何者をも寄せ付けぬような、無機質な眼をした人だった。絹のような緑色の髪も、冷たい宝石のような瞳もすべてが神秘的で、まるで人形のような美しさを秘めていて。どこか手の届かない場所に居るような人。そんな彼が「勇者」などと呼ばれていることを酷く不自然に感じた記憶がある。その容姿も性格も、お伽話によくある正義感溢れる熱き勇者像とは全くの別者であったから。

だが今は……この城では彼を勇者と呼ぶことさえも皮肉と感ぜられてしまう。

世界を統治する全知全能の神マスタードラゴンさまは、続く未来の安泰の為か或いは反逆を恐れたためか、魔王討伐を果たした勇者をこの天空魔城に匿った。匿った、と言うよりは閉じ込めたと表したほうが幾分か整合している。私はそんな勇者さまの数少ない世話係を務めていた。勇者さまが段々と生気を失ってゆくさまをこの目で見続けてきたのだ。まるで春に芽吹いた葉が秋に散りゆく様子を、何もできずに傍で眺めていたようだった。

「お召し物をご用意いたしました」

ベッドに腰掛け、虚ろな眼をしている勇者さまにそう声をかければ、視線だけが動いた。少しだけ……ほんの少しだけ憎悪を含んだようなその視線に気づき、思わず眼を瞑ってしまいたくなるのをぐっと堪える。

「ごめんなさい」
「……何に対して謝っている」
「私たち天空人が憎いのでしょう」

神は絶対。私たち天空人はそれに逆らうことは許されない。その命を遂行すべく同じく勇者を逃さまいと常に目を光らせている私たちを彼は憎んでいると、そう思っていたのだが。
予想に反して勇者さまは小さく笑った。長らく彼の世話をしていたのだが、口元を緩めているところなど一度も見たことが無かった。驚いて目を見張っていれば、勇者さまは喉の奥から空気を絞るように、久々に声帯を震わせたような低い声で語りかけてきた。

「俺は別にあんたを憎んじゃいないさ、ただ毎日俺の様子を窺うようにびくびくしているのが癪に障っただけだ」
「……」
「偉そうに踏ん反り返ってくれたほうが幾らかマシだ。俺はあんたらに飼われているんだからな」
「そんなこと……」

尻すぼみになった言葉は淀んだ部屋の空気に融けて静かに消えた。「そんなことない」と叫んでしまいたかったが、マスタードラゴンさまも私たちも、そう思われて当たり前の振る舞いをしているのだ。
だが、立場はそうであれ少なくとも私は勇者さまを「飼っている」など思ったことは一度も無かった。寧ろ自分ではどうにもできないような崇高な存在であると認識していたのだ。彼が醸し出す雰囲気然り、偉勲然り……彼がこの天空城という檻に囚われ、幾ら風采の上がらない青年になろうとも、それらだけは変わることはない。そして私も変わらず、そんな彼に畏敬の念を抱いている。

「私は、少なくとも私だけは勇者さまのお力になりたいと考えています。ですが神の命は絶対、結局はどうすることもできませんが……」

ただ私の力ではどう足掻いても無理なのだ。この場で勇者さまの手を引き、人目を掻い潜って天空城から逃げ出そうとも、いずれ私たちの頭上に裁きの雷が落ちるのみ。

不意に、それまで下を向いていた勇者さまがこちらを見やった。相変わらず感情の読めない目をしながら、薄い唇を小さく動かす。

「昔に戻りたい」

幸せなど望んでいない、ただ同じ道を辿っても良いから昔に戻りたいと。それだけ呟いて声は途切れた。

「その願いは、私にはとても」

名残惜しそうな語気に無言でいるのが居た堪れなくなり、慌てて口を開く。しかし私風情にその願いを叶えられる術は無い。どうしようかとあたふたしてしまうが、ふいに彼の「癪に障った」という言葉を思い出し、ぴんと背筋を伸ばした。視線も勇者さまに標準を合わせたまま動かなさないでいると、ふとパチリと目が合う。

「名前を、」
「名前……ですか?」
「もう勇者というツラでも無いだろう。俺には(勇者)という名がある。久しく呼ばれていないが」

「……(勇者)、さま」

あまりにも消え入りそうな声でそう言われたものだから、驚いて無意識のうちに彼の言葉を反芻するように名を呼んだ。すると勇者さまは……(勇者)さまは見たこともないほど柔らかく、悲しそうに微笑んだ。その儚げな表情がこの上なく美しく、私は初めて自分の背に生えた翼を呪ってしまいたくなったのだ。
Hydra
(根絶やし難い悪)

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