『千石さんも、きっといつか願うと思うんです。』

まだ十にも満たない年の時だ、少年はちゃんと声を持っていて、甘い柔らかな声で俺にそう言うとふわりと笑った。

でも俺には良く分からなくて、年上のくせに怒鳴り散らして、否定して、いつも傷つけた。
なのに、やっぱりその子は優しく笑った。

『その時の為に、どうか。』





この言葉を……。







カナリヤ
手を伸ばし、声を張り上げても






「跡部クン、今日行きたい所があるんだけど…良い?」

そう言った千石の顔は少し切なげで、もうそんな時期かと遠くを見つめた。
グラフィック映像の空は風もないのに太陽を隠すように雲を動かし、本当に太陽が雲に隠れたかの様に世界には影がかかった。
この世界に四季はなく、ただ年月と言う名の時間だけは悠々と流れて行く。
それでも誕生日は在り、もちろん命日だって在った。

そして今日は、千石の大切な友人の命日。
去年の今ごろ、常に千石を支え続けたその少年は死んだ。
忍足が言うには体に負荷をかけ過ぎ人体の形成を保てなくなった為だと言っていたが、つまりは実験動物として扱われ最期までその体を痛め付け続けたと言う事だろう。
少年は千石と同じ鳥だった。だからこそ、その扱いは決して良いとは言えなかったし、葬儀や墓が立つことも勿論無かった。
だがたった一つ違うとすれば、少年の名が慰霊卑へと刻まれた事だろう。

少年はカナリヤに一番近い存在として認められ、形だけでもその存在をこの空虚な世界に残す事が出来たのだ。
祈る者など居なくとも、残るのと残らないのとでは遺された側の気持ちの在り方は違う。
たとえそこに何も埋まっていないのだと知っていても、在る事が既に意味であって無意味ではない。

「花を、買って行こう。」

「うん。ありがとう。」

微笑む千石に俺もつられて笑い返し、今が本当に幸せなのだと実感する。
初めて会ったばかりの頃は少しも笑わなかった千石がこうやって幸せそうに笑ってくれる。それだけで心は満たされるし、世界に溢れる不幸を忘れられた。
きっと、本当は向き合わなければならない事柄は世界に溢れており、今も造り続けられる千石の仲間達を俺は救ってやるべきなのだとは分かっていても、やはりそう簡単には事は運ばず、俺に出来る事は少なかった。
たとえ権力を持って居ようともやはり俺は子供で、権限を持ってはいないのだ。
そんな自分と言う人間の力の無さに絶望して、失望して、無意識に沢山の事から逃げた。
でも、きっとそうしていられる時間は限られている。

「跡部クン?」

黙っている俺を不思議そうに覗き込んだ千石の体を俺は力強く抱き締めた。
細い体は戸惑いながらも抵抗だけはせず、首を傾げてどうしたの、と柔らかく言葉を紡ぐ。
千石は声を持っているし、歌は歌わない。
それでも定められた生の時間は限り無く短く、共に生きる事は決して出来ないのだ。

「桜を、持って行こう。いまの時期は綺麗だからな。」

情けない自分を悟られたくなくて、抱き締めたままそう囁いた。
桜。
それはこの世にある唯一の自然花の名前だ。
腐敗した世界の中で唯一生き残ったその花はもう王家の庭にしか存在していない。
本来なら人目にすら触れないその花も、王家の血を引く俺だからこそ持ち出す事が出来る。
そんなどうしようもない権力の無駄使いに自分でも嫌気がさすけれど、子供過ぎる自分にはどうしようも出来なかった。
俺は運命から千石を救ってやれない。勿論千石の仲間達もだ。
俺に出来るのはただただ居場所を与えてやる事だけ。それも俺の目の届く範囲というある種の拘束付きで。
それの何処が自由なのだと言われてしまえば何も返せない。当然だ。
俺が与えているのは所詮自己満足で、本当の自由何かじゃない。
そこまで分かっていても、お前が微笑んでくれる事に甘える俺をどうか許してくれ。

「きっと、長太郎クンも喜ぶよ。あの子は桜が大好きだったからさ。」

「あぁ。」

抱き締めた体をゆっくりと解放すると千石はそう言って笑った。色素の薄いオレンジが透けて金色に輝く様がキレイで、ゆっくりとその髪を梳く。
その柔らかな触り心地に満足して笑えば千石は俺の手を包み込み、視線を向けた。

「ね、跡部クン。君に知ってて欲しい言葉があるんだ。」

まなざしは真剣で、何故だか嫌な予感が胸を霞める。
いったい千石は何を言おうとしている?

「千石?」

「忘れないで。」

微笑んでから、千石はゆっくりと俺の手のひらに指を這わせた。
一文字一文字を区切る様に描く。
俺はそれを必死に解読し、脳内で言葉として繋ぎ合わせた。

「これはね、言ってはイケない言葉なんだ。でも君には特別に教えてあげる。本当に困った時に言うんだよ、そうしたらきっと全部丸く収まっちゃうから!」

「お前が何とかしてくれるって事か?」

「君を助けてあげる。」

「なら、考えとく。」

うん。と言った千石の顔はいっそ清々しい程曇りがなく、目を細める位輝いていた。

「さってと、じゃあ長太郎クンの所に行こっか。桜も見せてあげたいし。」

「そうだな。」


「跡部!!」


それは一瞬だった。


聞き馴染んだ声が俺の名前を呼んだのが聞こえ、振り返るとそこには予想通り忍足が居た。

が、

「逃げろっ!!」

忍足がそう叫ぶと同時にその体は撃ち抜かれ、叫びが喉から出る前に千石が叫んだ。

「忍足クンっ!」

そして叫んだと同時に走り出そうとした千石の前にはいつの間にか人間が立って居り、その突然現れた人物を認識した途端千石はその瞳を見開いた。

「な、んで。」

千石よりもほんの少し背の高いそいつは口許に笑みを浮かべ、輝く銀色を靡かせる。

「久しぶりやのう、千石。」

「っ仁王。」

千石が呟くのと仁王が千石の腕を捻り上げたのはほぼ同時。

そして、

「千石清純のマスター、跡部景吾様で間違いありませんか?」

俺の後ろへとやって来た白衣の男がそう言ったのも、同時だった。

「何のつもりだ……忍足と千石を解放しろ。」

「それは出来ませんねぇ。忍足は裏切り者ですがまだ働いて貰わなければ困りますし、何より千石清純は次のカナリヤ候補となったのですから。」

まるで心の籠らない物言いは如何にも科学者らしく怒りが煽られたが、それすら気にする余裕が俺には無かった。
何故なら科学者が千石をカナリヤの候補だと言ったからだ。

「言っている意味が分からないな。千石は俺の鳥だ、許可無く連れて行けると思っているのか。」

もしかしたら千石を傷つけるかもしれない。そう分かっていてもこの状況を打破する方法を俺は知らず、所有権に頼る他なかった。

「分からん奴やのう。お前さんの親があっさり許可したんじゃ、王の言葉は絶対。拒否権なんかない。」

「そんなん嘘やっ!騙されたらアカン!」

仁王が笑みを浮かべたままそう言うと、両脇を軍人に押さえられている忍足が叫んだ。
肩からは赤い血が痛々しく流れており、忍足の白衣は白い部分をだいぶ失っている。

「嘘なんて言いませんよ、ちゃんと契約破棄状も頂きましたしぃ。ほら。
後は刻印を彫り直すだけです。」

そう言ってひらひらと見せられた紙には確かにサインが書かれており、否定の仕様がなく頭の中を絶望が過ぎる。
もしもアレが本物なら俺にはどうしようも出来ない。

「嘘だ!なんで、こんな……。もう嫌だって言った癖に!長太郎クンの事を忘れたのかよっ!仁王!」

千石が長太郎の名を出した瞬間、ほんの僅か仁王の表情が歪んだがそれはすぐに笑みとなり嘲笑へと変化した。

「もう忘れた。」

その言葉は千石の心を抉ったのだろう。
表情が悲しみに歪み、今にも泣き出しそうな顔へ変わった瞬間俺は耐え切れず千石の元へ走った。
誰一人満足に助けられなくとも責めて千石だけは守ってやりたいから。
だからこんなわけの分からない奴等に傷つけさせたくない。


「千石っ!」

手を伸ばした瞬間、

「諦めなさいと言っているんですよ。」

後頭部に鈍い痛みが走り、
意識は唐突にそこで途切れた。






「−−ッ跡部クン!!!」








手を伸ばし、声を張り上げても
(お前を守る事だけが出来ない)




END
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