ウェナ諸島の海はどこまでも広い。海とともに生きる自分たちにとったら変なことかもしれないが、このどこまでも広がる海を見ていると、嫌なことも忘れられそうで、大切な思い出に浸れて――心の奥底が安心するのだ。そんな風に物思いにふけそうになるのを現実に引き戻すかのように、大地の方舟のブザーが鳴った。あの辺りはルーラストーンがないから、しばらくは徒歩での旅になるだろう。長く伸ばしたままだった髪を結んで気を引き締める。数年ぶりの帰郷に、少しばかり胸が躍っていた。


***


構内に、駅員のアナウンスが響き渡る。ウェナ諸島の王都、ヴェリナードへ到着した合図だった。海を象徴するような、鮮やかな青と白で統一された町並みは、いつ見ても帰って来たのだと安堵させてくれるに十分なものだった。レンダーシアのグランゼドーラの騎士になってから、もう何年経っただろうか。

「よう、(名前)」
「あ、ヒューザ。迎えに来てくれたんだ。珍しい。面倒臭がりなのに」

構内降りたところで、そんな自分の名を呼ぶ声が聞こえて、人混みの中でその声の主を探す。数年経って、また少し声変わりしたのだろうか。以前聞いたときよりも、若干声低く聞こえた。とは言っても、幼いころをともに過ごした以上、いくら少し声変わりしても、その声の主を間違えることはなく。すぐに姿を見つけると、場所を知らせるように手を振った。

「いいだろ別に。それとも何か? オレが迎えに来ちゃ不満だって?」
「ううん、そんなことないけど。だっていつも何するにも面倒だとか、うぜぇとか言うから意外だなーって。ヒューザも大人になったんだね」
「うるせ、馬鹿にしてんだろ明らかに」
「してないってば。それにヒューザが来てくれて嬉しいよ。ありがと。全然変わってないみたいで安心した」

ちょっと背は伸びた気がする。昔は私よりも背が低くて、少し感じの悪い弟みたいな感覚だったのに、すっかり背も伸びて、どことなくそれに寂しさを感じたりもしてしまった。とはいえ、その素直じゃないところは昔から変わっていない辺り、結局、芯は何も変わっていないのだろう証拠なのだけれど。

「何年ぶりだっけか」
「5年ぶりくらいだねえ。前は頻繁に帰れてたけど、ちょっと忙しくて間が空いちゃった」
「ふーん。けどどうせすぐ帰んだろ?」
「そうだねえ。3日くらいしかいられないかな。でも、ヒューザは旅してるって聞いてたから、会えないかもって思ってたんだ。だから会えてよかったなって」

陽の光が眩しい。遠くに見える海に太陽の光が反射してとても綺麗だ。光を吸収した海はキラキラと輝いている。ところどころで目にする男女は、恋人同士か何かだろうか。もちろん、それなりの決意でレンダーシアに渡ったとはいえ、自由に生きる彼らを見ているとどこか羨望のような憧憬のような、そんな感情も抱いてしまう。そういえばもう、恋だの愛だのにはすっかり無縁な生活になってしまったな、なんて自嘲気味にため息をつく。

「あのね、ヒューザ」
「何だよ」
「......んーん! やっぱり何でもない。ちょっと付き合ってよ。ヴェリナードに来たなら、ついでに観光もしたいし」

ほら!と無理やり感情を押し殺して、彼の手を無理やり引いた。変に感傷的になるよりは、空元気でも笑顔でいたほうが、きっといい。そもそも、私がどう思ってたとして、彼がそういうことにあまり興味が無いことなんて、とっくの昔から分かりきっていることなのだから。

「ほら、行こ! レーンの村にも寄りたいから、遅くならないほうがいいでしょ?」
「ったく面倒くせぇ。ならとっとと行くぞ。オレも、用が終わったら行かなきゃならないしな」
「もしかして、わざわざ私に会うために日にち開けてきてくれたの?」
「......」

彼が何も言わないときは、大抵が肯定のときだ。こういうところは相変わらず、わかりやすいな、なんて思う。何だか少し変に緊張してしまって、胸がドキドキしてしまうのは何かの気のせいだと思いたい。これではまるで、町で見かける恋人たちみたいで、妙に気負ってしまう。そんなことあるはずなんてないのに、何故だか期待している自分がいるのも確かで、その度に、何だか虚しくなってしまいそうだった。

「あ」
「ってぇ! (名前)、いきなり立ち止まんなよ」
「ごめんごめん! ちょっとあれに見入っちゃって」
「ただのアクセサリー屋だろ?」
「ヒューザは見る目がないなあ。店じゃなくて、売ってる物だよ!物!」

通りがかったアクセサリー屋に、少し高そうな指輪が窓越しに飾られてあった。それは、窓の向こう側で鮮やかに輝いていた。中心部に埋められた宝石は、ウェナ諸島の海と同じくらい綺麗な青に輝いていた。

「なんか懐かしいね。むかーし、私が小さい頃、ヒューザが誕生日プレゼントだーってお花の指輪送ってくれたっけ」
「そうだったか? 覚えてねぇ」
「そりゃ、私が小さいとなるとヒューザはもっと小さいころだし、覚えてなくても仕方ないよ。――でもいいの。私が覚えてるから」

私が幼いころとなれば、歳下の彼はもっと幼いことになる。となれば、覚えてないことのほうが普通だ。

「......欲しいのかよ、あれ」
「ううん、高いし、いいや。それに、騎士の仕事になったらきっと邪魔になっちゃうし」

まあ、欲しくない、といえば嘘になってしまうかもしれないけれど。とてもじゃないけれど、そんなことはとても言えなかった。気を取り直して再び無理やり手を引いた。本当は堂々と手を繋いで歩けたらいいのに、そんな勇気私にはなかった。


***


村の辺りは、首都の近くと打って変わりとても静かだ。穏やかな波の寄せては引く漣の音が鮮明に聞こえる。それらは逸るような、胸に支えた感情の一つ一つを優しく包み込むような、そんな音色に聞こえた。あれからルーラストーンでジュレットへ飛んだとはいえ、村までの道のりは流石に徒歩だと遠い。ようやく村のあるコルット地方が見えたころには、あんなに明るかった空が茜色に色付いて、仄かに暗くなった。もう、夕方ごろだろうか。

「なんか、思い出しちゃうね」

もう何年も経っているのに、この辺りの景色は何も変わっていない。生息する魔物も。空や海の色も。見る景色も、吹く風も。どこか穏やかで、優しくて。そんな気持ちにさせてくれるような、思い出深い情景。

「昔この辺で迷子になってさ、ヒューザが迎えに来てくれたの」
「ああ......そういえばそんなこともあったな」
「流石に覚えてくれてたかぁ」
「あんなことがあって忘れるほうが無理だろ」

ヒューザの誕生日が近いころだったか。その、小さいころに貰ったお花の指輪のお返しだと言って、でも驚かせたかった一心で、誰にも言わずに村を抜け出した。地底湖の近くで花が見つかるという噂を聞いて、こっそりとそこへ行ったはいいものの、奥へ行き過ぎて帰れなくなった、なんてことがあった。

「私が魔物に襲われてたときに、ヒューザが私を見つけてくれて、助けてくれたんだったね」

そうしたら、遠くから彼が私を呼ぶ声が聞こえて、必死になって、場所を知らせるように、彼の名前を呼んだことを覚えている。あの地底湖の薄暗さも、寒さも、静けさも、――そしてそのときの彼の声も。すべて昨日のことのように鮮明に思い出せる。

「あのときね、ヒューザが私のこと呼んでくれて嬉しかったんだ。見つけてくれたんだってすごい嬉しくて、安心したのを今も覚えてる」
「そもそもそうなったのは誰のせいだと思ってんだよ。オレは誕生日プレゼントなんていらねぇって言ったのにお前が勝手に取りにいったんだろ?」
「だって、喜んでほしかったんだもん」

あと、そうしたら思い出してくれるかなとか、もしかしたら好きになってくれたりしないかなとか、変な願掛けしたりして。多分、そのときからだったんだと思う。何かのために必死になれたのも。足でまといにならないように、剣の腕を磨き始めたのも。

「ヒューザ」
「あ?」
「ね、私の名前呼んでみてよ」
「はあ? 何で」

そうしたら、またここから発つことになって離れ離れになっても、頑張れそうな気がするんだ。

「いいから! ね?」
「............(名前)」
「だめ! もっと大きな声で!」
「......〜〜〜っ、ああ分かったよ! 言えばいいんだろ言えば!!」

禅問答のようなやり取りに彼は痺れを切らしたのか、半分投げやりのように言うと、少しの間を置いて、彼は、

「(名前)!!! おら!! 呼べばいいんだろ呼べば!! これでいいんだろ!」

なんて、ヤケクソみたいに言い切った。その勢いに押されて一瞬呆気に取られてしまったけれど、でも、今や素直じゃない彼がそんな風に言うなんて、珍しい。何だかこっちまで恥ずかしくなってきてしまい、頬が熱くなるのが自分でも分かった。

「......何でお前まで赤くなってんだよ、意味分かんねぇ......」
「そうだね......でもすごく嬉しかった。ヒューザが変わってなくて安心した。私、ヒューザが呼んでくれたらどこへでも行けそう」
「じゃあこれはオレが預かってても問題ねぇな」
「あっ! それって」

そう言って、彼が取り出したものには見覚えがあった。ヴェリナードのアクセサリー屋で目を奪われた、青い宝石の印象的な綺麗な指輪だった。

「買ったの?」
「悪ぃか?」
「悪くはないけど、いや、なんか意外だなと思って......」
「お前にこれをやるときになったらまた呼ぶさ。どこへでも行けるっつったのはお前だからな」
「前言撤回。ヒューザちょっと変わったかも」

素直じゃないし、面倒臭がりだし、愛想はあんまりよくないけど、まさかそんな彼からそんな言葉が出てくるなんて思わなくて、思わず顔が綻んだ。でも、多分私は、そういう変わらないところも、昔と比べて変わったところも好きで、ずっと前から恋してるんだあなんて、思うわけだ。
Call
(呼ぶ)

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