弐 鬼やらいとわたし しおりを挟むしおりから読む目次へ 『わしも行くぞ』 「え」 別にいいよ。そう断ろうとしたら、それより先に彼の声が聞こえた。 『怖いものは怖いであろう?』 「……だって、お酒呑みたいんでしょーが」 口の中でもごもごと言って、わたしはそっぽを向いた。馬鹿にするような科白とは裏腹に、ユキヒラさんが見せる笑みは優しい。それが気恥ずかしくて、目を合わせられない。 (ズルイよなあ……) どんなに文句を言ったって、この笑顔には勝てないことをわたしは知っている。 それが証拠に。 『いくらわしとて、お前が怖がっているのを判っていて、一人で行かせるような真似はせぬよ』 「……だったらお酒がない時点で、さっさと諦めてくれればいいのに」 『まあ、それはそれだな』 にっこりといたずらっ子のように笑われて、こんなしょうもない言い分を許しちゃうんだから。 (まったくもう……) ユキヒラさんの強引さと自分のふがいなさに嘆息して、わたしはちらりと彼を見た。そして、出来るかぎりの無愛想な口調で言ってやる。 「なら、しっかり守って下さいねっ!」 『言われるまでもないわ』 だけど、わたしの照れ隠しなんて見越して、ユキヒラさんは心底愉しそうに笑みを深めた。 『まったく和紗は甘えん坊だのう』 「馬鹿言うな――っ!」 あんまりな言い様に、ぎゃんぎゃんと吠えかかってもユキヒラさんは堪えない。 ホント、どこまでも自分勝手で子どもっぽい【得体の知れない同居人】。だけど彼が笑うたび、優しさを見せてくれるたび。 やっぱり会えて良かったよ。 そう思うわたしがいることは、ユキヒラさんには絶対に言わないでおこう。 目の前でカラカラと笑う彼を見つめつつ、わたしはこっそり決意を固めたのだった――。 * * * ――眠る少女の傍らに座り込み、彼はふと吐息をもらした。 『まったく、呆れた奴だのう……』 呟いた言葉とは裏腹に、少女を見つめる両目は愛しげに細められている。 思い出すのは、彼女の言葉。 ――可哀想だね、あの鬼たち。 たとえ、それが自分に害を為した相手であっても。 『憐れむのか、お前は』 痛ましげに彼は顔を歪める。そして俯いた。 『触れられぬことが、こんなにもつらいことだとは思わんかったよ……』 目の前で彼女が涙を流していても。 それを拭ってやることも、頭を撫でてやることも。 抱き締めてやることも叶わない。 だが、それは自分で望んだことだ。 それを代償に自分は彼女の傍に在ることを選んだのだから。 『泣き言を言っても仕方ない、か』 自嘲するように口の端を吊り上げて、面を上げた。 眠る少女からは、穏やかな寝息しか聞こえてこない。 どうか、どうか今度こそは。 祈るような気持ちで、彼は思う。 ただ穏やかで幸福な未来が彼女を待っているように。 その未来を守るためならば。 『わしはお前が必要とする限り、お前と共に在ろう』 触れることが出来ない手を少女の額にかざし、その耳元に彼はそっと囁いた。 『鬼やらいとわたし』完 |