肆 昔話とわたし しおりを挟むしおりから読む目次へ 「ちょっと、何……」 『安心せい』 穏やかな声で言われた。やけに耳に馴染んだ、胸に染み入るようなその声。おかしいな。はじめて聞いたはずなのに、何だか無性に懐かしいような気がする。わたしは男の顔をじっと見た。けど、やっぱり知らない人だ。はじめて会った、知らない人の顔だ。なのに、わたしを見つめる眼差しはびっくりするほど優しい。そのことに気がついて、急に居心地が悪くなったわたしはそっと首を竦めた。そんなわたしの様子を気にせず、男は訊ねてくる。 『ここは何処だ?』 「どこって……」 蔵の中だ。わたしがそう答えると、男は首を横に振った。 『質問を変えようか。お前の父親の実家の家業は何であったかな?』 「……神社」 ぽつりと一言で答えた。うちの父方の家系は代々神社の神主さんだ。祖父と祖母が亡くなってからは、伯父がその家業を継いでいる。 でも、それが何だっていうのか。そう思って男を見ると、彼はにっこりと微笑んでみせた。 『この蔵は神社の敷地の中にある。神社の中は聖域だ。そこにお前が怖れるようなものが入ってくることはない。――まあ、鳥居の外は知らんがな』 「何だそれ!?」 わたしは思わず食ってかかった。相手がさっきまで恐怖の対象だったことも忘れて、ぐいっと男との距離を詰める。 「それじゃわたし、ここから出たらダメなんじゃん!」 前から分かってたと言えばそうだけど、人外の――それも一応『神』と名前が付いてる存在にきっぱりと断言されたら、不安にならないわけがない。必死の形相で食らいつくと、男は『ふむ』とひとつ頷いた。それから顎に手を当て、しばらく考える仕草をして――ちらりとわたしの方を見た。 「何よっ?」 『いや』 身構えるわたしに、愉しげに口の端をつり上げる男。彼はじっくりとわたしを――それこそ頭のてっぺんから、床に着いた両手の指先まで見ると、ゆったりとした口調で話し出す。 『怖がりの和紗に、わしからひとつ提案があるのだが』 「……何よ?」 『鳥居の外にいる雑多なものから、わしが守ってやろうか?』 ――守る。それは即ち。 「あんたが、わたしの守護霊になるってこと?」 『まあ、そのようなものだな』 胡散臭げに聞き返したわたしに、男は曖昧な笑みを浮かべた。なので、わたしは不信感を露にして、更に問いを重ねた。 「わたしを守ってくれることで、あんたに何かメリットがあるの?」 向こうはわたしを知ってるみたいだけど、わたしは向こうのことを知らないのだ。そんな状況で『守る』なんて言われても、簡単には信じられない。 わたしは少しきつめの視線を男に向けた。すると、男は困った表情で口を開く。 『すまんが【めりっと】とは何だ?』 「はい?」 『意味が分からん』 そう言って、頭をぽりぽりと掻く。見た目に反して年寄り臭い言葉を使うなあとは思ってたけど、考えてみれば祖母の私物に憑いてるわけだし。実年齢っていうのがあるなら、相当のお年寄りなのだろう。カタカナ言葉に弱くても不思議はない。妙に納得した気分になって、わたしはさっきの科白を言い直した。 |