川の流れを見ていた。命の大樹から零れ落ち、ユグノア地方を抜けてこの地に注ぎ込む母なる水。世界が不穏な空気に包まれているのも露知らずといったように、川の水は相変わらず澄んでいる。見るも無残な焼け野原となった故郷から逃げ出したくて、かつての生活を思い描き悲観に暮れるのが怖くて、綺麗な思い出と共に何も変わっていない此処に閉じこもっていた。帰る家も無く、ボロボロに傷ついた互いを慰め合う気力も無く、地下牢から解放されてからも此処から片時も離れずに独りで日が沈むのをただ待っていた。

暫くして村の方が騒がしくなった。デルカダールで催された宴に向かった村人が帰って来たのだろうか。時折聞こえる甲高い悲鳴は、喜びの感情が混じっているようで、何が起こったのかと怪訝に思いながらも護身用の短剣を構えながら立ち上がれば、滝へと続く大扉にさらりと風に靡く茶髪が見えた。

「(名前)、ここに居たんだ」
「……(勇者)!」

そこには、デルカダール王に会いに行くと村から出て行ったきりずっと帰ってこなかった(勇者)が立っていた。夢でも見ているのかと思って、ごしごしと目を擦った。霞んだ視界が元に戻っても、そこに立っているのは待ち焦がれた彼で。デルカダールからホメロスという名の将軍がやって来て、(勇者)が悪魔の子と呼ばれ地下牢に幽閉されていると聞いてから、生きているか死んでいるかも判らずにいたのだ。ペルラさんも、エマちゃんも、イレブンは生きていると信じていると言うけれど、私は口ではそう言っても心の中では最悪の事態をずっと考えてしまっていた。だからこそ、(勇者)が生きていて、心臓が止まってしまいそうになるほど驚いたのと同時に、安心して腰が抜けてしまった。

「良かった……生きてた」
「い、痛いよ」

駆け寄ってきた(勇者)とお互いの体温を確かめ合った。二人が生き抜いて、また再会できた。絶望に塗り替えられたこの世界で、私は今、人生で一番の奇跡を味わっているようだ。
(勇者)の腕は、抱きしめられている私の身体も一緒に動いてしまうほどに、がくがくと震えていた。段々と冷静さを取り戻した心臓は、次第に彼の異様さに気付いた。顔を上げてその顔を覗き込めば、頬に生暖かい水滴が零れ落ちた。――(勇者)は泣いていた。泣いてしまわないように強く唇を噛み締めながら、それでも堰き止められない涙を目端からボロボロと零していた。普段から飄々としている彼からは考えられないような表情だった。何故、どうして、そんな顔をしているのだろう。もしかして、私がデルカダール城の宴に参加していなかったから、死んでしまったかとでも思われただろうか。

「(勇者)、私は生きてるから……もう大丈夫だから」
「また会えてどうしようもなく嬉しいんだ。お願い、僕のことを嫌いになっても良いから、もう少しこのままで居させて」
「嫌いになんてなるはずがないじゃない」

背中に食い込む指圧は緩む気配が無い。あまりにも必死な(勇者)の姿に「そろそろ離れようよ」と言うのも申し訳なくなって、顔を撫でる擽ったい茶髪も除けられずに、ただ抱きしめられていれば、彼が耳元で「生きててくれてありがとう」と小さく呟いた。何の変哲もないような短い言葉であったが、それを聞いた瞬間に私の胸は鷲掴みにされたように強く痛みを覚えた。何故だろうか、私はこの場に居るはずではなかったような、この世界で生きていられることが幸せなような気がしてきて、その気持ちを真っ直ぐ(勇者)に伝えれば、またわんわんと泣かれてしまった。
Recall
(思い出す)

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