あまり、人間らしくない人だと思った。

齟齬を孕む形容ではあるけれど、初めて彼に出会ったとき私は確かにそう感じていた。夜空に浮かぶ星屑とこの国の露店に並ぶ宝石とを掻き集めて創り上げられた、嘘のような人。人と形容するにあたって、彼は余りにも秀ですぎていて、余りにも輝きすぎていた。

「今日も何か、考え事かい?」
「……はい。学者の仕事は結果を出すことであり、その過程において考えることは何よりも重視されるべきことですから」
「結果を出すことが仕事であるのに、何よりも重視されるべきことは考えること……難解な話だね」
「それは──いえ、どうも」

難解──むずかしいこと。わかりにくいこと。また、そのさま。そう口にしたはずなのに彼は随分と楽しそうに笑っている。じわり、私の脇の下から横腹を伝う冷たい汗の玉も、彼の後ろで蜃気楼に侵されゆらゆらと揺れる遠くに見える本棚も。実際にそんな筈は無いのだが、彼にはほとほと縁の無い世界のように感じられた昼下がり。世界の美しさを唄うように滑らかに彼は次の誘いを口にした。

「その話、興味が湧いた。君がよければ少し早めのティータイムはいかがかな」


**


実は、彼は神の国からの使者でした。この世界で人間と定義される者ではありません。

あり得もしないそんな絵空事を誰かが口にすれば私はその絵空事を容易に信じ込むのだろう。学者として培った知識も教養も思考も、ひと思いにかなぐり捨てて、ようやっと溜息をつくのだ。ああ、やっぱりそうだったのね、と。そして、次には心底安堵するのだろう。そんな人間がいなくて良かった、と。

「さて、(名前)さん」
「──え?」
「……おや、失礼。名前を間違えてしまったかな」

ああ、いえ、そんなことはないですよ。もしや国に在する数多の学者一人一人の名前を憶えてるのでは、不意に浮かんだ疑問と驚愕からしどろもどろに首を振れば、彼は繊細な手つきで傲慢に椅子を引く。「それならいい。さ、こちらへ」はやく座れと言わんばかりに緩く押された肩に嫌悪感は滲まず、彼の所作に私が感じたものは、やはり、神的な何かだった。

「ああ、畏まる必要はない。僕の身分が君よりも高けれど、今は僕が君に教えを請う場だからね」
「教えを、とおっしゃられても……その、先程私が口走ったことは私独自の見解であるのでそう大それたことでは──」
「うん。俄然興味が湧いたよ。だって、それは君からしか学べないことだ」

居たたまれなくなって逸らした目線の先には、赤く透ける茶とその器である細かな装飾が踊る陶器が鎮座している。つん、と鼻孔を擽ぐる香りは甘酸っぱい。

「……考える、ということは──」

脳を巡る単語達を細かく繋ぎ合せて縫うように、慎重に大胆に錯誤の無いように。脳味噌から降りて喉からせり上がってくる言葉の羅列を文章にする作業は、震えながら掠れながら響く自身の声は、とても苦手だ。


**


「……ごめんよ。こんな時間まで引き留める気はなかったんだ」
「そんな、お気になさらず。寧ろ一介の学者でしかない人間の戯言に……ええと、王子があんなに興味を抱かれるとは思いませんでした」
「そうだね、とても有意義な時間だったよ」

私が専攻する分野でも、そもそも学問として認められた議題でもない。確かに存在する論理でもなければ公式でもない。解など人それぞれであり、そこへ至る式にさえも正解はない。太陽が砂の海へと沈み始めるこの時間まで、彼と話したことは私の偏見にまみれた、一種の意見であり見解でしかなかった。

「普通なら、退屈で仕方がない時間だったと思います」
「うーん、そうだなぁ……上に立つには下で支えてくれる人を知らなければならない、からね。どんな事を抱いているどんな人がいるのかを知ることは僕の義務だけど、それが気軽にできるのは僕の有する権利のおかげで……うん? よくわからなくなってきたな……」
「きっと、王子は人を率いる立場に甘んじておられないのですね」
「それは当たり前のことさ。サマディーがあるのは王家があるからではなく民がいるからで、僕は彼等彼女等に応える為に生かされているんだ」
「……とても、末恐ろしい次期国王様ですね」
「おや、嬉しいことを。その時を期待していてくれ」

砂漠と共に生けるこの国の悠久の歴史の中、一番に秀でた王子だと称された彼は橙色に眩く照らされている。並外れたその人が、並の人々の為に生かされていると口にした。「世界に必要なのは貴方みたいな方なのでしょうね」ポロリ、漏れた言葉に潜む妬みに彼は気付いているのだろうか。

「世界の覇者になれとでも?」
「まあ、平たく言えばそうなりますね」
「うん、そうかい。考えておくよ」

サマディーがそう望むならね。器用にも真摯な瞳で和やかに顔を綻ばせる彼はやはり、嘘のように素敵な人だと、人間らしくない程に素敵な人だと。彼が口にした、彼を生かす立場の者がどれだけ彼に生かされているのかを彼はきっと知らない。見返りを求めない献身的な在り方は美しく、堂々たる支配者に与えられた神の祝福はこれからもこの国を照らし続けるのだろう。

「今日はありがとうございました」

眩ゆい未来に栄光あれ、こんなに丁寧に礼をするのは久方ぶりだと、上がる自身の口角が何よりも嬉しかった。
Both
(共に)

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