籠の中の 8 しおりを挟むしおりから読む目次へ 「俺らの中で一番真面目で、根を詰めるのはお前だろ? 中学ン時も無理して倒れたりしただろうが」 忘れたとは言わせない。大亮はそう言って、立ち上がる。 「今無理して倒れられたら、そのほうが大変なんだよ!」 「いたっ」 冗談混じりの強い口調で言われたのと同時に、軽く頭を小突かれた。美夏は上目遣いで彼を睨む。 「何するのっ?」 「自覚なしに無理すんのが悪いの」 「自覚はしてたもん」 だから授業をフイにして仮眠にあてたというのに。結局、寝過ぎてしまったが。 どうにも分が悪くて美夏は大亮から目を逸らした。目線の先には時計があり、いかに自分が無駄に眠ってしまったのかを思い知らせてくる。 (ああもう!) 情けないような悔しいような、何とも腹立たしい気分で美夏は机の縁をぎゅっと掴んだ。これ以上の八つ当たりはみっともないので、何とか耐える。 そんなことをしていたら、傍らの気配が動いた。黙ったまま、大亮が移動してきた。――美夏の正面に。 大亮は美夏の掴んでいる机に手をかけて、その場にしゃがみこんだ。さっきと視線の位置が逆転する。 「……何、話した?」 一瞬怯んでしまいそうなくらい低い声で、大亮が問うてきた。美夏はそれに、おそるおそる応じる。 「何って……?」 「先輩と」 見上げてくる彼の両目。 その力強さに、また胸が軋んだ。 けれど、すべてを正直に話すことはできない。 自分でも疑ってしまうような、曖昧で微妙なこんな思いは。 まだ知られたくない。 美夏は努めて表情を変えることなく、口を開いた。 「先輩たちのノロケ話だよ」 そう言って、緩く笑う。大亮はまだ探るように彼女を見ていた。 「本当か?」 「うん」 全くの嘘ではないから、美夏はあっさりと肯定してみせた。 「……そっか」 少し首を捻りながら、それでも納得はできた様子で大亮は立ち上がる。そして後頭部に手をやって、美夏に言った。 「ちゃんと言えよ」 「え?」 その科白に美夏はきょとんとした。大亮は気にせず、そのまま続ける。 「お前の性格見越して、気にしてるつもりだけど。それでも気づけないこともあるし。言ってもらわねーとわかんないこともあるし」 眠れてないとか聞いたら、心配するだろ。 「……うん」 幼子に言い聞かせるような口調で話す大亮。その声を聞きながら、美夏はそっと目を伏せる。 (こうやって) 心配をかけて甘やかされてばかりで。そんなことでいいのだろうか。 此処は本当に居心地がいいけれど。離れたいなんて思えないけれど。 だけど、分からなくなってしまった。この思いをどんなカタチに変えていったら、自分は彼の傍に在り続けられるんだろう。変わり、広がりゆく世界に怯えず。彼も自分も縛りつけることなく。 「美夏」 やんわりとした呼び声に、目を開けた。そこに見えたのは昔から知っている、やんちゃ坊主みたいな笑顔。 「帰ろうぜ」 せっかく休みにしたんだから。明るくそう言って、大亮は美夏を促した。そして「何か食ってくか?」と訊ねてきた大亮に、笑みを浮かべて答える。 「甘いもの」 「また太るぞー」 「またって何よ? 体重知らないクセに」 「んー、見た目?」 「……うそっ?」 軽快に続いたやり取りの中で、美夏は思わず目を見開いた。立ち上がりかけた姿勢で固まってしまう。それを見て、大亮はニヤリと笑った。 「うっそー」 そしてひらひらと片手を振って、その場から逃げ出した。 「大亮っ!」 その背中に大声をぶつけて、美夏も部屋を後にする。 後ろ手に扉を閉めて、ちらりと先を行く大亮を見た。そして扉に向き直り、額をコツンと当てる。 「……もう少し」 誰にも聞こえないよう、誰にも気づかれないよう。 そう呟いて、扉に鍵をかけた。 その笑顔で、その声で。 その手を伸ばして。 キミはいつまでワタシを呼んでくれますか。 できることならもう暫く閉じこもっていたいのです。 キミが創ってくれた、この小さな籠の中に―――。 【終】 |