その手が望むなら 6
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「ありがと」

「何が」

「運んでくれて」

 小首を傾げて恥ずかしそうに笑う。当たり前に見てきたその表情に抱く自分の感情が変化したのは、何時のことだったんだろう。いつでも安心したように向けられる笑顔に、居た堪れない気分になる。

「お前、重い」

 どうしようもなくて、仏頂面で装って心にもないことを言ってみた。すぐさま足をはたかれる。

「痛っ」

「デリカシーないなあ、もう!」

 頬を膨らませて、美夏が抗議する。しかし、すぐに眉をひそめて何やらぶつぶつと呟いた。

「……最近、食べ過ぎだったかな」

「――ぶっ」

 物凄く真剣な表情で言うものだから、妙におかしかった。思わず吹き出してしまう。

「大亮っ」

 美夏は悔しそうな表情で、こちらを軽く睨んできた。しかし笑いの衝動は、そう簡単に治まらない。大きな声を出さないようにするだけで精一杯。肩を震わせて、何とか堪える。

「もうっ!」

 美夏はついに拗ねて大亮に背を向けた。その表情を見ることは叶わないが、だいたい想像できる。

(あーあ)

 目尻に浮いた涙を拭い、ため息をついた。

 いつまでこうしていられるんだろう。

 何の警戒心もない無防備な表情を、彼女はいつまで自分に見せてくれるんだろう。

「うりゃ」

「痛いっ」

 口元にニヤリと笑みを浮かべて、大亮は美夏のつむじの辺りをぎゅうっと押した。突然の行動に、美夏は悲鳴をあげる。

「何するのっ」

「いや太ったって言ったからさー。……便秘のツボじゃなかったっけ?」

「知らないっ! ていうか、便秘じゃないし!」

 顔を赤らめて向かってくるさまが面白い。くるくると変わる彼女の表情。それを眺めながら、大亮は浮かべた笑みを苦笑に変えた。


 本当はこんなふうに触れることすら、意識せずにはいられないのだ。

 一度、存在することに気づいてしまった『想い』を見なかったことにするのは難しくて。

 彼女を見守り続けたいのは本当だ。だけどその反面、傷つけるのを分かっていても触れたいと思うのも真実で。

 彼女が望む距離、彼女を傷つけない距離――それが分からなくなってしまった。

 もしも、変わり始めたという彼女が望んでくれるなら。

 自分はいつまでだって、その手を引いてやるのに。

 何処までだって一緒に行くのに。

 だけど望んでいないのならば。

 触れて、傷つけて、いっそこの腕に閉じ込めて他を見れないようにしてしまいたい――そんな凶暴な『想い』は。



 何も知らず、何も気づかず。ただ傍らで機嫌を直して微笑む美夏を見て、大亮はそっと拳を握り締めた。


 燻る炎を身の内に覆い隠して、きっと明日も『いつも通り』に『今まで通り』に自分は笑おう。

 キミを傷つけてしまうかもしれないような想いなら。

 そんなものなら、必要ないから――。



  【終】


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