ずっと疑問に感じていた。どうして(名前)が俺なんかを選び、こうして傍にいるのか。
俺に言わせてみれば、武人として誇れる勲章を幾つか手に入れたかも知れない。が、ひとりの男としてはお世辞にも良く出来た男だとは言い難い。
見てくれも大柄で、常にしかめ面。他の兵士の方がよほど若くて清涼感もあり、これから勢いも伸びてくるだろうに、(名前)は他に目もくれず俺を好きだと言う。世の婦人達は、そういった爽やかさを好むものだと思っていた。

「そんな風に思われていたとは意外でした。グレイグ様はご自身が思っている以上に素敵な方なのに」

(名前)は穏やかに、柔らかに、くすくすと俺の隣で笑う。小恥ずかしくなり、熱が残ったままの赤く色付いた顔でむっと唇を噤んだ。
公務があればそれを優先に逢う時間もろくに取れず、約束は守れる方が少ない。久しく逢えば逢ったとて、急な招集に備え城から遠く離れられず、何処にも連れてやる事もままならないのに。

「俺の何が良くてそんな風に思わせているのか、まるでわからないのだ」

「全部です。あなたの全てが好き」

今は、恋が生み出す甘い痺れが彼女の感性を麻痺させているだけで、俺の弱さや威勢の裏にある臆病な本音、苦手なものや、巧妙に隠した下心。それら全てを知ったら、彼女は正気に戻るに違いない。きっと、俺はそうなることを恐れていた。孤独になる寂しさは、幼き日から嫌という程味わってきた。ここで彼女の想いを受け止めて、底の見えない深淵に身を投げ心の求めるままに溺れて良いものかと、どこかで踏みとどまっている。そう自覚している時点で、既に手遅れであるとも言える。惹かれているのは、互いに同じ。

「俺の全てなどまだ知り得てもいないだろう?」

「知らなくても、きっと好きになる。どんなあなたがそこにいても、例え裏切られたとしても、あなただったら全てが愛おしい。だから、全部が好き。人を愛するって、そういう事なんじゃないかと思ったんです」

息が出来ない苦しさですら、自ら飛び込んでしまうほどに甘美で狂おしい。そこに足先を落としてしまったら、もう二度と浮上出来ぬとわかっていて、道連れにそっと(名前)の手を取った。

(名前)と溺れるその底で見えるものが何かを知りたいと願ってしまった衝動、それが俺の背中を音もなく突き落としたのだった──

Abyss
(深淵)

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