弐 鬼やらいとわたし しおりを挟むしおりから読む目次へ みっともないほど泣きじゃくっていたせいなのか、あれほど感じていた恐怖感は徐々に薄れていった。アパートが見えた頃、わたしの中はただただ哀しい気持ちでいっぱいだった。 「た、だいま……っ」 ぐずぐずと鼻を鳴らしながら、わたしはドアを開ける。家に帰り着いても、涙が止まる気配はない。 『和紗っ』 尋常じゃないわたしの様子に驚いたんだろう。部屋の奥から、ユキヒラさんが文字通り飛んできた。そしてわたしの目の前に降りて、眉をひそめる。 『お前……何を抱えてきた?』 ユキヒラさんはそう言って、目を細めた。それはまるで、わたしの内側に入った鬼たちを見透かすような視線で。 やっぱりユキヒラさんには判るんだと、わたしは安堵してへたりこんだ。そして口を開く。 「鬼が、出てきて……」 『鬼?』 わたしの呟きを拾い、ユキヒラさんが顔を歪めた。珍しく舌打ちして、苦々しい口調で言う。 『そうか。今日は節分であったな』 「身体ん中、入って、きて……」 嗚咽混じりにたどたどしく説明すると、ユキヒラさんが気遣わしげにこちらを見た。 『……それで泣いておるのか』 無言でわたしが頷くと、彼はそっと手をかざしてきた。 それは触れるか触れないか、微妙な距離。 ユキヒラさんは一瞬痛みを堪えるように眉根を寄せた。だけど、それはホントに一瞬のこと。彼はすぐに笑みを浮かべると、いつも通りわたしを安心させてくれる声で言う。 『どれ、楽にしてやろうか』 「え?」 その言葉に首を傾げた。だけどユキヒラさんはそれに構わず、何やらぶつぶつと唱えている。仕方なくわたしが黙ってじっとしていると。 (あ、れ?) フッと急に身体が軽くなった。涙もほぼ止まっている。 「何で……?」 ひとりごちるように呟くと、ユキヒラさんがまた笑った。 『落ち着いたか』 「うん……」 何となく狐につままれたような気分で、彼を見つめる。 いや確かにユキヒラさんなら、何とかしてくれるとか思ってたけどさ。こうもあっさり何とかされてしまうと、びっくりしてしまう。 「ユキヒラさん、何者?」 『特別製の付喪神』 思わず発した問いに、ユキヒラさんはニヤリと笑みを深めた。そしてわたしから一歩分距離を取って、立ち上がるよう促す。 『ほれ、いつまでもそんな所におるでない。大丈夫になったなら、風呂でも入って温まってくるとよいぞ』 外は寒かったのであろう? そう言われて、わたしは自分の身体が冷えきっていることに気がついた。ぶるりと身震いする。 うわ風邪ひいちゃう。 慌ててわたしは立ち上がり、靴を脱ぐ。 嘘みたいに身体が軽い。 そのことに軽く目を瞠り、わたしはもう一度ユキヒラさんを見た。 「ユキヒラさん」 『ん?』 呼びかけに向けられた顔は暗がりのせいか、どこか冴えなくて。 「ありがとう」 『……ああ』 お礼の言葉に笑ってはくれたけど。 (ユキヒラさん……?) 引っ掛かった、彼の表情に見えた翳り。それに首を捻りながら、わたしは部屋の灯りを点けた。 そうしてやっと、わたしはほっと息をつくことが出来たのだった。 * * * |