肆 昔話とわたし
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『まったく、たるんでおるのう』

「すみませんねぇ」

 自分でも自分に若干呆れながら、わたしはユキヒラさんを見た。視線が行き合った先の表情は穏やかだ。さっきまでの不機嫌そうな気配は微塵もない。いつもと変わらない、優しい深い色をした瞳でユキヒラさんがこちらを見ている。

『何ともないならよいのだよ』

 微かな笑みと共に、ユキヒラさんは言った。だから、わたしもへらりと笑ってみせた。

「大丈夫だよ。ちゃんと元気だし。やけにリアルな夢見てたみたいで、寝惚けてただけだもん」

『夢を、見たのか?』

 心配性の同居人を安心させようと思って、告げた言葉。だけど、それが何か引っ掛かったらしく、ユキヒラさんは眉を寄せた。わたしは目を瞬かせる。

「見た、けど?」

 眠ったら、夢くらい見るでしょうが。それがどうかしたんだろうか。わたしは怪訝な目をユキヒラさんに向けた。でも、ユキヒラさんはそれを気にする様子もなく、珍しく生真面目な口調で訊ねてくる。

『どんな夢だった?』

「どんなって……」

 今度はわたしが眉を寄せる番だった。困惑して見返すも、ユキヒラさんはただ黙って、わたしの答えを待っているだけ。夢の内容がそんなに重要なことなんだろうか。ユキヒラさんは答えを聞くまで、一切口を開くつもりがないみたいだ。動きもしない。わたしは眉をひそめたまま、答えようと口を開く――が。

「……ごめん。忘れちゃった」

 申し訳ない気分で、肩をすぼめた。ついさっきまで深く入り込んでいた夢の情景は、既におぼろげにしか思い出せないものになっていた。目覚めたときには、あんなに強く捕われていたのに。我ながら、自分の記憶力が情けない。何とか思い出そうとしてみたけど、やっぱりダメだった。気まずく視線を向けるわたしを取りなすように、ユキヒラさんは緩く笑う。

『忘れてしまったなら、無理に思い出すこともあるまいよ』

「まあ、そうだけど……」

 でも、最初に訊いてきたのはユキヒラさんじゃないか。何だかやたら真剣な顔と声で。だから、ちゃんと答えなくちゃいけないと思ったのに。そう思いながら、わたしはもごもごと口ごもる。――と、ユキヒラさんの笑う気配が濃くなった。

『すまん。変なことを聞いたな』

 そう言って、ユキヒラさんはわたしの頭に手を翳す。

 決して、触れることのないその手。

 けど、それはいつもわたしにこれ以上ないほどの温もりと安心感をくれる。

 それなのに――。

(何でわたし、泣きそうなんだろ?)

 胸に沸き上がってきた、どこか憶えのある焦燥感。それをユキヒラさんに悟られないように、わたしは顔を俯けた。



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