参 お月さまとわたし
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『――ら、和紗(かずさ)、そろそろ起きんか』

「へぁ?」

 我ながら、何とも間抜けな声をあげて、重い瞼をこじ開けた。目に映るのは、さっきまでの風景とは違う薄暗い天井。

(ここ……どこだっけ?)

 ぼんやりと霞がかった思考で考える。ここは何処? わたしは誰? まるで記憶喪失みたいな感覚に陥って、わたしは眉を寄せた。

 そこに聞こえる、飄々とした若者の声。

『こら和紗、いつまで寝呆けておるのだ?』

 声は若いのに、やたら年寄りめいた口調。すっかり耳に馴染んでいるそれに、わたしは意識を向けた。すると、視界いっぱいに見覚えのある顔が映る。

 どこか面白がるように、こちらにずいっと近寄ってきた、わたしより少し年上の青年の顔。それを目の当たりにして、わたしの意識は一気に覚醒する。

「〜〜っ! ユキヒラさんっ!」

『おぉ、やっと起きたか』

 思わず悲鳴じみた声をあげたわたしに、目の前の男はニヤリと嗤った。普段は輪郭が透けて見えることもある彼だが、ここまで接近していると表情の変化が鮮やかすぎて、心臓に悪い。なので、わたしは慌てて言い募った。

「起きた起きた起きたっ! ちゃんと起きたから! ちょっと離れて! 近すぎるっ!」

『今更、何を照れておるのかのう』

 嘯くように言って離れる彼。わたしは勢いよく身体を起こして、大声で噛みついた。

「照れてるんじゃないっ!」

『なら、警戒したか? 安心せい、わしはお前には触れられぬからの。どれだけ近づいたとしても、襲われることはまず有りえん』

「何、変なこと言ってくれちゃってるかな! このセクハラ付喪神がー―っ!」

 ご近所迷惑も省みず叫んで、手近なところにあったクッションを投げつける。しかし、それは見事に彼の身体を通り抜け、向こう側の壁に音を立ててぶつかる。

 にもかかわらず、彼は袴姿のその身体をさも痛そうに折り曲げてみせた。

『まったく和紗は乱暴者だのう』

「嘘をつくな! 実体がないんだから痛くないでしょ!」

 寝起きのテンションとは思えないほどの勢いで、わたしはユキヒラさんに指を突き付けた。だが彼はどこ吹く風とばかりに、しれっと言ってのける。

『心が痛い』

 ……このくそじじぃ。

 内心で毒づき、思わず拳を握ってしまう。そして沸き上がるイライラをどうにか抑えようと、肩で大きく息をつく。

 そしてすっかりぼさぼさになった髪を乱暴に掻き上げて、わたしはユキヒラさんを見上げた。

 空中に浮かびつつ、ゆったりと胡坐なんぞかいてるその人は、当然ながら『人間』ではない。彼は、亡くなったわたしの祖母の音匣(おとばこ)に宿った『付喪神』という存在だ。一般的な幽霊とは違い、何だか不可思議な力を持っていて、長い間存在し続けているせいか、やたら物知りだったりもする。

 彼と出会ったのは一昨年の夏――祖母の遺品を整理していたとき、蔵の中で偶然、音匣を手に取ったのが始まり。最初は得体が知れなくて、怖くて仕方なかったんだけど。今となっては、そんな感情もどこへやら。すっかり馴染んで、くだらないやり取りを交わすような仲になってしまった。

 そんなことを思いつつ、何とはなしにユキヒラさんを眺めていたら、彼は浮かべた笑みを更に深めた。




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