「私はここよ」
それは聞き逃してしまいそうなほど静かな声だった。静かで、風がほんの少し木々を揺らしたときのような自然の音。
だけど違和感が自然に馴染むことはなく、確かな意思を持って俺の耳へと届く。
「どうしたんですか」
明確な意思で俺に向けられた言葉。
それに応えるしか俺には選択肢がない。だから使命を全うすべく前を歩く人の背中に向かって疑問を投げかけた。
染めたみたいに明るい茶髪は陽の光を浴びて輝くオレンジ色に見える。
何故この人の言葉が自分に向けられていると分かるのか、答えは簡単だ。だって道を歩いているのは俺達だけで、更に言えばこの人は拾わなくていい言葉は喋らないし、例え喋っても聞こえない程度に加減する器用さを持っているから。
つまり聞こえるように言ったのならそれは俺へのメッセージで、俺に聞いてほしい言葉だということ。
「この間聞いた曲にね、そんな歌詞があったんだよ。私はここよ、って何回も何回も言ってて、必死に誰かを探してるんだ」
いや、探して欲しがってたのかも。なんて曖昧なことを言いながらその人は一度振り向いて、また視線を前へと戻す。
俺の表情を確かめたのか、聞いていることを確認したのか、それはよく分からないけれど。
「ああ、でももしかしたら誰かの歌じゃなくてその子が死ぬ間際の歌だったのかな。ほら、走馬灯みたいなさ」
「ほら、って言われても俺聞いたことないし…。」
聞いていたとしても俺が同じ考えを持つことはないのだろうけど、そこはわざわざ言わなくたってこの人も十分わかってる。
だから俺に同じものを見ろとか、同じものを聞けとかは言わない。いつも一方的に喋って映画や小説、漫画や音楽の感想を俺に聞かせるだけ。
俺は俺でそれが苦痛じゃないから黙ってその話を聞くんだ。たまに文句や疑問を投げかけて、それに返してくる奇想天外な返事を予想するのも最近ハマってたりする。
自分の中で苦手意識とかをも凌駕する感情。振り回されることをどこかで喜んでる。
この人と居る間に俺は随分と自分の知らなかった自分を知った気がするんだ。
「なんだか不思議じゃないかい?死に際に他人を想うなんて。」
「人間は寂しがり屋なんだってこの間テレビで言ってましたよ」
「そんなもんかね?」
「突き詰めればそうなるんじゃないっスか?千石さんの走馬灯には女の子ばっかりいそうだけど」
俺の言葉に高い笑い声が返されて、冗談じゃなくて結構本気で言ったのだということを伝えれば更に笑われた。
そんなに面白いことなのかは分からないけど
まぁ、楽しいのならそれでも良いか。
「その走馬灯は幸せだな〜。実現できると思う?」
「どうっスかね?千石さんなら有りそうだけど死に際まで煩悩の塊ってのも……」
「可哀相?」
「それはない」
可哀相だなんて思わない
一生
それだけは確かだ。
例え可哀相に含まれた意味がどんなことでも
「遠慮せずに哀れんでくれて良いんだぜ?別に俺は幸せだし」
おちゃらけて俺をみたその表情と動きが面白くて、相変わらず変人だな、と思いながら勝手に幸せ感じてて下さい!ってハッキリ言ってやった。
やっぱり爆笑してて、それがやけに幸せそうだからなんだか少し羨ましい。
これだけ笑ってるんだ
今、この瞬間の景色が女の子達に挟まれてほんの少しだけでも走馬灯に紛れ込めたならそれだけで俺は満足。
世界一の不幸少年と不名誉な称号を貰っていても、それを跳ね退ける幸せな人間になれる。しかも世界一幸せな人間に、だ。
ラッキー千石顔負けってね。
「きっとあの歌は大切な人に先立たれたんだね。だからその人が死んだ瞬間を自分の死に際でもみているんだ。」
「もしそうだったら苦しくないですか?」
「苦しいだろうね、後悔したことをいくら思い出しても今更手は届かないんだから」
「可哀相って思いました?」
「うん」
それはどんな意味で?
聞こうとして、止めた。
きっと俺には分からないだろうし、聞いたら一緒にいることを止めてしまいそうだから。
自覚は時に破滅を招く。
無知は時に最大の武器になりえる。
俺は、ここでいい。
「俺の走馬灯には出てこないでくださいね」
「え〜?出てきちゃう恐れがあるくらい俺って存在感あるの?」
「インパクトだけは間違いなくあると思います」
言い切るなよ、って突っ込んだ千石さんは少しだけ楽しそうだ。
ほんと、インパクトだけは間違いなく誰より有るに違いない。
特に俺にとっては。
だからせめて死に際くらい静かに逝きたいのでどうか出てこないでください、ってお祈りでもしておこう。
走馬灯
(それが幸福の記憶でありますように)
END