恋の終わり


「沖田さん!」
非番の真昼間。縁側に腰掛けながらぼーっとしていると、よく知った声に呼ばれた。

「どうしたの、名前ちゃん」
声のする方を向くと八木の家に奉公で来ている名前がいた。両手に盥を持っている所を見ると、洗濯だろう。
「西本願寺に移られてから、こちらにいらっしゃる事は少ないので、珍しくて、」
照れたような、困ったような笑みを浮かべると、名前ははっとして、盥を縁側に置く。
「お茶、淹れてきますね」

八木邸から出て大分経った。
総司の「風邪」は「労咳」と名が付き、とうとう死の病となってしまった。なんとなく普通の風邪とは違うと思っていたが、まさかの結果だ。とは言え、常に死と隣り合わせの新撰組。何も変わった事はない。死因が「戦死」だけではなく「病死」という可能性も出てきただけ。何も、変わらない。
せめて自分の病が人にうつらないよう、以前より少しずつ人を遠ざけた。それでも八木邸に足を伸ばしてしまったのは、何故だろう。
ぼんやりとその理由を考えたが、答えを知るのが億劫になり、総司は先ほどより少し形の変わった雲を眺めた。

「お待たせしました」
盆の上に湯呑と干菓子を乗せて名前が戻ってきた。
「旦那様が、私も一緒に、と」
主である八木源之蒸は、この奉公人にすこぶる優しい。その理由はわからないが、彼女の穏やかで明瞭な雰囲気が後押ししているのは間違いない。彼女を嫌う人はそうそう居ない。

ゆるやかな時間が流れた。他の隊士達に比べ、自分は気楽な方だという自覚が総司にはある。それは、新撰組のあるべき姿にはさして興味はなく、自身の尊敬する近藤勇についていく事こそが自分のあるべき姿だと分かっているからだ。だからごちゃごちゃと余計な事を考える必要がない。
「屯所を移されてから、何か変わりましたか?」
「少し寝床が広くなったのと、君の料理が食べられなくなったことくらいかな」
新撰組預かりの身である雪村の料理も申し分無い程美味しい。江戸風の味付けは幹部勢の口に合う。比べて名前の料理は雪村のものより少し西寄りだ。少々塩気が足りない気もするが、出汁の風味や素材の味がしっかりとしていて、美味しい。何より、彼女が作った、という事が美味しさを引き立てた。
「沖田さん最近原田さんみたいになってきましたね」
袖で口元を隠しながら笑う名前は、総司の気持ちになど全く気づいていない様子。
それで良い。と、総司は考えていた。守るものが増えるということは、優先順位をつけるということだ。悩みを作る必要はない。
総司は自分の肘を太腿に置き、頬杖をつきながら笑った。
「僕は島原通いなんてしないよ」
だって、君がここにいるじゃない。
「ふふ、そうですね。沖田さんは花より団子、女より酒、ですからね」
随分見当違いな返答だが、訂正せず、総司は更に笑みを深めた。

今日で、ここに来るのも最後だ。

もう間もなく、世は戦乱の時代になる。
最前線で戦っている新撰組は、世間よりもその空気を強く感じていた。これ以上彼女を、名前を「欲しい」と思ってしまってはいけない。
最後の時を楽しむように、総司はとりとめもない話を楽しんだ。目の前にいる名前を、記憶に閉じ込めるように。

お茶も飲み終わり、そろそろお暇しようかと考えていると、名前の頬が僅かに紅く染まった。
「土方さん、」
「名前か、」
総司は穏やかだった気持ちが急に萎んでいくのを感じた。そういうつもりは無くとも、自分から表情が消えていくのが分かる。
「お茶淹れますね」
「いや、もう用は済んだしその必要は無ぇ」
先ほどまで自分に向けられていた笑みとは全く違う、恋情を含んだ名前の様子に、言い様のないもやもやとした感情がせり上がってくる。土方の方を振り向かず、名前をじっと見つめていると、段々と嫉妬の気持ちすら億劫になってきて総司は再び空を見上げた。

(いや、これでいいんだ…)

名前の気持ちが自分に向かないままで、良い。いつか遠からず死ぬ運命の自分よりも、多少生き延びる可能性のある土方を想った方が、名前は幸せだ。それに妻を囲う気の無い自分より土方の方が甲斐性もあるだろう。彼女が悲しむ可能性は、自分といるより土方といた方がずっと低い。

気付いた事実に自ら打ちひしがれた。腹にあったもやもやは胸のずきずきに形を変えていた。その正体を総司は知っていた。そして、初めて経験した。
(これが、失恋、か)

再度名前に視線を向けると先ほどよりも更に頬は赤くなっている。そして、背後の空気も随分柔らかい。誰が見ても、邪魔者は自分だった。

「じゃあ、僕はそろそろお暇しようかな。どっかの誰かさんといると、仕事させられそうだし」

振り返りざまにいつも通りに笑うと紫色と目が合った。目を細めて視線を名前に移しお茶の礼を言う。
「名前ちゃんごちそうさま」
「またいつでもお茶しに来てくださいね」

両手を前にそろえて微笑む名前に笑い返すと土方を背にしたまま歩き始めた。

「またそのうち、気が向いたらね」






最初で最後の恋の終わり

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