しまい込んでたフィルムがあった。
部屋の片隅に追いやられたダンボールの中、乱雑にしまわれていたガラクタを片付けていた時に出てきたそのフィルムは今更現像するのも迷われる代物で、だけれど今更だからこそ現像しようかとも思えたりする。
何故ならそれはとても大切な人との掛け替えのない思い出を映したフィルムだから。







勿忘草












冷え切った空気の中、マフラーに鼻先を埋めて歩く。
晴れ渡った空から注がれる光は明るい割にはあまり暖かさを纏っておらず、空気はとても冷え切っていた。その寒さから逃れる為に手をすり合わせ、腕に下げているビニール袋へひっそりと視線を向ける。
その中には今日現像してきた写真が入っているのだ。なんだか受けとった途端、急に怖くなって確認もせずに貰ってしまったが中身は本当にあの時の写真なのだろうか。
違ったら、
もしも違ったら俺は安心するのだろうか。
それとも

…こんな考えは不毛だ。
だいたい写真があの夏に撮ったものだったとしても大したモノは写っていないだろう。
だって内緒でこっそり撮っていたから、二人でなんか撮らなかった。
それに、もう10年以上も前の事だ。
今更、
いまさらいったい何に怯える?

足元に転がる石ころを蹴って息を吸い込む。
冷たい空気は肺を締め付けて、なんだか少し気持ちもスッキリした。
(これは後悔とか、そんなレベルの話じゃない)
近くの高校に通っている子供達が隣を走っていく。
その姿はまるで風のようだ。

俺にもそんな時期があった。
寒い日も暑い日も走った日々が。
まっすぐに伸びた彼らの背を見つめていると、甘く疼く身体に苦笑してから歩調を早める。
まだ走れるだろうか。
(後悔できるほど真っ当じゃない)
無理だと誰かが言うけれど、俺は構わずに地を蹴って走り出した。
冷たい風が頬を裂く。
ビニール袋はガサガサと煩く喚き、口からは白く濁った息が吐き出された。
ああ、やっぱり身体が重いや。
俺は風にはなれやしない。

でも気持ちいいから走れるだけ走ろうか。
目一杯、走ろうか。












足を止めたのは坂の上にある公園ついた時だった。取り合えず坂を駆け上がるのは無理をし過ぎたというか、はしゃぎ過ぎだ。
ロクな運動もしていないのにちょっと無謀な行動だった、と反省しながらその場にしゃがみ込む。
正直辛い。
息も出来たもんじゃない。
頭までガンガンするし、最悪の状況だ。
俺はしばらくしゃがみ込んだ体制のまま頭を抱えて大人しくすることにした。
じゃないと死にそう。
そんな時だ、

「具合が悪いんですか?」

突然幼い声に話かけられた。
まだ甘さを残した柔らかい少年の声。心配そうに話かけてくる声の主を視界に入れようと顔をあげれば、存外近くにその子はいた。
しゃがんでいる俺と大して変わらない目線にいるその少年はどこか彼に似た雰囲気を持っており、俺は何故だか酷く焦った。
心が変にざわついたんだ。
何故だろう。
少年の泣きボクロが彼を彷彿させるのだろうか。

「……あ、いや、ちょっと走り疲れただけ…」

俺は内心焦りながら、それでも心配そうに見つめてくる少年へと笑みを向けた。
今日は随分と変だ。
いつも変だけど、いつも以上に変。
写真なんて、現像しなければ良かったのかも。
忘れたまま平然と過ごせば良かった。
もう未練なんかない。割り切ったんだって思っていたのに、ほんの少しほつれただけで瓦解していく。こんなに弱いなら、やっぱり傷口は自分で弄るべきじゃなかった。

「君は、一人でどうしたの?」

俺は自分の愚直さに嘆きながらも、現実に戻りたくて少年へと話し掛けた。
少年は俺の前に立ったまま動かずにいて、眼差しは真っ直ぐ俺へと向いている。
その瞳は彼と同じマリンブルー。
恐ろしい程に澄んだ色だ。

「僕はこの場所に来たかったんです」
「…公園…に?」
「はい」

少年は瞳を風景にずらし、公園全体を見るように目を細めた。
妙に大人びた仕種をする子だな、って俺も真似をするみたいに公園へと視線をずらす。
そういえばココも彼と来てたっけ。
よく待ち合わせをしてて、あの日、そう
確かあの日一緒に逃げようと誓ったのは調度この場所じゃないか。
ああ、墓穴。

今日は災難ばかり。
そう、俺は昔ココで彼と逃げることを決めたんだ。二人で生きようと本気で思ってた。
あの瞬間が、全てだった。

「…やっぱり具合が悪いんですか?」
「ちょっと…ちょっと休めば平気」

俺は心配そうな声に必死で言葉を返す。
なるべく元気を装って。
だけど顔をあげる事ができなくて、両手で表情を隠しながら俯いた。
もうずっと昔なのに、今だに過去にはなってくれない。バカだ。
彼は前向きに生きているのに。
ちゃんと、人生を全うしようと懸命に進んでいるのに、俺はちっとも進めちゃいない。

彼が結婚した時だって、逃げるばかりで向き合えなかった。
お祝い一つ、満足にすることもできなかったんだ。

「泣きたい時は泣くべきだと父様が言っていました。」
「……素敵なお父さんだね」
「はい。とても尊敬しています」

少年の小さな手が俺の頭をぎこちなく、だけどとても優しく撫でる。口調や仕種に騙されて甘えたくなってしまうほど、少年は俺なんかよりずっとずっと大人だ。
やっぱりどこか彼に似ている。
彼も俺なんかよりずっと大人だった。

「そういえば君はなんでココに来たかったんだい?」
「それは」

少年が俺への問いに答えようとした時、女の人が誰かを呼ぶ声が響いた。
声の方へ顔を向けるとそこには綺麗な服を着た綺麗な女の人がいて、その人を俺が認知した時には少年が走り出していた。

「母様!」

嬉しそうに走り出す少年はよくよく見れば高そうな服を着ていて(そういえば父様って言ってた)どうやらお坊ちゃまだったようだ。
その後ろ姿を眺めて、俺もそろそろ帰ろうかななんて思った時、聞き慣れた音がした。

−−−リンッ

分かってる、鈴なんてどれも似たような音だ。
だけど一度反らした視線を俺は戻さずには居られなかった。

コロコロと転がった鈴は錆びることなく輝いていて、まるで新品のようだ。なのに俺の目にはあの日落とした鈴に見えて、有り得ないのに胸が震えた。

「この鈴、父様が大切にしていた物を頂いたんです」
「…………そう、なんだ」

鈴を拾った少年は愛おしむように鈴を見つめ、それから視線を俺に向けると静かに微笑みを浮かべる。

「これ、あげます」
「なんで?大切な物、なんでしょ?」

駄目だ。
声が震えて、笑顔が上手く作れない。
なんでだろう。
なんでこんなに泣きそうなんだ。

「プレゼントです。お兄さん泣きそうですから。」

少年は俺の手をとり、鈴を握らせると今度は子供らしい柔らかな笑みを浮かべ、その代わりにお願いして良いですか?と続けた。
俺は逆らうことも出来ずに頷く。

「ずっと、大切にして下さい。どんなに時が経っても、忘れないで下さい。」

少年はそれだけを言うと待っている母親の元へと走り出した。綺麗なお母さんも俺へと会釈をして帰っていく。

俺は手にもった鈴を一回鳴らして、懐かしい懐かしい音に目を閉じた。

あの日さよならを告げたのは俺の方。
差し延べられた手を掴めなかったのは俺の弱さだ。
なのに君は強く生きているんだね。

「好きだよ、跡部くん」

ずっと愛してる。
忘れるわけないよ。
俺だけ、逃げたりはしない。
君が誰より好きだから。

鈴を握りしめて空を仰げば相変わらずの快晴で、冬が終わればきっと太陽があの夏のように輝くのだろう。
そうしたら今度こそ、太陽に祝福されるくらい笑ってやろう。

それで歳をとって、皺くちゃになって、縁側で時間の経過を静かに見つめるんだ。
この人生を全うして、君に自慢出来るように頑張ろう。幸せになろう。

必ず跡部くんにたどり着くと随分昔に約束したから、その約束を果たそう。

俺はなんだかまた走りたくなって、今度は公園に背を向けて走り出した。
腕に下げたビニール袋はガサガサと喚き、鈴は軽やかに音を奏でる。
新たな旅立ちに涙が流れることはなかった。









勿忘草
(約束)

END
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