参 お月さまとわたし
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『わしの名前は、行成が付けてくれたものだ。斎木の家の人間は職業柄なのか、お前のように【視える】人間がよく生まれたらしく、行成もその一人だった。あれは新しい物好きでな……当時、音匣は珍しい物であったし、その上あやつはわしを見つけた。だから手に入れるのに、ずいぶんと無茶をしおって』

 ユキヒラさんが語る声は、どこまでも柔らかい。それだけで、彼がどれだけ『行成さん』と仲が良かったのかが伝わってくる。

『あやつは話をするのに名前がないと不便だと言って、幼くして亡くなった弟の名をわしにくれてな。行成の手に渡ったわしは、それから数年をあやつと過ごした。その間にタキが遊びに来たことがあって』

 ユキヒラさんが再び窓の外へと目を向ける。そこに見ているのは、月じゃない。わたしの知らない、過去の情景。

 遠くを懐かしむように見る眼差しに、ちょっとだけ寂しいなぁなんて思ったり。でも、何だろう。心の中があったかくなって、わたしは口許を緩めた。

 ユキヒラさんの話は続いた。

『タキはお前たちと違って、わしの姿を視ることはできなかったが、音匣のほうをえらく気に入ってのう……譲ってくれと言ってきてな。行成にしてみれば、単なる音匣とは違うものをおいそれとやる訳にもいかず、宥めるのに苦労しておったわ』

「でも結局おばあちゃんにあげたのよね、行成さん」

 そうでなければ、祖母の遺品の中に混じっていたはずがない。一体どんな経緯があったのか。小首を傾げて、答えを待つ。

 ユキヒラさんは愉しげに笑った。

『――惚れた女子(おなご)の頼みを、無下には出来なかったということだな』

「そうだったの?」

 わたしが目を丸くして訊くと、ユキヒラさんは頷く。

『本人は必死にごまかしておったがのう。見る者が見れば、一目瞭然だった。知らずにおったのは、タキ本人ぐらいであったな』

「へぇ……」

 何か可愛い人だな、行成さんって。きっと彼も、ユキヒラさんにからかわれたクチなんだろう。わたしと似たような苦労を山程したに違いない。

 内心だけで何度も頷いて、わたしは続きを促した。

「それからどうなったの?」

『結果から言えば、二人は兄妹のような関係のままで終わってしまった。行成は何というか……一ヶ所に留まっているような人間ではなくてな。わしを連れて、あちこち旅に出るなんてことはしょっちゅうであったし。タキはタキで男兄弟がいなかったから、婿を取って家を継がねばならんかった。しかし、行成はそういう人間だったからな。結局、タキはお前の祖父の保(たもつ)と結婚したのだが……わしがタキの元に行ったのは、このときだ』

 行成さんは結婚祝いという名目で、例の音匣を祖母にあげたらしい。

『タキたちの祝言が済んでから、すぐにあやつは旅に出おった。外国の文化を学ぶのだと、船旅に出たのだ。今度は長旅になるだろうから、自分の代わりにタキの幸せを見守って欲しいと言われ、わしはタキの元に行った。土産話を楽しみにしていろと、わしらに言って意気揚々と出て行ったのだがな……』

 言葉の終わりに不穏な色が混じった。ユキヒラさんは目を伏せる。

『行成が帰ってくることはなかった。……乗っていた船が沈没したと聞いて、タキは深く哀しんだ。毎日毎日、音匣を抱えて泣いておったな。まぁ、保がいたおかげで、立ち直るのにそう時間はかからんかったが……』

 ユキヒラさんはそう言って、また視線を遠くに向けた。その先に、彼が何を思っているのか――わたしには分からない。

 祖母には、祖父がいた。だから祖母は行成さんを喪った悲しみに負けることなく、ちゃんと自分の道を歩くことができたのだろう。伯父や父を産んで、育てて――行成さんが願っていた『幸せ』をきちんと自分のものにして、生き抜いたのだ。だけど。



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