引き出しを開けたら随分と懐かしい服が出て来た。
防虫剤臭くて、少し緑が褪せてしまっているその服の中心には山吹中と書かれていて、ほんの僅か思い出したむず痒さに苦笑いが浮かぶ。
走り続けたあの夏が懐かしい。そんな風に思える様に成れたのだな、なんて思って、大人振る自分だけは相変わらず。
あの頃から自分を装うのは常だった。全く持って可愛げがない上に、どんだけ人を下に見てんだよ、なんて今更思うと笑える。
俺は子供だった。
もちろん今が大人とは言わない。だけど、昔よりも前に進んだ事だけは確かで、もうなにかを理由なく諦めたり捨てたりする事はない。
悲観的に捉えるよりも楽観的に、それは昔よく言っていた言葉。
でも実際はすべてを悲観的に見てた。
偽るために言葉を無責任に使って、演じるのはピエロみたいな自分。
それを悪いだなんてあの頃は少しも思わなかったし、それが望まれているとさえ思ってた。
どんだけ被害妄想が強かったんだよ、って苦笑して、褪せた緑に指を滑らせる。
ユニフォームの独特な生地に触れたのは一体何年ぶりか。高校までは続けていたテニスも、大学に入ってやめてしまったから懐かしい。
汗をかいて、走り回って、大声出して、笑った。
悲観的なあの頃の自分も、テニスをやってる時だけはなんだか青春してて、ひね曲がる隙間もないくらいに必死だったんだ。
それにしても、彼は今どうしているのだろうか。
ふと蘇った記憶の片隅で、ついでみたいに出て来た彼との些細な思い出。
懐かしさになんだか胸がぎゅってなる。

彼はプロになったのだと風の噂で聞いた。
アレだけのパフォーマーだからきっと今もさぞかし目立っている事だろう。

ユニフォームを引き出しにしまい直して台所へ向かう。
沸かしたままだったお湯がシュンシュンと音を立てて沸騰していた。
お気に入りのカップとコーヒーの粉を棚から出して、焜炉の火を止める。

一人暮らしを始めるように成ってから飲み始めたコーヒー。
最初は苦くてうげうげ言っていたけど、今では随分と慣れたものだ。
この苦さが良いのだと思えるように成ったのは味覚が死んだ証拠でもあるけれど、コーヒーが飲める事に意味があったから気にもしなかった。

注いだコーヒーの匂いに微笑んで、カップを片手にテレビの前まで移動する。
砂糖も牛乳も容れないで飲めるんだと言ったら彼は驚くだろうか。
いや、そもそも彼は俺との約束を覚えているのかな。

些細な、本当に些細な、約束。

テレビを点ければ丁度良く噂の彼が映っていた。
全米オープンが終わり、一時帰国した話題の彼はたくさんのフラッシュの中やはり堂々としていて、変わらないな、と苦笑する。
隣りには相変わらず樺地クンがいた。

本当にプロに成っていたんだなぁ、なんて今更感心している自分に何となくまた苦笑。今日は良く笑う日だ。
なんだか全部が全部笑えてしまう。


そんな幸せを噛み締めている時だった、携帯が聞き慣れない着信音を奏でたのは。
四年も代えていないものだから随分と世代遅れに成ってしまったオレンジの携帯。このメロディーはその年に流行ったドラマの曲で、未だにそんな古い設定が残っている事に少し驚いた。
常に新しいものを求める俺は着信音なんて気分ですぐ代えていたし、携帯も、本当は四年も使うつもりはなかったから。

そこまで考えが行き着いて、嫌な予感が過ぎる。俺が携帯を代えれずにいる理由。それはきっと誰にも知られてはイケなくて、俺も忘れなくちゃならなかった出来ごと。

心臓がドクドクと脈打つのを必死に無視しながら、俺は恐る恐る点滅を繰り返す携帯を手に取った。画面を確認して、否定出来ない事実にせめてもの逃避として目を閉じる。


受信されたメールの発信者は、やはり予想通りの人間だった。


from跡部景吾
件名:いまから
--------------
本文:いまから行く。
逃げんなよ。


「………最悪だ。」

零れて出た言葉は紛れもなく本音で、テレビ画面の向こう側で笑っている彼を睨み付けた。
なんてタイミング。
彼はもしかしてエスパーだったりするのだろうか。だとしたら思い出さなければ良かった。
そんな後悔をしながら視線を逸らし、染みが浮かんだ天井を見る。

とにかく、今俺に課せられた使命はただ一つ。この散らかった部屋を片付ける事。
来ると言ったら来るのが彼と言う奴で、部屋の場所知ってるのかよ、なんてツッコミは無用だ。
財力で世界は動いている。
きっと彼は胸を張って自慢げに言う事だろう。変わらない人だから、それくらいお見通しだ。

ほんの少し思い出した瞬間にやって来る彼は、きっとエスパーだったりもするだろうから悪口も控えなくては、と飲みかけのコーヒーを机に置く。
目に映った自分じゃ飲まない高い紅茶も、使われないマグカップも見ないフリ。

全部全部、彼が来るまでに隠しておかなくちゃ。

本当に変わらない事なんてほんの少ししかなくて、きっとあの時のまま残るモノなんて一握りしかない。だからこそ取り残されてしまったこの部屋と俺。

きっと彼は分かってる。変わらない番号も携帯も、俺だけじゃなくて、彼も進めていない証しだから。
きっと、終わらせに来たんだ。
後悔も、思い残しも、全部無くす為に。

分かってる。片付けるよ、全部。


君も、俺も、ちゃんと割り切れる年になれたから。過ちは二度と起こさない。

いま会うのが一番丁度良いんだよね。

知っているんだ、
君が会いに来る理由も、
俺が会いたくないと思った理由も、
ちゃんと知ってる。

だからさっさと部屋を片付けて、お客様用の紅茶でも用意しといてやろう。
あ、後はスリッパも。
彼はスリッパがないと怒るから。


忙しいなぁ。
我が儘坊ちゃんを迎える時はいつも大変だ。





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