弐 鬼やらいとわたし しおりを挟むしおりから読む目次へ 「厳しいなぁ……」 ユキヒラさんの言ったことは正直、耳が痛い。変わった感覚があったって、わたしもただの人間だ。彼の言う『弱くて鬼を生み出す』人間だから、今は彼の目をまっすぐ見ることができない。 こんなとき、境界線が見えるのだ。 いくら同じように心があっても、わたしとユキヒラさんとでは見えている物事が違いすぎると。 俯いて沈黙していると、傍らに何かが寄り添う気配がした。おそるおそる目をやれば、隣にユキヒラさんが胡坐で座りこんでいる。 彼はわたしにやんわりと微笑むと、唐突に問うてきた。 『わしが何故【付喪神】として生まれ、存在しているか。お前はわかるか?』 「え……」 『音匣を作った者がいた。それを贈った者がいた。それを受け取った者がいて、大事に使った者がいた。わしは永い年月を幾人もの人間と共に過ごしてきた』 それははじめて耳にする、ユキヒラさんの昔話。 『わしはその者たちの思い故に生まれ、その思いがあるからこそ、こうして在り続けることができる。わしの本体を愛し、慈しんでくれる者がいたからな』 そう言って、彼は目を伏せた。瞼の裏に映るのは、わたしが知ることのできない過去の情景。 懐かしそうに、だけど少し寂しそうに過去を想うその横顔を見つめた。するとやおら、その瞳が開かれる。 その目が今見ているものは、わたしだ。 ユキヒラさんが子どものように笑った。 『物にすら、人間は惜しみない愛情を注ぐことができるのだよ。……ならば人間同士でも同じように愛し、慈しみあうことは出来よう』 人間が内に抱えるものは『鬼』だけではない。 『だから、安心せい』 手を触れられていないのに、何だか頭を撫でられてるような錯覚に陥る。それは、わたしを泣きたいくらい安心させてくれるもので。――悔しいけれど、かなわないと思い知らされるのだ。 『さて』 ユキヒラさんは膝を打つと、ふわりと立ち上がった。柔らかい眼差しはそのままに、わたしを見下ろす。 『夜も更けた。安心できたのであれば、もう寝るがよい。今日は疲れたであろう?』 さあ、おやすみと。 この瞬間、誰より尊く目に映る彼に促され、わたしは素直に頷いた。 悪夢を欠片も見ることなく眠れたのは、やっぱり彼のおかげだろう。 * * * ――そして一年後。 わたしとユキヒラさんは相変わらず軽口を叩きあいながら、一緒にいる。 『しかしのう、和紗』 「んー?」 去年の今頃を思い出してぼーっとしていたわたしに、ユキヒラさんの呆れた声がかかった。 『何もこんなに日が高いうちから、引きこもらんでも良いのではないか?』 「だって、ちょっとのつもりで出掛けて遅くなったらヤだし」 『わしを連れて行けばよかろう』 「いいの! どのみち今日は用事ないんだから。家でダラダラするって決めたの!」 わたしはぱたぱたと片手を振って、ユキヒラさんをいなした。すると彼は目を半眼にして、これみよがしにため息をついてみせる。 『いい若いもんが……』 「やかましいわよ、おじーちゃん」 『おじ……っ!』 舌を出して言ってやると、ショックを受けたようなカオをしてユキヒラさんが後退った。そして、くるりとこちらに背を向ける。 『確かにわしは長くこの世に留まっておるが、業界ではまだまだ若い部類に入るというに……』 どこの業界の話ですか、それは。 そう突っ込んでやりたいのは山々だったけど、いじけたユキヒラさんを相手にしてるとキリがない。わたしは肩を竦めつつ、彼の横を通りすぎた。 |