「(名前)さま、まだ舞踏会は終わっておりませんぞ」

「私はこんな舞踏会に出たくはありませんでしたわ」

そう啖呵を切って、私はドレスの裾をふわりと翻してホールを去る。その家の財力や権力を示し、お見合いを強制する下品な舞踏会。それが貴族の仕事の一つでもあった。私はそれが、自分がこけにされているようでいつも許せず、気持ちの悪い顔をして笑う父母に嫌々従うだけの日々が続いていた。

「はぁ、どうしていつだって私は不自由なのかしら」

「お前、そんな浮かない顔をしてどうしたんだ?」

ホールに面したバルコニーの端で、ふうっと悲しげなため息を吐くと、知らない男が近寄ってきた。どうせ私の家の財力に目が眩んだくだらない男だろうと、軽く見下しながら眉をひそめて応対する。

「あなたもどうせ、私の中身なんて興味がないんでしょう。顔に書いてあるわよ」

「ははっ、そうか」

そこそこ上等なスーツを着込み、青い髪を綺麗にまとめた男は、悪びれずに私の前で笑った。私のこの言葉で何も言えなくなる男が大半だったのに、この男だけは臆することなく私の前で柔和に笑い続けていた。

「……何が目的よ?」

「まぁまぁ、そんな怖い顔すんなよ。お嬢さん」

すると男は、懐のポケットから一つの指輪を取り出した。シャンデリアの光を浴びたからだろうか、私の視界の中でキラキラと輝くダイヤの指輪が強く主張する。

「それは?」

「貴族の暮らしにうんざりしてるお嬢さんに、俺達からとっておきのプレゼントだ」

「……えっ、でも高かったんじゃ」

「贈り物に、金額は関係ないだろ?」

「あ、ありがとう」

男に強引に引き寄せられたと思ったら、いつの間にか私の指に美しいダイヤの指輪が収まっていた。綺麗に笑った男の顔が見えた途端、彼にエスコートされダンスホールに誘導されている。男は私をリードするように丁寧にステップを踏み、舞うように踊り出す。何故か彼と踊っていると、ドレスの裾が生き物になったかのように活き活きと舞い上がり、あれほど嫌いだった舞踏会が何倍も楽しく思えた。

「何が嬉しいんだ?」

「いいえ、なんでもありません」

「そうか」

夢のようなひとときは一瞬で過ぎ去ってしまった。曲が止まって踊り終えた私達は、盛大な拍手を浴びながらホールをそっと抜け出す。もう少し、この男と話をしてみたくなった私は、我が家自慢の庭園に連れていき、噴水の前に二人で並んで腰かけた。

「私は(名前)と申します。あなたのお名前は?」

「……カミュだ」

カミュと名乗る男は、視線を外さずにずっと私を見つめている。その射抜くような熱い視線に耐えられず、恥じらいが顔に出そうになると、前髪を触るふりをしながら彼から視線を外した。ため息のような深呼吸をすると、隣りに座り続ける彼は、穏やかに話し始めた。

「(名前)。お前、子供の頃に人助けしたのを覚えていないか?」

「人助け?」

「行き倒れていた子供二人に、パンを恵んでくれたろ?」

彼の口からいくつかの単語を聞いた途端、幼い頃の淡い思い出が徐々に鮮明になっていった。たしか、家の前に小さな男の子と女の子が倒れていたことがあり、声をかけると二人は今にも死にそうな青い顔をして空腹を訴えていた。道端の通行人が誰も助けないのを見かねた私は、父母にばれないよう家のパンかごの中から一番大きいパンを選んで二人に差し出した。それを、目の前の彼は見ていたのだろうか。

「……その指輪。その時のお返しなんだよ」

「えっ」

「妹と買ったんだ。少しは喜んでくれよな?」

「カミュって、まさかあの時の?」

私の想像が確信に変わった瞬間、カミュは私を抱き寄せて勢いよく口を塞いだ。私の言葉を遮るように、唇を強く押し付けてくる。彼が急に近づいたことで鼻に入り込んだ香りは、貴族がよく使う香水とは異なるものの、どこか品のよい匂いがした。

「……また、会いに来る」

そう言って彼は私の前から消え去った。半ば強引に引き剥がされた唇を、指先で何度も撫でながら彼の体温を確かめる。それは酷く、熱い。彼が触れていた事実を噛み締めるごとに、胸の鼓動は速まる一方だった。
Quickly
(速く)

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