俺は魚なんだと千石は言った。
水がなければ生きられないとも言っていた。
だけれど千石はいつまでたっても死にはしないし、水を求める気配もない。
それでも千石は俺に会うといつも必ず言うのだ。
地上は生きづらい。
魚の俺には生きられない、と。
だから俺も大概呆れて千石の言葉にはそうか、としか返さなくなっていた。きっとそのうち返事すらしなくなるかもしれない。
けれど千石が諦める姿は到底想像できないから、いつまでも下らない事を喋り続けるだろう。
アイツはタフだ。
じゃなければ俺の隣に居やしない。

だがもしも千石が本当に魚だとして、いつか海に帰るのなら俺はどうするのだろう。引き止めるだろうか。それとも見送る?
下手したら気付かないかもしれないな。
ああ、千石がいない生活ってヤツはさぞかし静かだろう。読書をするにはうってつけだ。
だが俺はそれを幸福だと感じるのだろうか。

「俺は魚なんだよ」

今まで静かに雑誌を読んでいた千石が思い出した様に言った。
俺は調度考え事をしていたお陰で本を読めていなかったから視線を千石へと向けてやる。だが千石は視線だけは雑誌に向けたままで、俺を見ずにまた言葉を紡いだ。
紡がれる言葉はいつもと同じ、魚は地上じゃ生きられない、だ。
その代わり映えのしない言葉に俺は俺で代わり映えのしない返事を返してやろうと思った。けれどそんな事をいつまでも繰り返していったい何が楽しいのかと考えて、少しも楽しくない上にそれは不毛だと気がつき喋る寸前で口をつぐみ、言葉を考え直す。
どうせなら千石が考えつかない事を言ってやろう。
それは惰性に飽きた悪戯心。

しかし急に方向転換をしても言葉は沸いてでるわけで無し、妙な沈黙を作ってしまう結果になった。
その所為で喋るに喋れなくなった俺は無視だと思われるのも釈然としない、と勝手にモヤモヤを抱えて千石を睨んだ。睨んだ所で打開策はないが。
そうしていると突然千石が振り返って俺を見た。
本当に突然。
しかもその表情は妙に必死で、俺も驚いたまま呆然と千石を見てしまう。

「千石?」
「…あ、えっと…喉渇いたね〜って」

俺が訝しげに千石を見ながら問い掛けると、明らかに不自然な躱しかたをしながら千石は視線を逸らして雑誌へと顔を戻した。
誰がどう見ても挙動不審でオカシイ。だが俺にはイマイチその行動に対する追求のしかたもわからず、なにかが引っ掛かりはしたがその場は飲み物を用意するだけで終わらせてしまった。

その日からだろうか。千石が魚の話をしなくなったのは。
最初は飽きたのだろうとしか思っていなかったのだが、日が経つにつれて何故だか妙にそれが引っ掛かるようになり、キッカケを思い出すと今度はあの時の表情が気になってしかたなかった。
あんなにも焦った表情をした千石を見たのはアレが最初で最後だ。
いつも飄々としていて掴み所のないアイツが何故あんな顔をしたのだろうか。
今になって気になる。
だが今更それをどう追求すべきか俺にはわからないし、だいたい聞いた所でアイツは答えるのだろうか。
もしかしたら気まぐれで魚の話に飽きたから言わなくなっただけかもしれない。それにあの日の事をアイツが覚えている保証はないんだ。

俺だけが気にかけていて、それを千石に教えるだけの結果になったらいっそ死にたくなる。
だから結局俺も聞くに聞けないまま。

ああ、このままなかった事になるのだろうか。
本当に俺はそれで良いのか、それがわからない。
ただどうしてここまで気掛かりなのかもわかりゃしないのだから、結局わからない事だらけだ。
こんな下らない事に思考と時間を費やす自分の気がしれねぇな。
ベッドに身を投げ出して大きなため息を吐いてから目を閉じた。
今日はもう寝よう。
疲れていたのか、目をつぶってしまえば意識はどんどん遠くなり、あっという間に眠りへとついていた。












『わぁ、魚がたくさん』
千石は館内に入ると、一目散にデカイ水槽へと飛びついた。
その瞳はまるで初めて水族館にきた子供のようで、思わず苦笑しながら俺は千石の背中を追って歩みを進める。
『水族館なんだぜ?魚がいて当たり前だろ』
あまりにも楽しそうに水槽を見つめているものだから、つい意地悪な口調で千石を冷やかすと特に気にしたそぶりもなく千石は俺へと笑顔を向けた。それはそれは無邪気な笑顔を。
『そうだけどさ!俺こんなに魚が居るの初めてみた』
『お前水族館来たことねーの?』
『うん!だから今日楽しみで仕方なかったんだよね!』
そう言ってまた水槽に視線を戻して輝く瞳を向けている千石を見つめて、連れて来てやって正解だったことを喜びながら青の反射する瞳を横で盗み見ていた。

また連れてきてやろう。










目が覚めると朝日がカーテンの隙間から零れて部屋を淡い光で包んでいた。
今だに夢の余韻から逃れきれていない脳を活性化させながら、先程まで広がっていた情景を思い出す為に目だけを閉じる。青い世界。
「……水族館か」
結局あれから一度も行っていないな、とぼやきながら体を起こし、サイドボードに置かれている携帯を見る。
着信や受信を知らせるランプはついておらず、一度視線を逸らしてからまた携帯を睨み、覚悟を決めて携帯を掴んだ。

自分から千石に連絡をとった事はない。
それは中途半端に高いプライドが作った壁を越えられなかったから。
自分が連絡をしてしまえばそれは相手に入れ込んでいる証拠になる気がして成らなかった。そして自分自身がそれを自覚することも受け入れ難かった。
だがそんな事は今更だ。
それくらい分かっている。
これだけ振り回されていて入れ込んでいないだなんて嘘にしか聞こえない。

着信履歴の一番上を陣取る名前を選び、俺は発信ボタンを押した。
初めての着信にアイツはどんな顔をするだろうか。
水族館で見せたような表情で携帯を見るのか、それとも世界の終わりみたいな顔をするのか。
想像しただけでも笑える。
いつもは下らないとか、意味がわからないとか、そんな事を思っていたのに本当はこんなにも些細な事が愛おしく感じるほど好きだった。
下らなく感じるのは理解を拒んでいたからで、
意味がわからないのは分かろうとしなかったから、
そんな簡単な答えすら否定して逃げていた俺にアイツはもう一度言ってくれるだろうか、俺は魚だと。
答えを聞けば答えてくれるだろうか。

携帯からはコール音が響き、妙に緊張している自分がいる。
脈拍がおかしいのが自分でもわかる。
いったい千石はいつもどんな気持ちで俺に電話をかけていたのだろう。

コール音が止む。

『も、もしもし!?跡部くん!?』

鼓膜に伝わったのは聞き慣れた声。

「他に誰が居るってんだよ、バーカ」










青と魚と僕の話
(君と僕と恋の話)




END
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