薄暮の眠り姫 1
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「――おい」

『地学準備室』――その室内に足を踏み入れた衛藤郁也(えとう・いくや)が発した第一声は、それだった。

 普段は鷹揚な、人好きする表情を浮かべている顔が、不機嫌そうに歪められている。郁也は深いため息をついて、部屋の奥に歩を進めた。

 視界に入ってきたのは、教員用の机とその上に積み上げられた図鑑やプリントの山。別の机の上には、双眼鏡やカメラが無造作に置かれている。そして、その近くの壁ぎわには天体望遠鏡が二台。

 それらを視界に収めつつ、郁也は真っ直ぐ部屋の奥に鎮座している皮張りのソファーに向かった。その上に静かに横たわっているのは、巨大なみの虫――ではなく見慣れた少女の姿。

「山倉(やまくら)」

 みの虫の如く寝袋に収まったクラスメイトに呼び掛けて、郁也はその傍らにしゃがみこんだ。

 探し人である山倉明日香(あすか)は、健やかな寝息を立てていた。さすがに全身すっぽり入るには暑かったのだろう。お腹の辺りまで寝袋に入った状態で、ソファーの上で器用に眠っている。その平和そうな寝顔を見て、郁也は舌打ちしたくなった。

「無防備に、寝てんなよなぁ……」

 ぼやいて、頭を抱える。この状態の彼女を発見したのが自分じゃなかったら――そう考えると、非常に面白くない。

 北向きのこの部屋は、日差しの恩恵をほとんど受けていない。そして日も暮れかけている今、室内は薄暗かった。そのせいか、普段見慣れない器具が詰め込まれたこの場所は、郁也には居心地悪く思えてしまう。だけど、彼女は此処で安心したように眠っていて。

 侵しがたい空間に踏みいってしまったような、そんな気分になる。

「何だかなぁ……」

 明日香の眠りを妨げないように、ぽつりと呟いてみる。その言葉が思いの外、薄暗く埃っぽい空間に深く響いて、郁也は眉根を寄せた。

 目の前にいるのは、多分、今最も気になっている――側に居て欲しいと思っている、少女だった。ふとした瞬間、視界に居ないと落ち着かなくて、こうして捜し回るのが日課になってしまっている。

 殊更『人嫌い』というわけではないのだろうが、彼女は一人でいることを好む性質(たち)らしい。そのせいか、あまり教室に居着かない。姿が見えなくなったときは大抵、此処かプラネタリウムに居ることがほとんどだ。

(ひょっとしなくても俺って、ストーカーなんじゃなかろうか……)

 日頃の自分の行動を思い返して、郁也はうなだれる。耳には子どもみたいな彼女の寝息だけが聞こえてきて。

 人の気も知らないで、と苦々しい思いで、その寝顔に目をやった。

 間近で見る彼女の顔は、少しばかりやつれて見えた。任期を終えたとはいえ、元生徒会役員だ。何かにつけて用事を言い付けられる日常は、まだまだ終わらないらしい。

 疲れているのだろう。普段の表情の変化が乏しいから、なかなか気づかれにくいけど。そのくらいを悟れる程度には、見てきたから分かる。



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