
昼休み。売店と学食が一緒になった建物の中で、Aランチにするか弁当を買うか悩んでいると、馴染み深い声がした。
「名前」
「学校では先生って呼べって言うくせに、私のことはちゃっかり名前で呼ぶよね」
名前はそう言って、近づいて来た。長い黒髪は後ろで1つに結われている。ネイビーのシュシュは金糸で縁どられていて、少し背伸びした印象を与えた。
「まあな。で、何だよ。学校で話しかけてくるなんて珍しいじゃねぇか」
学食の入り口、人の邪魔にならないよう端に避けた。ドア側に立ち、二人でいるのが他の生徒から判り辛くする。俺たちが兄妹だと知っている生徒は良いが、そうでない生徒に見られると後で名前が厄介事に巻き込まれかねない。入学したばかりの頃から、頻繁に名前が呼び出されていると云う事を、先日総司から聞いたばかりだった。
「お弁当作ったの。どうせ作るなら1人分増えても同じかと思って、お兄ちゃんの分も作ってきた。はい」
そう言うと、名前は右手に持っていた弁当袋を渡してきた。誰か見てるんじゃないかと警戒したが、周りを見ても特に視線はない。がやがやと賑やかな学食内では、誰もが自分の昼食に夢中らしい。
「帰ったらシンクの所に置いといてね。じゃあ私、お昼食べるから」
俺が何も言わないまま、名前は用件だけ告げると朝と同じように俺に背を向けた。朝の事を思い出し、動けなくなった俺とは逆に、明るい外へ歩を進め、そのまま振り返る事無く進んで行く。


置いていかれる、のか。いや、そもそも俺の元にいる訳でもない、か。




「お前ら明日は朝礼あるから遅れんなよ」
帰りのHR、最後に伝達事項を告げると、待ってましたと云わんばかりにクラス中が賑やかになる。ある者は教室を飛び出し(恐らく部活へ向かったのだろう)、ある者は携帯で通話を始めた。特に用がある生徒はいないらしい。クラスを見回してから教室を出ようとして、いつもは眩しい西日が、今日は顔にかかっていない事に気付いた。窓を見てみれば、一面だけカーテンが閉められている。午後の授業がやりづらかったのか、教師が閉めたのだろう。そのままにしておくのはどうにも嫌で、カーテンを閉めるべく窓に近付く。学校のカーテンは年に1度しかクリーニングに出さないからか、やけにほこりっぽい。触れると埃が舞って西日に照らされきらりきらりと輝いた。ざっと、一気にカーテンを開ける。冬至も近いからか、陽は既に橙色になっていた。
「あれ。土方先生の妹だよね?」
いつの間にか隣にいた生徒は、窓の下、校門へ向かう生徒を指差す。そこには、昼休み見た時と同じ髪型で、陽に照らされて髪を揺らす名前の姿。
「隣に歩いてんの彼氏?先生知ってる?」
「1年だろ」
隣には、名前とは対照的な鳶色の髪をした男子生徒。恐らく地毛だろう。彼の髪もまた、陽を浴びて綺麗に輝いていた。名前よりも頭一つ背が高い男子生徒は、『友人』と呼ぶには近すぎて『恋人』と呼ぶには少し遠い距離で肩を並べていた。記憶の中の男子生徒は、非常に好青年だった。頭は中の上、中堅大学なら余裕で入れるだろうし、有名大学も頑張れば手も届く。サッカー部に所属していて、運動神経もそこそこ。友人も多いらしい。彼の周りに人がいない所を見た事は無かった。
「付き合ってんのかなー。先生の妹、何気狙ってる奴多いよね。先生が怖くてみんな手は出さないけど」
「阿呆か。あいつの何処がいいんだよ。言葉キツイしお転婆だし」
言っていて、心の中の俺が否定した。言葉がキツイのは、優しくして御礼を言われるのが恥ずかしいから。お転婆なのは、昔から俺の後ろについて遊んでたから。名前を否定するはずの言葉は、彼女の魅力を語っていた。
「はあ、まあ兄妹じゃそんなもなかー」
「ほら、馬鹿言ってねぇでとっとと帰れ」
窓の二人を視界から外すように窓に背を向けながら、生徒を追い払う。いつの間にか教室には俺たちしかいなかったらしい。男子生徒が鞄を手に取って教室を出ると、もう俺以外誰も教室にはいなかった。HRを終えた時は明るかった教室は橙から朱に色を移した太陽が染め上げている。生徒の声が廊下で響いているが、そのどれも何を言っているのかまでは聞き取れなかった。

小さく深呼吸すると、再び窓に目を向ける。先ほどの二人はもう、校門の近くまで歩いていた。笑う横顔が二つ、見える。昔は良く見た名前の笑顔も、最近はめっきり見ない。心の底からの、笑顔。単に家での会話が少ないからか、それとも―――。

「潮時、か」

呟いた言葉は、そのまま空気になった。誰にも届かない想いのように、存在したのに、消えてしまった。







前世で愛し合った恋人は、現世で近しい人間に生まれ変わるらしい。
――そうだったとしても、現実問題兄妹である以上、結ばれる事はおろか、この想いを伝える事はできない。




名前を見る度に疼く胸の痛みは、年齢を重ねる度に大きく、強くなっていく。
それでも、あいつの幸せを願うのなら、この気持ちは一生言葉にすることはできない。




なあ、名前。幸せになってくれ。
他の野郎の隣で幸せそうに笑うお前を見ればきっとこの気持ちにも整理がつく。だから…―――














教室からは、もう二人の姿は見えなかった。
もうひとつ、教室に言葉を残して、誰もいない教室のドアを閉めた。

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