参 お月さまとわたし
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 ユキヒラさんが再び口を開いた。

『新月から数えて十六日目の月をそう呼ぶのだ。十、六、夜と書いて【いざよい】と読む』

「へぇ……」

 相変わらず、物知りな人だ。わたしは感心しながら、また月を眺めた。

 限りなく円に近いその姿は、まばゆくて、優しい。

「……満月じゃなくても、綺麗だよね」

 ぽつりと同意を求めれば、傍らでユキヒラさんが頷く気配がした。

『十六夜の月がいちばん美しいと謳った者もおるくらいだからのう』

「そうなんだ」

 空から目を離さないまま相槌を打つ。すると、ユキヒラさんが落ち着いた声で続けた。

『満ち充ちて欠け処のないものよりも、満ちた後、何かを失ったものに人は魅力を感じるものだからな……』


 ――何かを失った。


 その言葉の響きが無性に寂しく聞こえて、わたしは彼のほうを見る。月明かりに照らされた横顔は青白くて、普段見たことのないような表情をしていた。どこか儚げに見えるその顔に、妙に胸がざわざわするのを感じて、わたしは眉を寄せた。

 確かにユキヒラさんは此処に――わたしの隣に居るのに、どうしてだろう。急に、この人が消えてしまうんじゃないかと思ってしまった。そして沸き起こる不安に任せ、彼の腕に手を伸ばそうとして――わたしは慌てて、自分の手を押し止めた。

(――そうだった)

 今更ながら思い知った事実に、わたしはそっと唇を噛んだ。


 わたしは、この人に触れられない。


 そんなことはずっと知っていたはずなのに、こんなにも打ちのめされた気分になるのは、ユキヒラさんがあんまり寂しそうな顔をしているからだ。普段は子どもみたいに拗ねてみせたり、人の悪い笑みを浮かべてわたしをからかったりしているのに。時々、この人はまったく違う表情を顕わにすることがある。

 見た目だけなら若いくせに、急にくせのある老人みたいに見えることもある。わたしが本気で困っているときには、どんなことでも受け入れてくれるような穏やかな笑顔を見せてくれる。そのたびに、わたしは彼のことを『掴めない人だなぁ』と思ってきた。でも、同時に仕方ないとも思っていた。だって相手は『神さま』だもの。わたしより遥かに長い時間、この世に在り続けてる――そういう存在。

 彼が見せる表情のひとつひとつが、何処から来るものなのか。想像できないのは当たり前のことだった。わたしは、知らないのだから。ユキヒラさんがどうやってこの世に生まれて、何を見て、何を感じてきたのか。そもそも、どういう経緯で彼の宿る音匣が祖母のものになったのか――そんなこと、とっくに訊いていてもよさそうなものなのに。

(何にも知らないんだ……)

 気づいた事実に驚いた。何も知らないのに、わたしはこの人を信じてる。いつだって、何があったって、彼はわたしの味方なんだと。無条件に、盲目的に。

(何でだろう……?)

 気づいてしまえば、もう考えは止まらない。わたしは口許に手を当てて、自問する。

 確かにユキヒラさんは、会ったときから優しかったけど。どんなにからかわれても、憎めない神さまだったけど。


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