曇りのち晴れ、ときどき雨

私の向かいの席の、その向こう。隣の島に席を設ける、明るい茶色の髪の、彼。
セールス部門エースの、沖田さん。優しくて、面白くて、子供みたいに無邪気で、それなのに仕事ができる。そして、格好良い。
私の席からはいつも後ろ姿しか見えないけど、それで良い。何かあるとつい見てしまうから、きっと向かい合って座っていたらすぐに気付かれてしまう。
エンジニア部門の私は、ただ、大人しく、静かに、ばれないように、彼をそっと見つめる事しかできない。…ばれたら、気持ち悪がられて、しまうかもしれない。

このことに気付く度、ため息が漏れる。向かいの席の藤堂君は、その度に「大丈夫か?」と声をかけてくれるけれど、そんな彼には申し訳ない位体調は良い。
「大丈夫だよ」
「そうか?うちの部署、苗字以外女子社員いねえし、よりによって俺らのリーダー新八っつぁんだから、何かあったらすぐ言えよ?」
「ありがとう、でも、本当に大丈夫だから」
心から心配してくれているのだろう、眉を寄せて此方を見る彼に、笑って返す。この部署に女子社員がいないのは当たり前だ。可愛い制服やスーツとは縁遠い、作業着姿。
理系の大学を卒業したまま、死に物狂いで就活をした先にあった、唯一の企業がここだった。だから、私にはこの会社しかない。唯一拾ってくれた会社だからこそ、私は私の出来得る限りこの会社の為に働く。
そう意気込んで入社してすぐに、私は少し後悔した。配属先は、女子社員のいない、技術部。理系女子が欲しかった理由はこれ、らしい。商品を自社開発している上、エンジニアは男ばかり。女性の視点が欲しい、と試しに私を採った、と。
しかも、同期入社の女子社員は入社後1ヶ月経ったGWを明けてすぐ、辞めてしまった。完全に、ぼっち。

「永倉課長、自販機行って来ますね」
「おう、いってらっしゃい!」
考え事をしていると、手が止まってしまう。気分転換をするには丁度いい時間だった。席を立って上司に声をかけてから、フロアを出た。
廊下に出ると効きすぎた冷房が無い分、あたたかく感じる。先ほどまで頭に浮かんでいたもやもやが、また蘇ってきた。


同期の女の子が辞めたと知った、5月半ば。確か、初夏のように暑い日だった。私は仲良くなったと思っていた同期の子が何の相談も無く辞めてしまったことに、思いのほか凹んでいた。あの日も、今日と同じように永倉課長に声をかけて、自販機に向かったのだ。
冷たいみかんジュースの缶を手に取って、給湯室横の休憩スペースでソファに腰掛けた時だった。「ここ、良い?」と頭上から声がかけられて、空っぽだった私は、何も考えず「どうそ」と返答した。次の瞬間には、正面ではなく二人掛けのソファ隣に人が座った。重みで身体が傾くのを慌てて直すと、隣から楽しげに笑い声が聞こえた。
「君さ、結構天然なんだね。エンジニアだから結構お堅いのかと思った」
「えっと…」
知らない人だ。しかも、スーツを着ているから、エンジニアではない。余計にどうして良いか分からず、慌てているのを隠すようにみかんジュースのプルタブを引いた。
「そんなに警戒しないでよ。僕のこと、知らない?」
「知らない、です」
彼は、意外そうに目を丸くした後、面白そうに目を細めた。その姿がなんとなく猫を思わせる。口角が薄く持ち上がった。
「そっか、それじゃあ警戒するよね。沖田総司。セールス一部のエース。よろしくね、苗字名前ちゃん」
「なんで、名前…」
「うちの会社、新入社員少ないし、女子社員今年は君と…辞めちゃったあの子だけだったからすぐ覚えられたんだよ」
沖田さんは、笑って手に持っていた缶コーヒーを口元に運ぶ。彼の言葉で、何故私の事を知っていたのかは分かったけど、今こうして話している理由はわからない。ばれないようにそっと見上げると、沖田さんが綺麗な顔をしている事がよくわかった。それこそモデルや俳優…夜の仕事なんかも向いているかも知れない。…詳しくはわからないけど。
「名前ちゃんは、なんでエンジニアになったの?」
「希望を出した訳じゃないんです」
「じゃあ、エンジニアは嫌?」
答えに詰まった。嫌ではない。嫌ではないけど、この格好は嫌だ。ひとりぼっちは嫌だ。女子社員とごはん食べたり、会社帰りに寄り道、したい。
「…嫌じゃないんだね」
「…はい」
「でも、何か引っかかるんだ?」
沖田さんの問いかけに顔を上げると、先程までの悪戯っ子のような表情から一転して、優しい笑顔がそこにあった。
「どう、して…」
「セールスやってれば、君くらい表情動かす相手なら手に取るように何考えてるかわかるよ」
「そんなに顔に出てます…?」
「出て無い方だとは思うけど、僕からしたらまる分かり。だってほら、セールスのエースだし」
沖田さんは面白そうに笑うと、缶コーヒーをもう一度口に運んだ。同じように私もジュースをひとくち飲む。あまい。
「で、そんな君は、同期の子が辞めちゃって柄にもなく凹んでる」
そうでしょう?と、言わんばかりの笑顔を、向けられた。ぐうの音も出ない。悔しくて、もう一口みかんジュースを飲む。
「君ってさ、可愛いよね」
「っ何を言ってるんですか!」
「怒らないでよ」
顔が、熱い。勢い良く沖田さんの方を見たら、沖田さんは相変らず楽しげに笑っていた。なんだか、私ばかり慌てていて、恥ずかしい。
「本当、君って可愛いね。もっと早く話しかけておけばよかった」
「からかわないでください」
「エンジニア、嫌になったらいつでもセールスにおいで?」
「行きません!」
「だろうね、エンジニアが嫌になる事、君はないだろうし。セールスに『逃げて』来るのなんて嫌なんでしょ?」
何も、言えなかった。そこまで顔に出ているのか。それとも、これがこの人の能力なのか。ずかずかと土足で人のこころの中に入ってきて、触れてほしくないのに気付いて欲しい、むず痒い部分に平気で手を伸ばしてかき混ぜる。その後のケアなんて何もせずに。
嫌、なのに、ざわざわと胸が熱くなる。まさか、こんな数分で。ありえない。
「君のそういう所、すごくこの会社に合ってると思うよ。新八さんはあれでも面倒見良いし、平助も君のこと気にしてるみたいだよ。それに、小さい会社だからね。社長の近藤さんも、君の事を気にかけてる。…何かあればいつでも誰だって相談に乗ってくれるよ」
「…沖田さんも、ですか?」
口をついた言葉に、自分でも驚いた。でも、ここでつなぎとめなくちゃ、この人とこの後ずっと話せなくなっちゃう気がして。
「僕で良ければ、いつだって相談に乗るよ。勿論、飲みながらね」
そこまで言うと、沖田さんは缶の中のコーヒーを全て飲み干した。座ったまま自販機横のゴミ箱に缶を投げ入れる。
「さて、そろそろ土方さんが煩くなるだろうし、僕はもう行くね。バイバイ、名前ちゃん」
来た時と同じように、すっと立ち上がると、沖田さんは背を向けて歩き始めた。
「沖田さん、ありがとうございました」
背を向けて歩く沖田さんに、声をかける。ともすれば辞める事を考えていたかもしれない私に、その必要はないと、教えてくれた。一人でいじけてた私に、周りを見ろと教えてくれた。
沖田さんはぴたり、と足を止めて、振り返りざまに笑ってみせる。悪戯っぽい、笑い方。けれど沖田さんは何も言わず、再び歩き始めてしまった。





「戻りましたー」
「おうっ!あと3時間頑張ろうな」
「はい」
あの日と同じみかんジュースを手に持って、自分の席に戻る。藤堂君はかじりつくようにモニタに集中している。多分、何か製図をしているのだろう。自分の席に着いて缶のプルタブを引いた。
「おい総司!てめぇこの報告書何だ!」
向こうの島で怒号が飛ぶ。呼ばれた名前にはっと顔を上げると、あの日より髪を少し短くした沖田さんが、あの日と同じように悪戯っぽい笑みを浮かべて上司の土方さんの元へ足を向ける。土方部長の元で二言三言話した後、土方部長は盛大な溜息を吐いて、沖田さんを解放した。
「あんまり怒鳴ってばっかりだとまた女子社員が辞めちゃいますよ?」
「誰のせいだ!」
「嫌だなあ、怒鳴ってるのは土方さんじゃないですか」
いつもと変わらない光景に、自然と笑みが零れる。女子社員が辞める、という言葉に、あの日、かけてくれた言葉の優しさを知った。

「ねえ、君だってこんなに怒鳴ってる上司嫌だよね?」

沖田さんが、口を開き、笑ながら、同意を求めた。彼と同じ部署の女の子に。
「あーあ、総司のやつ、会社でまでいちゃつきやがって」
いつの間にか作業を終えていた藤堂君が、呆れたように口にした。
「沖田さんの、彼女…?」
どくどくとも、ぞくぞくともつかない心音が、全身を駆け巡って行く。聞いちゃいけない。でも、知りたい。
私のジレンマなんて知らないまま、藤堂君はさもありなんといった様子で頷いた。
「ああ。もう付き合って半年になるんじゃねえかな」
「そう、」


当たり前だ。あんな素敵な人だもの。当たり前だ。人の感情に敏感で、優しくて、聡い。冗談も言えて人当たりも良い。そんな素敵な人が、フリーなはずが無い。わかってたじゃないか。


もう一度、沖田さんを見る。
いつかの日よりもずっとずっと優しい笑顔。
その先にいるのは、私よりも少し背の高い女性。見たことあるけど、話したことがない人。…でも、わかる。彼女は、沖田さんと並んで画になる。単に美しいとか、そういう話ではない。そういう話では、ない。
沖田さんと彼女が、互いを想う気持ちが、表情に出てる。

始まる前に、私の恋は終わった。

それなのに、彼女に向けられる沖田さんの優しい笑顔が、好きだ。

終わってる恋なのに、どんどん沖田さんの事を好きになっていく。こんな時ですら、ときめいてしまう。どうしようもなく、好きになっていってしまう。どうよう。ずくずくと胸が痛い。

胸が痛いのに、二人から目が離せない。

愛しいきもちと、悲しいきもちと、羨ましいきもちと、悔しいきもちが、ごちゃごちゃになって目から溢れそうだ。
視界が歪んでいくのを誰にも見つからないよう少し俯いてらモニタを見る。頭に入らない数字の羅列。頭には、あの日の沖田さんとのやりとりが、何度も何度も流れては消えていく。

そっと、もう一度沖田さんを見る。丁度彼女さんと話しているところだった。
あの日よりもずっと優しい笑顔。愛しい人を見つめる、優しい笑顔。私には向けられない、優しい笑顔。
こんなに好きなのに、あの表情を向けられるのは、私じゃないなんて。



再びギリギリと痛み始めた胸を無視して、私は目の前の仕事に意識を埋没させていく。
いつか、いつかあの笑顔を向けてもらえることを夢見て。

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