世界に平和が訪れてから早数年が経ち、私の背も少しばかり伸びました。私はおじいさまの後を継ぐのに恥ずかしくないよう、日夜修行に明け暮れています。(勇者)さんと約束した通り、人々の傷や病を癒す仕事を行う傍らで、人手不足と後継者育成の問題を解消するため、私自ら弟子を取ることにしたのです。

しかし、いくら募集をかけても、一向に人が集まりません。それというのも、勇者と共に世界を救ったという偉業が仇となり、変な噂が村に蔓延してしまったのです。チャモロさまの修行は(勇者)さまと渡り合えるほどに厳しく、寝る暇もないなどと、並みの人間では尻込みしてしまうような内容の噂が、あっという間に世界中を駆け巡っていきました。

「チャモロさまはいらっしゃいますか?」

「はい。私が次期族長のチャモロです」

「私は(名前)と申します。あの、張り紙を見たのですが……よろしければ、弟子にしていただけませんか?」

「ほ、本当ですかっ?」

募集の張り紙をしてから数ヶ月。ようやく志願者が表れたと思えば、感慨深い気持ちになりました。私の目の前で丁寧なお辞儀をした女性の手を勢いよく握り、思い切り上下に振って、何度も深く頭を下げました。それほどに、噂に惑わされない彼女の勇気ある行動が嬉しかったのです。

「チャモロさま、修行が終わりました」

「そうですか。今日も頑張りますね」

「はい! 早く、チャモロさまのお役に立ちたいですから」

さらにそこから数日が経って、私は早速、彼女に修行を課していました。過去に私がしていたものと同じ内容ですが、(名前)さんは音を上げることなくいつも笑顔で取り組みます。その姿勢は、目を見張るものがありました。

「(名前)さん、手に怪我をしているじゃありませんか?」

「あっ……だ、大丈夫ですよ! 転んだだけです」

彼女が慌てて隠した手を掴んで、掌を上に向けると大きな擦り傷が表れました。思ったより盛大に転んだようで、他に(名前)さんが怪我をしている箇所がないか確認していると、彼女の顔がみるみるうちに真っ赤になっていきました。

「あの、本当に大丈夫です! 修行着を着ていたので膝を擦りむいたりはしませんでしたし」

「そうですか。でしたら、手の傷だけでもすぐに治してしまいましょう」

そんないいですよ、と赤みを帯びた顔で動揺しながら提案を拒む(名前)さん。師として腕の見せ所かな、なんて思いながら彼女の手を包むようにして握り、静かに癒しの呪文を唱えました。

「こうして少しずつ回復していくと、体への負担が少なく、傷痕も残りにくいんですよ」

「そう、なんですね」

意図せず長く触れていた彼女の手が、何故だかとても温かく感じて、治癒し終えた後もまじまじと彼女の手を見てしまいました。静脈が透けるほど白く細い手に、長い指と綺麗に切りそろえられた爪がついていて、微かにどきっと胸が跳ねる感覚が私を襲いました。

「あのっ、チャモロさま! ありがとうございましたっ」

「……あっ、待ってください。(名前)さん」

「は、はい!」

妙にその感覚が気になって、私から離れていく彼女を衝動的に呼び止めてしまいました。(名前)さんは、まっすぐな瞳で私をずっと見ています。以前はこんなことがあっても、何も感じなかったはずなのに。得も言われぬ面映さが、拍動するたびに全身に回っていくようでした。

「あの、本棚から呪文書を取ってきて欲しいのですが……」

「……本、ですね!」

「そうです。本です」

「分かりました」

もう少しだけ彼女との時間を共有したいと思えば、適当な用事が思いつきました。我ながら浅はかな考えだと思うも、いつも優しく微笑んでいた(名前)さんを見ていると、そうしたくなってしまう。

「ああ。そういえば、(名前)さん?」

「は、はいっ!」

「あなたの慌てた赤い顔は、可愛らしいですね」

「ついでに、からかうのはやめてくださいよ!」

自分よりも年下の子を、気のない素振りでドキドキさせて、私は何をしているのだろうか。しかし、同時に彼女の反応を楽しんでいる私もいる。(勇者)さんと旅をして、余計に世界を知った分、人をいじる余裕が出てきたようです。あまり褒められたことではないでしょうけれど。

「(名前)さん。世界を救ったと言われるこんな私だって、人並みの幸せくらい味わいたいな、と思うことはあるんですよ」

「師匠の人並みの幸せって何ですか?」

「そんなに、私が気になりますか?」

彼女の惚けた顔がまた面白くて、おもむろに近寄って(名前)さんの頬に手を添えました。少し強引に顔に触れて、こちらも胸が早打ちしていきそうでしたが、彼女は私の手より熱い顔をしていました。

「チャモロさま……」

「本を、取ってきてください」

「え、話の途中ですよね」

私の突然の指示に、案の定、驚きを隠せない(名前)さんでした。もう少し困らせたくて、私は彼女の頬に唇を近づけ、一瞬だけ軽く触れてみました。すぐに顔を離せば、(名前)さんは口元に手を当てながら赤くなっていく顔を隠している。何をされたか分からないほど子供ではなかったようです。私はくすりと笑って、言い訳を伝えました。

「たった今、これでこの話を終わりにしなさいと、神からお告げがありました」

「あぁ、あっ、あのっ! ……し、師匠? 嘘は、いけないです」

「嘘ではありませんよ? 師弟関係だけではない未来もはっきりと見えました」

「どんな、予知ですかっ?」

「ふふふっ。誰よりも、あなたが幸せになる予知かも知れませんね」

そう言い終わると、(名前)さんはまんざらでもない顔をして私の顔を見つめていました。少し意地悪をし過ぎたかなと思うも、彼女は恥ずかしそうに私の服の袖をぎゅっと握り締めます。

「もう! そんな風に弟子の気を引いて、好きになったらどうするんです?」

「そしたら、私が幸せになるだけですよ」

私の言葉に何も反論できないところを見ると、まだまだ、彼女は師である私を越えられないようです。私は彼女の頭を撫でながら、くすくす笑ってその場を離れ、族長のおじいさまのもとへ急ぎました。

「好きな人が出来たなんて言ったら、おじいさまは怒るでしょうか?」

(名前)さんについた嘘を本当にしたくて、おじいさまに彼女のことをどう伝えるか必死に考える私がそこにいました。彼女が本を持ってくる頃には、何か一つでも進展したらいい。そう思いながら、私は村の空を仰ぎ見ていました。
Yearn
(慕う)

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