壱 お正月さまとわたし
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 昔から、わたしはいわゆる『視(み)える人』だった。わたしの見る世界には幽霊とか物の怪とか、そういうものが現実にいる人間と同じように存在している。

 いかにも危なそうな場所(心霊スポットとか)には極力近寄らない。ホラー映画も観ないし、怪談話も聞かない。道行く幽霊は完全無視。どっちかというと怖がりなわたしはそうやって注意して、今日まで平穏無事に生きてきた。

 ただひとつの例外を除いては――。




『和紗(かずさ)、和紗や』

 耳元で若い男の声がする。声色は確かに若いんだけど、その口調は年寄り臭い。まあ、コイツの本体が経てきた年月を思えば当然のことなんだろうけど。

 それはともかく、今わたしは猛烈に眠い。すこぶる眠い。だって寝たのは、日付をまたいだ今日なのだ。昨日は大晦日だってのに最後まで仕事して、一人暮らしの部屋に帰って、カップ麺を年越し蕎麦の代わりにして、何となく紅白歌合戦からダラダラとテレビを点けっ放しにして、片手間で友達とメールして……たら、とっくに『元日』になってたんだもん。少しくらい惰眠を貪ったっていいじゃないか!

 しかし声の主はお構いなしに延々、耳元で囁き続ける。

『起きろ起きろ起きろ起きろ起きろ起きろ起きろ起きろ起きろ起きろ……』

「やかましいわぁっ!」

 そのしつこさに嫌気がさして、わたしはガバッと身を起こした。それからベッドの横でふわふわと漂っている和服姿の若い男を睨みつけてやる。

「ユキヒラさん」

『何だ?』

 わたしが起きたのが単純に嬉しいのだろう。彼――ユキヒラさんがニコニコしながら応じた。妙にキラキラした表情に一瞬毒気が抜かれそうになるが、やっぱり眠いもんは眠い。安眠妨害をしてくれた彼に、わたしは文句をつける。

「わたしが何時に寝たか、ユキヒラさんだって知ってるでしょ? お願いだからもう少し寝かせてよ……」

 まだ7時じゃん。と枕元のケータイを手に取って、わたしはぼやいた。

 勘弁してくれ。わたしの正月休みは今日だけなのだ。だから実家にも帰らずに、一人で年越ししたんだから。今日一日くらいゆっくりさせてよ、もう。

 しかし、わたしの訴えはユキヒラさんには届かなかったらしい。彼は拗ねたように唇を尖らせて、ふわりとベッドの上に舞い降りてきた。正面で向かい合うみたいに胡坐をかく。

「何よ?」

 子供みたいな上目遣いで睨まれて、わたしはたじろいだ。ユキヒラさんは視線を外すことなく、膨れっ面で口を開く。

『違うであろう?』

「は?」

『年が明けたのだぞ。言うべき挨拶があるであろう?』

 言うべき挨拶。

 思い至って、わたしはがっくりと肩を落とした。

 そのために起こされたんですか、わたし? 貴重な睡眠時間を何だと思ってるのよ、コイツは!

 もう一度、わたしはユキヒラさんをねめつけた。だけどそこにいたのは期待に満ちた目をして、わたしからの挨拶を待っている子供みたいなカオのユキヒラさん。

 挨拶したくてしょうがないんだね。ユキヒラさんの姿が見えるの、今はわたしだけだもんね。

 それに気がついたら、いつまでも怒っていられない。わたしは渋々ながら姿勢を正し、きちんと正座して彼と向かい合った。ボサボサの髪を撫でつけて、深々と礼をする。

「明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします、ユキヒラさん」

 寝起きにしてははっきりした声で言って、わたしは面を上げた。すると。

『明けましておめでとう、和紗。今年もよろしくな』

 ユキヒラさんもそう言って、それはそれは嬉しそうに笑った。


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