蝉の声がコダマのように鳴り響くなか、重たい足取りで俺は川沿いの道を歩いていた。
太陽を反射してギラギラと光る川から視線を逸らし、考えることを放棄している脳みそで自分の行動を振り返る。もう何時間歩いたのだろうか、と。
しかし携帯を持って来なかったし、腕時計もしていないからわからない。
ただ自分がずっと歩いてきた川沿いの道だけが後ろに延々と伸びているだけだ。

ふと足を止めて振り返れば熱に歪みながらも遠くまで景色が見えた。
今は緑が生い茂って木漏れ日を作っているが、春になるとココは見事な桜並木になる。
今年の春も、俺はココを歩いた。
毎年、一人で歩いてる。
そんな通い慣れた道を見つめて、ジワリと浮かぶ汗を焼けた腕で拭うが、同じように汗に濡れた腕ではあまり意味をなさなかった。

このまま、もしもこのまま川沿いを行けば海があったりするのだろうか。
そんな下らない事を考えたのは何時が最初だっただろう。
何年も前からひたすらに川沿いを歩いて、下らないことを考えては苦笑するだけ。
何度も何度も繰り返して、いつも途中で諦めては帰る。まだ海にたどり着いた事は一度もない。
電車に乗れば。しっかりと道を調べれば自転車でも行ける。バスだってある。
なのにいつも川沿いを歩くだけなのは、俺が本気で行こうと思っていない臆病な証拠だ。
逃げ出した、あの場所へ。俺は帰れない。

暑い、暑い中学時代を過ごしたあの場所は、今はひたすらに遠い。
俺はあの場所に沢山の人や想いを置き去りにした。
なにも告げず、なにも残さず、逃げるみたいに消えたんだ。

彼も、置き去りにしてしまった。
まだ幼く、真っ直ぐで、ひたむきな子。
大人に成りたがっていた彼は、望むような大人に成れたのだろうか。


俺を、恨んでいるだろうか。

間違った恋だったから。
否定される前に受験を言い訳にして県外へと逃げた俺を、彼はどんな風に思って過ごしたのだろう。

酷いことをした。

そう思う。けれど間違ったとは思わない。
正しい選択だった筈だ。
彼も、俺も。いつまでも一緒にいられないのだと分かっていた。
間違った関係なのだと痛いほど分かっていたから。
だから……


……だから?
こんなのは言い訳だ。
逃げた自分を庇護してるだけ。
どんな理由を並べようといきなり消えて傷つけたのは変わらない事実なのだから。
覚悟して始めた関係だったくせに……。

「……帰ろう。」
こんな事を延々と考えたって俺の足はもう前には進まないし、過去に帰ることも叶わない。
俺は来た道を戻る為に足を踏み出した。

このまま帰ってシャワーを浴びよう。それで全部忘れて、また明日から日常を生きよう。
それが、正しいんだ。








アパートが見えて来た時にはすっかり日が傾いていた。
今日はカレーにしようかな。なんて考えながら途中で買った野菜を持ち直す。
県外を受験した為に、高校の時から一人暮らしをしており、家事はすっかり板についた。
今なら自信を持って人にもご飯を振る舞えるだろう。
昔は本当に少しの料理しか出来なかったから。

カンカン、と音を鳴らしながら鉄製の階段を上り、俺は一番奥の部屋を目指した。
するとソコに一つの人影が見えた。
人影は俺の部屋の前に止まっているように見えるが、宅配便でも来たのだろうか?
しかし服が明る様に私服のようだし、宅配の線はないだろう。
だが見覚えがないそのシルエットは友人というわけでもなさそうだ。

いったい何の用なのかと不審に思いつつも一歩づつ近づくと、人影の人物もゆっくりとコチラを振り返った。

「え?」
そこで、俺の思考が停止する。
手にもっていた荷物は床に落ち、せっかく買った野菜は床を転がっていく。
だがそれでも俺は動けなかった。

「…な、んで?」
「お久しぶりです。佐伯さん。」
記憶よりも低い声、高い目線。しかし記憶と変わらない鋭い眼差し。
そこにいたのは、あの日置き去りにした彼。
「日吉…くん」

名前を呼ぶ声は情けないくらい震えて、出てくる言葉は"なんで"ばかり。
彼の前から姿を消して、もう随分な時間が経ったと言うのに。なんで、なんで今。

「時間が、経ってしまいました。」
「え?」
「ココに来るまでに随分と長い時間が。」
顔を俯けて、ぽつりぽつりと日吉くんは言葉を紡ぎだした。
俺は立ち尽くしたまま必死にその声を追うばかりで、いまだパニックから抜け切れずにいる。
まるで、夢でも見ているようだ。

いや、もしかしたら夢なのかもしれない。
だって、だって。
彼が会いにくるなんて……。

「貴方が居なくなって、諦めるべきなのだと思いました。」
「……」
「何も告げずに行ったのは終わらす為なのだと、割り切りもしました。」
「……うん。」
ゆっくりと言葉を紡ぎながら彼はしゃがみ込んで転がった野菜を拾い始めた。
それにつられて俺も慌てて野菜を拾っていく。

「それでも」
「……それでも?」
話しの続きは聞いてはイケない気がした。
でもきっと、聞かなければ前にも進めないのだと、そんな予感もある。
彼も俺も、同じ想いで生きてきただろうから…。

「それでも、諦めることが出来ませんでした。」
「………」
「貴方が今でも好きです。」

真っ直ぐ俺を見て、彼はそう告げた。
昔だったら逆立ちしても言えない言葉。俺の目を真っ直ぐ見る事すら出来なかった癖に。
成長……したのだ。彼は。

「ありがとう。俺も、今でも好きだ。忘れたことだって一度もない。」
「佐伯さん…」
「でも、やっぱり…。」
ダメなんだよ。
最後の言葉は震えてしっかり発音出来なかった。
好きだ。
それは今でも変わらない。
泣いてしまうくらい好きで好きで愛してる。
それでも…
だからこそ…
ダメなんだ。

「俺、結婚するんだよ。」
「……もう。ダメなんですか。」
悲しそうな顔をする日吉くんに俺は精一杯の笑みを向ける。
何度やり直しても、俺達は必ず離れてしまうだろう。だから。

「好きだよ。」
「俺もです。」
「うん。だから。ちゃんと幸せになろう。」
今の俺達が選べる最大の幸せをしっかり歩もう。

ゆっくりと、日吉くんが頷くのを確認してその体を抱きしめた。
久々の温もりは本当に懐かしくて、ひたすらに涙が流れるけれど、それでもこの痛みだっていつかはちゃんと思い出になるから。
幼い恋だったけれど、本当に、好きだったよ。

「迎えにきてくれてありがとう。」

ようやくこれで、中学生だった自分が旅立てる気がする。
日吉くん。幸せに。幸せに、なるんだ。
あの日々が甘い痛みを残しても笑えるくらい、幸せに。




鮮やかな青が目に痛い
(ああ青春の日々)




END
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