あなたとなら

君は、ズルい。



「ねえ、名前ちゃん」
昼休みの裏庭。程よく日が当たるものの、教室からは非常に遠い為昼食の為にわざわざここまで来る生徒は少ない。故に、告白するのに呼び出したり、こうして恋人同士が逢瀬をする人が多い。
そんな、多くの生徒のいる学校で二人きりになれる場所を、彼女達は殆ど毎日使用していた。沖田総司と恋人、苗字名前は付き合って間もなく半年になる。
「どうしましたか?」
ベンチの向かいに、たわわに咲いた桜を眺めながら、二人はゆったりとした時間の中で昼食をとっていた。

「そろそろ僕たちの関係、進展しても良いと思うんだけど」
「進展…?」
食べ終わったメロンパンの袋を適当に結んで、総司は名前を見た。彼女は卵焼きを箸で持った所で総司の放った言葉の意味を考えているようだ。しかし、今一ピンときていないらしい。言葉を反芻した後、その答えを求めるように彼女は総司を見つめる。
「うん、今月で付き合い始めて半年になるでしょ?朝練の無い日に一緒に登校して、お昼をここで一緒に食べて、部活が無い日は一緒に帰る。夜に電話したりメールをしたり、休日にデートしてみたり」
生真面目な名前は、総司の言葉をひとつも聞き逃さないよう一度お昼を食べる手を止めて、理解を示すように頷く。その様子を見て彼女がどの程度理解しているのかを確認しながら、総司は言葉を続けた。
「今の関係が決して不満な訳じゃないよ。でも、出来れば僕は君ともっとその先に行きたいんだ」
「その、先…?」
名前にとって、総司は初めての彼氏だった。恋愛経験が薄い上、友人たちの恋バナすら「すごいな」「良いな」という感想で終わらせていた彼女には、自分がこの先どうこうなるという想像が殆ど出来ない。
「…まあ、それは追々でも良…くはない、けど、まあ、それは一旦置いておいて、」
大方、この話題を振ってもこんな反応が返ってくることは想像に容易かった。それでも、もしかしたら、という一縷の望みをかけてこの話題を振ってみたものの、矢張りこの結果だ。
「あの、具体的に、言ってもらっても…良い、ですか?」
「具体的に…か…」
総司は迷った。例えば「キスをしたい」だとか、それこそのその先の事を言葉にしてしまったら、彼女は怖がるんじゃないかと。怖がられるだけじゃない。気色悪いと軽蔑されるのではないか。男と違って、女の子は一緒にいるだけで満足だっていう話を聞いた事がある。だから、総司はこうして手を出せずにいる。自分の欲望を優先させるばかりに名前を傷つけて、離れていくのが怖い。
「あの…沖田先輩」
名前は一旦弁当箱を閉じると、それをベンチの上に置いて少し体を総司の方へ向けた。彼の手を両手で包むと、口を開いては閉じ、開いては、閉じる。だんだんと名前の頬が赤くなっていく。
「名前ちゃん?」
「あのっ、」
くっ、と、決意を込めた目で、名前が総司を見上げた。総司はまたひとつ、新しい表情を見られたと嬉しい反面、何を言われるのかと心の裏では少し緊張する。

「私の勘違いだったら、すみません。でも、もし、もし…沖田先輩の言う「その先」っていうのが、私の考えた「その先」と一緒だったら…私も、「その先」がしたいです」
総司の右手は、痛い程に握られていた。けれどそんな痛みなんて気にならない程、総司は彼女の言葉に驚いていた。…今、何て言った?
「お、沖田先輩…?」
無言の間に耐えられず先に口を開いたのは名前だった。
「名前ちゃん、今、何て…?」
「私も、沖田先輩と同じ気持ち、です」
もうこれ以上赤くなれないんじゃないかって程に顔を真っ赤にしながら、名前はもう一度その言葉を口にする。
「っ、君ってさ、本当にズルいよね…!」
彼女の反応に、翻弄されるように総司の顔も赤い。名前から見えないよう顔を背けて握られていない方の手で口元を覆った。
「えっ!?私何かしましたか…!?」
キスもしていない。ただ、ただ手を握って一緒にその先の事をしたいと言われただけだ。言われただけでこんなにも此方の心臓はうるさくなってしまうなんて。
「本当に、もう…っ」
これだけで、こんなになってしまうのだから、キスなんて到底出来やしない。もしこの唇に自分の唇を重ねてしまったら、それこそ歯止めがきかなくなりそうだ。
「せ、先輩…?」
総司は、名前の両頬を包むと、視線を合わせるようにそっと顔を近づけた。
「それなら、名前ちゃん」
両頬を挟まれている為、頷く事が出来ない名前は、見つめる事でその返事をした。総司は優しく目を細めると、意地悪な笑みを浮かべて更に名前に顔を近づける。
「僕の事、沖田先輩じゃなくて「総司先輩」って呼んでよ」
「え…?」
「…嫌?」
キスを、されると思っていた。名前は自分の想像が破廉恥だった事が恥ずかしく、反応が遅れてしまった。
「嫌じゃない、けど…その、恥ずかしいです」
素直に、恥ずかしかった。確かに名前の友人たちは、恋人を名前やニックネームで呼んでいるが、自分もその仲間に入るとは思っていないのだ。しかし、総司はこれでも譲歩している。本心を言えば、名前で呼び捨てにしてほしい。けれど、名前にはハードルは高い。そう考えた総司は、「先輩」を付けて呼ぶように言ったのだった。
「一緒に進んでいくなら、名前で呼んでくれないと困るのは名前ちゃんだよ?」
それでも名前にはハードルが高かったらしい。なかなか口を開こうとしない。…それなら、と瞬時に考えた事を唇に乗せる。
「だって、僕たちはこの後高校を卒業して、進学して、社会人になる。その後…その後もずっと一緒にいられるなら、名前ちゃんの苗字も沖田になるんだよ?」
「ッ…!」
言われたままに順を追って想像していく名前が、最後に見た想像は総司と自分が肩を並べて赤い真っ直ぐな絨毯を敷かれた教会を歩くシーンだった。ここまで想像して、一度おさまっていた熱が、再度顔に集中する。その反応を見た総司はあともう一押しと、口を開く。
「ほら、呼んで?」
彼女の両頬を包んだまま、親指を動かして撫でてやると、羞恥からか名前は僅かに涙を浮かべた。顔が赤いままのその表情は、総司の心を擽った。
「お、きた…先輩…」
「ダメ」
漸く彼女が口にした言葉は自分が望んでいたものとは、違う。総司は笑うのを止めると口を引き結ぶ。

「おき…っ、そ、うじ、先輩…」
再びの沈黙の後、総司の苗字を呼ぼうとした名前をじっと見つめると、漸くその唇から自分の名が紡がれた。
「よく出来ました、名前」
ただ、それだけなのに。ただ、名前を呼ばれただけなのに、自分でも笑えてしまうくらい、嬉しい。思わず破顔した総司の無垢な笑顔にあてられて、名前は自分がいかに彼の事が好きなのか、思い知らされた。
「総司先輩は、ズルいです」
「ズルいのは名前の方じゃない」
笑みを絶やさないまま、総司が彼女に返答するも、自分の頬に手をあてて熱が冷めるのを待っている名前に、その言葉は届かなかった。総司が何か言ったという事だけわかった名前は、隣にいる総司を見上げる。
「今、何て…?」
「何でもないよ。ほら、もう予鈴が鳴るし校舎に戻ろうか」
あたたかな風がひとつ吹いた。これ以上この話題を続けていれば、いつかボロが出る気がした総司は、先程結んだメロンパンの包み紙を手に持ち、立ち上がる。名前は慌ててお弁当箱を包むと既に立ち上がった総司に「お待たせしました」と言い添えて立ち上がった。


春は風が強い。裏庭から校舎へ向かう間に通る、体育館横は、ビル風(と呼んで良いのかはわからないが)で特にひどく、風が攫ってきた桜の花びらがアスファルトを覆っていた。
一陣、ひときわ強い風が二人を背後から押した。風はおさまる事なく二人を煽り続ける。体の大きな総司にとっては大したことの無い風でも、自分よりも20センチ以上背の小さい、しかも普段鍛えてなどいない名前にとっては足を取られる程に強い風だった。
「名前」
スカートを押さえ、風に足を取られないようしっかりと踏みしめて歩く名前の、空いた手を握った。そのまま少し自分の方に寄せ、自分の前を歩かせる。
「ありがとうございます、」
総司が風よけになってくれたお蔭で、名前は歩きやすくなった。それでも、ごうごうと風が煩く、名前の声は総司には届かなかった。しかし、その唇の動きと表情から礼を言われたと気付いた総司は、これ幸いと薄く笑みを浮かべた。

「好きだよ、名前」

愛で紡いだ言葉は、彼女の耳には入らない。それでも良いと、総司は名前の手を握る力を少しだけ強くした。


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