近頃(名前)の様子がおかしい。
今までも公的な用事で、城を訪れることはあった。
その際事前に連絡をくれていたのに、それがないばかりか、俺と出くわすとバツの悪そうな顔をする。
なにか気に障ることをしただろうか?

すぐには思い当たる節がなく、最近の出来事を振り返った。

(名前)は小さな子どもたちの世話をする仕事に就いている。彼女の働く施設では、季節ごとに小さな催し物を行っており、先日は"邪気を払う"という目的で豆を撒いた。
魔物を彷彿とさせるような、二本角のある厳ついお面を付け、遠慮なく全力で豆をぶつけてくる子どもたちから、逃げる役目を任されたのだ。

大人であれば加減をしてくれるものだが、無邪気な彼らはそれがない。
案の定、俺の腕に当たった豆が弾け飛ぶほどの勢いがあり、将来が楽しみだと思った反面、(名前)が怪我をするくらいならと、引き受けたのは正解だった。

ことのほか好評であったし、彼女も喜んでくれていると思ったのだが…。

物思いに耽りながら歩いていると、厨房に差し掛かったところで話し声が聞こえて、思わず耳を澄ませる。
それが(名前)の声であるとわかった時、俺は咄嗟に、物陰に身を潜めていた。

「どうもありがとうございました」
「いやいや、(名前)くんは筋がいいよ。このままうちで働いて欲しいくらいだ」
「ふふ…光栄です。次もいつもの時間で」
「そうだね」

あれは…パティシエと一緒なのか。一体なんの話をしているんだ。
一言一句聞き漏らすまいと、呼吸を止める。
二人はそれから、特別会話をするでもなく、その場をあとにした。
小さくなっていく背中を見つめていると、もやもやとした感情が胸の内に広がっていく。

「何をしてるんだグレイグ」
「!?ほ、ホメロス…いつからそこに」
「つい先程だ。でかい図体で通路を塞ぐな、どけ」
「す、すまん…」

眉根を寄せるホメロスの顔を見て、先程の出来事を相談してしまおうかと思った。
男女の機微に関しては、ホメロスの方が詳しいに違いない。いや、もしかしたら、なにか知っているやもしれん。
聞けば納得のいく回答が得られるかもしれないと思ったが、こうして(名前)のことを怪しんでいるのが、自分の思い違いであったならと考える。

何も見なかった振りをして、今まで通り振る舞う方が良いのではないだろうか。喉元まで出かかった、石のように重いなにかを、そのままグッと飲み込んだ。

数日後、なにやら城内の者達が、浮き足立っているように見える。
ソワソワと落ち着かない雰囲気は、俺でも感じ取れるほどで、周りが見えていないのだろうか、すぐ側を通りかかると、慌てて背筋を正した。
そのうち一人がなにやら背中に隠そうとしたのを見て、おおよその状況を把握する。

ホメロスであれば、そのようなものを仕事に持ち込むな、と即座に没収、廃棄の流れだろうが、既製品であれ手作りであれ、想いの込められたそれを捨てさせるのは忍びない。
萎縮してしまっている肩をぽんぽんと叩き、他の者には見つからんようにな、と耳打ちした。

そして差し掛かった厨房前。
今日必ずいるとは限らないが、先日見掛けたより早い時間であれば、もしかしたら(名前)が中にいるのではないかと考えたのだ。
視線を巡らせ、すぐに見つけた。作業テーブルに向かう彼女の背中。
パティシエがなにか言葉を投げ、それに頷いて手を動かしている。

室内に自分が隠れられるだけの物陰はない。
話している内容は聞き取れないが、これ以上近付くこともできないまま、入り口に張り付き、中の様子を窺っていた。

「あ!グレイグ様!ちょうどいいところに」

突然自身の名前が呼ばれて、肩が跳ねる。慌てて振り返ると、声の主は驚きで目を見張る俺を見て、首をかしげた。
ガシャガシャと彼が歩を進めるたび、鎧が鳴る。
兜で表情はわからないが、厨房を覗き込む俺の姿を訝しんだ事だろう、気まずくなって苦笑いを浮かべた。
要件を伝え終えた彼を見送り、厨房内へと視線を移す。

「うわっ」
「なにしてるの?こんなところで」

変わらず作業を続けているものと思っていた(名前)は、手を伸ばせば触れられるほどの距離にいた。
心の準備が出来ていなかったために、思わず素っ頓狂な声が出る。

そんな俺を怪しむような視線が送られ、なにか聞かれたら誤魔化そうと思っていたのに、気の利いた言葉が出てこない。

「グレイグ、口開けて?」

先程の問いかけに、答えはいらなかったのだろうか。
(名前)の口元が楽しそうに弧を描いたので、言われるままに口を開いた。
少ししゃがんでくれというジェスチャーを受け、膝を折ると、コロンと口内に何かを放り込まれる。
鼻から抜ける甘い香りと、舌の上のざらつく感覚、これは。

「チョコレート、か?」
「そう。ギリギリまで上手く出来なくて、さっき完成したところなんだけど」

先程まで背後に隠していた手には、一口サイズのチョコが並んだ、トレイがあった。そこからひとつを掴み、今度は(名前)自身の口に放り込む。
頬を緩めて何度か頷いているのを見ると、満足のいく出来なのだろう。甘すぎないそれは、俺からしても美味だと思った。

「私不器用だから、十日くらい前から練習してて。それでもこんなに歪なんだけど」

トレイに残っているチョコレートは、どれも綺麗な形とは言えない。それが努力の跡のようにも見えて、甘さから来るのとは違った、頬の緩みを感じる。キッチンの奥でこちらを見守るパティシエと目が合った。

ほんのりカカオの香りをさせて微笑む彼女を、少しでも疑ってしまった自分を咎める。もうひとつどうか、と人差し指で示されて、指が汚れることも厭わず、(名前)が心を込めて作ってくれたそれを口に含んだ。
Uneasiness
(不安)

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