落下する嘘つき 3
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 ――義姉さん。

 その一言を口にするために、この人はどれくらい苦い思いをしたんだろう。

 それを想像して、勇樹は泣きたくなった。

 美晴が異性からの好意を遠ざける理由。それは勇樹のように、単純に嫌いだからというものではない。彼にはずっと、本命がいたから。それが理由だ。

 けれど、その本命と出会ったとき、彼女は既に他人の物だったのだという。美晴の兄の、恋人。表立って兄に対抗するわけにもいかず――それは彼女を傷つける行為に他ならないと、理解していたから――美晴はただ自分の想いを押し殺すことを選んだ。

 恋愛のはじめの一歩で躓いた彼は、その感情をなかったことにしようとしている。どうしたって上手くいくことはないのだから、最初からなかったことにしてしまえと。そんな感情は自分には必要ないのだと、思い込もうとしているのだ。だから、同じような『好意』を寄せられることをひどく嫌がり、怖がっている。

 知らなければ良かった。気付かなければ良かった。その事実を偶然、目の当たりにしてしまったとき、勇樹は神様という存在を心底恨めしく思った。何も知らないでいられたら、きっと美晴のことを『お菓子をくれる、性格の捻くれ曲がった根性悪の先輩』だと認識したままで、徹底的にタカって利用しつくしてやっていたのに。

 知ってしまった、から。押し殺した想いを。たまに吐き出す言葉の端々にちらつく寂しさの影に、気付いてしまったから。

 そのときから、勇樹は身動きができなくなった。彼を嫌うことができなくなった。本気で、本当に寂しい人の手を振り払うなんてこと、できなかったのだ。

 たとえ、それが美晴にとっては一時の戯れだったとしても。

「……勇樹さん?」

 再び聞こえた自分を呼ぶ声に、勇樹は慌てて面を上げた。黙り込んでしまったせいで、訝しく思われたらしい。美晴が不安気に問うてくる。

「さすがに、休みの日までは迷惑だったかな」

 何を今更、と思う。だったら、最初から巻き込まないで欲しかった。周囲の女の子たちは、一体この人の何を見ているんだろう。こんなに理不尽で、我が儘で、寂しがりで――哀しい人、なのに。

 どう考えたって、厄介な人間だというのに。

 だけどもう、間に合わない。ほんの一瞬縋るように伸ばされた手を、振りほどくことはできなかった。その手を取ってあげたいなんて、おこがましいことを考えた時点で手遅れだったのだ。

 だから、勇樹は笑った。全神経を集中させて、できるだけ綺麗に笑ってみせた。

「大丈夫ですよ」

 それは、自分に言い聞かせる言葉。

「だって、わたしは先輩の『カノジョ』でしょう?」

 ゆっくりと告げた言葉に、美晴はきょとんとして――そうして、笑った。

「……有難う」

 眼鏡の奥の瞳が優しくなるさまに、息が詰まるような気分になり、勇樹は軽く目を伏せた。



 ――嘘は、嘘のままで。

 ――何も伝えることをしないまま、わたしはただ深みに嵌まっていくばかりだ。



『落下する嘘つき』終


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