君はいつだって、僕の憧れだ

青々とした空が、境界線にむかって黄色くなる。青だと思っていた空はいつの間にか藍に近くなっていた。
静かに、静かに歩く。初夏の匂いは不思議と懐かしいのに、寂しくなる。

「総司さん、」

最後に見た彼の危うさは、私を不安にさせた。彼には師しか見えていない事が怖かった。だから京に向かうときに、土方様に、くれぐれも総司さんを頼みますと、頭を下げた。
彼らが京へ向かって暫くして、彼らの件は私の耳に届いた。土方様からのお手紙で、総司さんの事が書かれていれば、何度も何度もその文字を目でなぞり、会えない彼を想った。
どうか、どうか、総司さんが傷つきませんように。どうか、志と師を胸に、戦えますように。そしていつの日か彼の願いが、叶いますように。

毎日、近くの神社にお参りをした。
どうか、どうか…。



「夜分遅くに申し訳ございません。名前と申します。こちらに…、こちらに、私の探している方が休まれていると伺って参りました」



じゃり、と、引き戸の前に人が立つのがわかった。土方様からの知らせではこちらは蘭方医の先生の別宅であると伺っている。はやく、はやく、会わせて欲しい。

「こんばんは」
「夜分に申し訳ございません、名前と申します」
「彼から伺っていますよ、さあ、どうぞ」

総司さんの名前が出せないことが、苦しかった。





「ちょうど、君が来る少し前に起きたところだよ」
案内をして下さったのは、松本先生という土方様の仰っていた、蘭方医の先生だった。蘭方医と云えば、もっと線の細い方が多いため、松本先生の見た目や声には驚いた。けれど反面、松本先生のような方に診ていただいたら、きっと滅入っていた気も、明るくなるのだろうと感じた。
病に臥せると、どうしても気は滅入る。だから、こういう先生が総司さんを診ている、ということが、僅かに嬉しかった。

障子の前で、松本先生の足が止まった。松本先生はこちらを一瞥してから、障子に向かって声をかける。
「沖田君、来客だ」
「…はい」

障子越しに聞こえた声が、じんわりと胸に広がる。ああ、総司さんだ。総司さんの声だ。
松本先生を伺うと、口を一文字に結び、頷かれた。それが入室の許可と受け取り、そっと障子に手を掛ける。


「…久しぶりだね、名前ちゃん」
「…お久しぶりです」

彼のような笑顔は、作れなかった。
夕の黄色い空が、紫になる。そこに薄らと笑みを浮かべた総司さんが、いた。最後に見たあの日のような、ギラギラとする熱や刺は、もう無い。私の知っている総司さんではなかった。…全くの別人だった。

「君は変わらないね」

私の心のうちを察したのだろう総司さんが、笑う。決して揶揄するわけでも、怒るわけでもない。ただ、単純にそう思ったのだろう。彼の笑みは変わらない。

「ごめ、なさ…」

私は混乱していた。なんで、どうして、どうしたら。

話したいことが、沢山あった。聞きたいことが、沢山あった。でも、そんなもの全て無くなるほどに、総司さんが変わってしまった。
声も、顔も、身体も、笑みも、おそらく、こころも。
期待は混乱に裏切られ、混乱は涙となって私を満たしていく。…こわい。どうしたらいい?何を、話せばいい?


「そんなに慌てないでよ。そんなに日は無いかもしれないけど、話すだけの時間はあるんだから」
「ごめんなさい…」

ふと、総司さんの力が抜ける。

「退屈してたんだ。ここにいる事に。…とは言っても、抜け出せる身体じゃないからね。ここにいるしかないんだ。…君が嫌じゃなければ、もう少し近くで話さない?」

私の知っている彼よりも、ずっとゆっくり喋る総司さんは、困ったように笑う。
彼の病が何だかは知っている。けれど、病に対する恐怖は無かった。逡巡の末頷いた私に、総司さんは満足気に笑った。

「僕たちが京に発って以来だね」
「はい」

ぽつぽつと、会話が始まる。お別れをしたあの日から、今日までのこと。不文律のように、戦いには触れずに。近藤様の事や、土方様の事には触れずに。京の花や、皆さんでした花見や、京料理や、千鶴ちゃんという女の子の話や、着物の流行りなんかの話をした。

「名前ちゃんは?」
「え?」
「名前ちゃんは、どうやって大人になったの?僕の知ってる君は、確かもっと子供だったと思うよ」
「私は何も変わってない、です。…本当に、何も」
「…僕は、君が障子を開けたときに、驚いたんだ。いつの間にか大人の女性になってたから」
「ふふ、総司さんたら、そうやって京の女子さんたちを口説いてたんですか?」
総司さんがクスリと笑う。
「残念。浮いた話が多いのは土方さんや左之さんだけで、僕はそういうお店に行ってもお酒しか嗜まなかったんだよね」

何故、と、問おうとしたところで、言葉は喉に引っかかっる。笑っていた総司さんの目が、すっ、と、細くなる。逃げたくなるほど、鋭い。痛い。ああでも、懐かしい。私の知っている総司さんだ。懐かしい。真っ直ぐ前だけを見ていた総司さんだ。

「もう、帰りなよ。夜も更けてきた。おうちの方が心配するでしょ。…確か君の家は、」
「他界しました」
「…え?」
「去年の、夏の暮に、流行り病で、他界しました。だからもう、あの家には私だけです」
「…そう、」


夏の虫が、静かに鳴く。
「それでも、今日は帰ろう。嫁入り前の女の子が、労咳の男の部屋に泊まるなんて、良くない」
「総司さ、」
「帰って。…お願いだ。これ以上、今日は君といたくない」
それだけ言うと、総司さんは身体を布団に横たえ、こちらに背を向けた。突然の事で驚いたけれど、総司さんの言うとおりだ。帰ろう。これ以上ここにいては、松本先生にもご迷惑をおかけしてしまう。帰ろう。帰らなきゃ。

じん、と、鼻の奥が痛む。喉が、つん、と、痛む。じわり、視界が歪んだ。



…悲しい、苦しい。楽しくお話をしていたのに、急に総司さんとの距離が広がったことが、悲しい。怒らせてしまったのだろうか。何か、悪い事を言ったのだろうか。


「おやすみなさい、総司さん」

震えそうになる喉に力を入れて、声を掛ける。返事は期待しない。謝った方が、いいのだろうか。何か気に触れるような事を言ったのなら、謝った方がいいよね。

「そ、」
「またおいで」
「え?」
「君が嫌じゃ無ければ、また、話相手になってよ」
「、はい。また。…おやすみなさい」
「おやすみ」


振り返った先にある月は、少し丸みを欠いていたけれど、満月の夜のように明るい。松本先生にご挨拶をして、失礼を侘び、先生のお宅を後にする。
ふわり、と、胸が軽い。またすぐに来よう。次は少し化粧をしよう。土産に花でも摘んでこよう。総司さんの喜ぶ顔が見たい。
叶わないってわかってる。だけど、それでも総司さん達を見送ったあの日から、私の気持ちは変わらない。伝える事は出来ないけれど、でもどうか、最期の時まで傍に居させてほしい。一人ではなく、せめて最期は二人で。






「―ゲホッ、ッは、―!」
喉が焼けるように熱い。痛い。口が、鼻が、鉄臭い。
こんな姿を、あの子には見せたくなかった。痛いほど伝わるあの子の気持ちに、僕は応えてはいけない。彼女が抑えようとしているように、僕も僕の中の気持ちを彼女に悟られてはいけない。

―僕には、もう、彼女を幸せにできる術が無い。

だからせめて、綺麗な思い出でいさせて欲しい。報われないと分かっているけれど、それでも、僕の最後の我が儘。残り少ない時間を、彼女と過ごしたい。次の季節を名前ちゃんと迎える事なんて叶わないって、分かっているから。



君はいつだって、僕の憧れだ。

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