参 お月さまとわたし しおりを挟むしおりから読む目次へ 「……ユキヒラさんは?」 『ん?』 「ユキヒラさんだって、哀しかったでしょう?」 小さく問うたわたしの言葉に、ユキヒラさんは目を瞠った。 祖母は、祖父や他の人からも励ましを受けたはずだ。だけど、ユキヒラさんはどうだったんだろうか。行成さんが亡くなった後、ユキヒラさんの姿を捉えることのできた人は、多分いなかっただろう。音匣の持ち主である祖母には視る力はなかったし、わたし自身、親戚の誰からもそんな話は聞いたことなかったし。 だとしたら、ユキヒラさんはずっと一人でその悲しみを抱えていたことになる。ユキヒラさんを視てくれる人も、その声を聞いてくれる人もいなくて。そんな中で在り続けることは――。 「――寂しくなかった?」 再びわたしが問うと、ユキヒラさんは静かに首を横に振った。そして、口許を綻ばせる。 『タキはわしを大事に扱ってくれたし、わしにはタキの幸せを見守るという役目があったからな。わんぱく坊主どものおかげで、斎木の家はいつも賑やかで……わしもタキも、悲しみに暮れている暇はなかったよ』 それに、とユキヒラさんは続けた。 『和紗に会えたからのう』 彼はそう言ってこちらに向き直った。わたしも何となく居住まいを正す。 ユキヒラさんが言う。 『タキが亡くなって、蔵の中にしまわれて――このまま消えていくのかと思っとった。わしのような存在は、人から【思い】を受けなければ在り続けることが出来ぬ。すぐに消えてしまうわけではないが、あのまま蔵におったなら、わしの存在は忘れられてしまっただろう。そうなってしまえば、もう存在を維持出来なくなる。だからお前がわしを見つけてくれたとき、わしは本当に嬉しかったのだよ』 やんわりと微笑んで、告げられた言葉。それを聞いて、わたしの頬は熱くなった。 (う、わ……) どうしようどうしよう。言われたことがあんまり嬉しくて。 (何か、泣きそう……) このまま向き合ってることに耐えられなくて、わたしは慌てて俯いた。ユキヒラさんが笑う気配がする。 『わしの存在を捉え、わしのことを想ってくれる人間(ひと)に、また出会うことができたのだ。お前のような優しい娘に見つけてもらえて、わしは本当に幸せだと思っとるよ』 告げられたのは、きっと最上級の感謝の言葉。だけど、わたしはそれを素直に受け取れるほど可愛げのある性格じゃない。 「……そんなに褒めたって、何も出ないんだから」 俯いたまま、唸るようにそう言うと、ユキヒラさんの笑う気配が更に濃くなった。 悪戯っぽく、彼が言う。 『それは残念だ。せっかく酒でもねだろうと思ったのにのう。月見酒には良い晩だとは思わぬか?』 「結局、行き着くところはそこなのね」 らしいと言えば、すごく『らしい』ですけど。 泣きそうな衝動とか、嬉しさとか。そういう感情のうねりを一掃され、わたしは呆れて顔を上げた。そこにあるのは、いつも通りの憎めない、飄々とした笑顔。 「――仕方ないなぁ」 どんなに取り繕ったって、きっと彼にはお見通しだろう。いくら不機嫌を装ったって、わたしの頬は盛大に緩んでるんだから。 でも今日のところは、からかわれても寛大な心で流してあげよう。大好きなお酒もお供えしてあげよう。 「買い物行くから付き合って下さい。ワンカップなら買ったげる」 きびきびと立ち上がって、ユキヒラさんを見下ろす。その途端、彼は子どもみたいに破顔した。 『よしきた!』 そして、わたしは音匣をバッグの中に詰め込んで、犬みたいにはしゃいでるユキヒラさんを連れて、外に出た。そんなわたしたちを照らし出すのは。 空中にぽっかり浮かんだお月さま。 『――いい月夜だ』 それを見たユキヒラさんの眼差しの中から、さっきまでの寂しげな影が消えていたことに。 わたしはますます嬉しくなって、弾むように夜道を歩きだしたのだった――。 * * * |