「跡部クンっ!」

千石の悲痛な叫びが高原に響いた。
その理由は、科学者である白衣の男が跡部に対し何らかの事をして、意識を失わせたからだろう。
跡部は倒れたまま動かず、パニック状態の千石には死んだ様にも見えるのかもしれない。
だが此所からじゃ俺にも出来る事が限られていた。両サイドは軍人にガッチリ掴まれているし、撃たれた傷の所為で視界もブレている。
それでも今優先する事は千石を落ち着かせる事で、逃げる方法を考えとる場合じゃないか、と何とか足を踏ん張って声を張り上げた。

「千石!跡部は平気やっ!とにかく一旦落ち着き。」
「そうだよ?落ち着いて考えた方が良い。王家の嫡男に乱暴はしないけど、君達には違う。生きて居れば良いんだからねぇ。」

先程までの敬語程うさん臭くはないが、それでも鼻に付くしゃべり方をするそいつを睨み付けて、千石の様子を確認する。
跡部の無事が分かった事で落ち着きは取り戻して居る様だし、科学者が言った事も気にした様子はない。それならもしかしたらまだ逃げる方法が有るかもしれない。
千石の身体能力なら何とかあの仁王の気を逸らせば跡部一人くらい連れて逃げられる。
カナリヤなんてバカな事の為にこれ以上の犠牲を払うなんて間違っているんだ。カナリヤは生まれない。そんな夢物語の為に犠牲を増やさせるものか。

「前のカナリヤ候補だった子がどないして死んだんか、知っとるか?」

それは仁王に対する問い掛けだった。
俺の知る限り、彼は長太郎と仲が良かった。いや、有る意味長太郎が一方的に懐いていたのだろう。
だがそれでも、あの時千石の問い掛けに僅かでも反応を示したと言う事は、何らかの思いは有る筈だ。

「才能が無かったんじゃ、仕方無いぜよ。」
「あの子はほんまに必死やった、たった一人を助けたる為に。」
「なんの話かなぁ?忍足。」

仁王が訝しげな顔をした瞬間。科学者の男が割って入り、俺の方へと歩みを進めた。表情には今迄の様な余裕はなく、そこで俺は確信する、コイツは仁王に隠して居ると。

「本来やったらカナリヤにも拒否権があんねん。適性が無いと判断された所で実験を中止し、商品としてでも短い生を生きる事が許されるんや。」
「忍足、君は殺されたい様だねぇ。」

科学者がそう言うと、軍人が俺の頭に銃口を当てた。
だがそれでも俺は止めない。
何故ならそんな物は怖くないからだ。俺はたくさんの命を見捨てた。
誰一人救えなかった。
だからせめて、この命一つで救えるのなら縋り付いたって救いたい。

「あの子はお前の自由の為に最期まで縛られとったんや!」


それは俺の精一杯の叫びだった。
視界のブレは最高潮。血を失い過ぎた体は傾き、耳に銃声と千石の声が響いた。
情けない。
跡部の代わりに助けて上げたかったんに。それで跡部を悔しがらせる予定やったんに。
俺まで千石を悲しませとったら意味無いやないか。あぁ、救い様もないアホや。


俺はまた、助けてあげられへん。








カナリヤ
刻まれた刻印











『ーーーー…クン。』


「忍足クン。」

頭の中に声が響いた。
それは聞き馴染んだ優しい声。
その声に導かれる様に瞼を持ち上げれば、そこには明るいオレンジが居た。

「……千石、何もされとらん?」
「平気だよ。目が覚めて良かった、不安で怖かったんだからね。君が死んだら俺は跡部クンに会わせる顔が無くなっちゃう。」
「それはこっちのセリフや。」

薄暗い牢屋の様な空間で、千石は明るく笑った。まだ俺の体は重たくて、完全には意識も覚醒しきれていないが、今が夢で無い事は確かだ。
だが千石はまるであの高原での出来事を彷彿させない笑顔で俺に語り掛ける。
平気な筈がないのに。

「治療はしてもらったから、直ぐに良くなるよ。そしたら跡部クンのお見舞いに行ってあげて?」
「跡部になんか有ったんか!?」
「ううん。ただ今は部屋に閉じ込められてる。」

つまりは干渉出来ない様に監禁されとる、って事か。王家の人間にそこまで出来るなんて、それだけ自信が有るって言うのか?
千石がカナリヤに成り得ると。

「千石、何とかして逃がしたるから諦めたらあかんで。」
「もう良いんだよ。」
「何言うてんのや、大丈夫やて。」
「良いんだ、忍足クン。」

俺は行くよ。
そう言って笑った千石に頭が付いて行かず、呆然と千石を見る。
俺が意識を手放して居る間に何かを言われた?だからこんな事を言って心配掛けさせ無い様にしているのか?
だったら尚更俺が止めなくちゃいけない。
こんなの、跡部が悲しむだけだ。

「何言うとんのや!跡部と生きて行くんやろ?折角跡部がくれたその声を捨てるんか!?」

勢いのまま捲し立てる様に叫び、千石の肩を強く掴んだ。
急に動いた所為で揺れる視界や痛む傷を気にする暇は無い。

「俺ね、決めてたんだ。」
「……何を。」
「跡部クンを助ける為ならカナリヤにだって成る、って。」

そんなの、間違っている。

「アカン、そんなんアカン!なんでそないな事言いよんねん!」
「俺ね、忍足クンが言ってるの聞いて初めて知ったんだ。長太郎クンがなんであんなに必死だったのかを。
あの子はさ、一回も俺にはそんな事言わなかった。世界の為だから、とか大切な人の為だから、とか言って笑うんだ。
弱音なんか吐かなくて、そこから逃げようって言う俺にただ笑って首を振るんだよ。
辛かったに決まってるし、一人で自由を手に入れた俺の話を聞くのが苦痛だった時も有った筈だ。」
「だからって……あの子と同じ道を歩んでどないすんのや。」
「俺はさ、長太郎クンみたいに本当に世界の為なんて言えない。たった一人の大切な人が生きる世界だから守りたいだなんてきっと言えない。
だから言い訳に使うんだ。跡部クンの為に、って言い聞かせて全部納得したフリをする為に。」

それはもう理解の範疇を超えていた。
そこまでして無理やり納得する必要が有るのだろうか。逃げれば良いじゃないか。立ち向かわなければ良いじゃないか。
自由を願えば良い。
幸せを願えば良い。
愛する人の側を選べば良い。
なのに、なのに何故こうも犠牲を選ぶ。

「千石!逃げるんや、跡部と二人で生きて幸せにっ」

それは緩やかな拒絶だった。
静かに笑みを浮かべたまま首を振り、緩慢な動きで自分自身の手首を掲げて見せる。
跡部の印が刻まれているべきその場所を。

「もう俺は戻れない。」
「嘘や、なんで……千石、なんでや。」
「跡部クンを、お願い。」

千石が見せた手首に刻まれていたのは跡部の刻印ではなく、政府の物である事を表す黒い鳥の文様。
つまり千石はもう跡部の物ではなくなったと言う事だ。
眠っている間に全てが終わっていた。いや、始まってしまっていたのだ。
千石は一人で決断し、進んでしまった。
もはや止める術はない。

「俺、もう行かなくちゃ。」
「行ったらアカン!駄目や、声まで無くすんやで?跡部にも会えなくなるかも知れへんねんで!」
「それでも行くって決めたんだ。」

千石の服を握り締める俺の手をやんわりと解くと、牢の前にいた軍人に目配せをして鉄格子を潜った。
手の届かない場所に行ってしまう。
でも、俺にはもう止どめる為の言葉が無かった。
跡部の名前を出しても千石は揺るがなかったのだ。真っ直ぐ俺を見て、強く言い切った。

跡部、堪忍してや。俺には止められへんかった。手が、届かんかった。


「ごめんね、忍足クン。」

通路を照らす眩しい光に溶けて行く背中。

「さようなら。」


その背中はただただ切なさだけを残した。








刻まれた刻印
(決定的な証しがそこには有った)


END
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